LF対談

サルの社会、ヒトの社会 No.11(1993.9)

大阪大学人間科学部教授
糸魚川直祐 氏

財団法人 千里ライフサイエンス振興財団
岡田善雄 理事長

ボスザルの条件

岡田 これは糸魚川先生に教えてもらったことですが、サル山があるのは、先進国では日本だけだそうですね。

糸魚川 ええ。世界には180〜200種くらいの霊長類がいますが、いわゆる先進国でヒト以外の霊長類、つまりサルが野生状態で棲んでいるのは日本だけです。

岡田 これからの日本は長寿社会の問題も含めて、いろいろ考えなきゃならないことが多いのですが、ヒトの社会を考える上で、サルという格好の研究対象を持っている日本はたいへん地の利を得ていると言えますね。

糸魚川 そうですね。たとえば、サルが老化すると行動や心理的な特徴がどう変わってくるか、実験室では見えてこないことが、野外の社会集団の中の一頭一頭をつぶさに見ていくとわかってきます。大阪大学では、何世代ものサルの行動を長い期間をかけてじっくり見ていますから。
老ザルは集団の中では身体的には老化しても、サル同士で支援し合うなど相互の社会的関係からあまり心理的な老化の徴候は見えてきません。逆に、社会的にストレス状態におかれている若いサルのほうがおかしな行動をとったりします。

岡田 そうですか。これも先生から伺ったことですが、たしか集団のボスになるには力が強いだけではダメなんですよね。

糸魚川 ボスの認められ方にもいろいろありまして。昔は単純に闘争力の高いものがボスになるだろうと思われていたのですが、どうやらそうではなく、その集団が持つ時代背景にもよるらしいんですね。

岡田 サルでもいろいろあるわけですか。

糸魚川 サルにとっての外敵、つまり人間や犬を早く見つけたり、場合によっては喧嘩したりしなきゃならない戦国時代と、人間による餌づけが進んだり、保護が行き届いている共存共栄時代ではボスザルの条件も違ってきます。後者では武闘派より、むしろ集団の中でメスや子供に対して細かい気配りができる能力がないと、みんなに認められないようです。

岡田 身につまされる話ですね。その細かい気配りというのは(笑)。

糸魚川 サル社会が人間社会の原型と言われているのは、母親が子供にオッパイをあげて育て、この母子の結びつきを中心にしていくつかの家族がまとまっている母系社会が主だからです。このとき、オスザルは自分の子供だけを保護するのではなく、集団全体を統合する社会的役割を果たしています。なかでもボスザルを含め集団の中でのオスザルの役割として、集団の中の内輪もめを防ぐことが一番重要なのではないかと言われています。

岡田 そうですか。ところで、あの狭い動物園のサル山にもボスザルはいるんですか。

糸魚川 ええ、います。ニホンザルの場合、あまり狭すぎるといろいろ争いが起きて難しいのですが、ある程度の広さがあるとボスザルがまとめるようになります。ただ、狭いとサルにストレスがかかって、ボスの交替が早くなったり、逆に独裁的なボスが現われ、円滑に交替しなくなったりしますけれど。

岡田 日本の首相がよく交替するのと感じが似てますね(笑)。

糸魚川 人間社会での政治的不安定を考えるとき、僕はいつもサル社会のまとまりのよさに比べてなんと人間はおろかなのだろうと思いますね。集団の指導者には人間社会にもサル社会にも優れたリーダーシップが必要なんです。

サルは痛みを感じない?

岡田 以前、サルを使って、抗体治療をしたときの「痛み」を調べようとしたんですが、そのとき「サルは、虫歯で口のまわりがどんなに腫れ上がっていても、いいほうの歯でエサを食べる。交通事故で片方の足がボロボロになっていても、平気でエサを食べたりする。だから、サルで痛みを調べるのは無理ですよ」と言われました。そのとき、僕は人間というのは自分をアピールする一つの方法として「痛み」をおおげさに表現するんじゃないか。それは人間に特有の表現であって、他の動物はあまり痛がらないし、現実に痛み自体もそれほど感じないのではないかと思ったのですが、いかがでしょうか。

糸魚川 難しい質問ですね(笑)。しかし、まずサルに痛みの感覚がないかというと、僕はあると思います。

岡田 そうでしょうね。それをどう感じていて、どう表現するかですね。

糸魚川 僕が見た範囲ではおそらく虫歯の痛みでしょうが、痛みを表現するサルもいたんです。このサルはボスザルなんですが、頭を抱えて、ちょうど我々が歯が痛いときにするような格好で痛がっていました。ただ、それは非常に珍しい例なんですね。たとえばサルが僕に触ってくるときは、非常によくコントロールされた触り方をしますから、彼らは痛覚を含め鋭敏な皮膚感覚を持っていることは間違いない。しかし、集団の中で見ると確かに大ケガをして弱ってはいても、あまり痛がってはいない。社会的関係の上では「弱る」ということが如実に表現されると、そのサル自身の存亡にかかわってくるので、意識的にか無意識にか痛みの表出にある抑制が働いているのかもしれませんね。

岡田 「心頭を滅却すれば火もまた涼し」というのが禅宗にありますでしょう。仏教ではそういうふうに感覚を自在にコントロールできるようなところがあって、それと同様のことが野生にもあるように思ったりしたんですよ。
野生では「痛み」を表現してもあまり得にならないから、身体の他の部分に影響しないかぎりは、痛み自体も実際にそう感じないのではないか。でも、人間社会では痛みを強く表現したほうが得という背景があるので、少しのことでも痛いと感じてしまう(笑)。

糸魚川 それは面白い見方ですね。今の話で思ったんですが、サル同士のケンカでは噛まれる前からギャーギャー大騒ぎします。自分はこれから噛まれるぞ、痛いんだぞと派手にアピールするんですよ。そうするとボスが来てやめろということにたいていはなるのですが。ところが、実際にケガしたあとはほとんど痛みをアピールしない。確かに自然な形での痛みの和らげ方というか、心頭を滅却すれば……というような内在的な力が働いているのかもしれませんね。その点、人間はたえず過剰に反応する(笑)。

岡田 人間社会は、他の動物の社会と比べるとかなり特別な展開の仕方をしてきたんでしょうね。

糸魚川 そうでしょうね。自然から遠ざかり、人間の社会的関係だけが前面に出てきて、ストレスと競争の中で生きているということになるのでしょう。

 

  糸魚川直祐 氏

糸魚川直祐 氏

大阪大学人間科学部教授

1935年、北海道生まれ。57年大阪大学文学部哲学科(心理学専攻)卒業。同大学院文学研究科修士課程修了後、博士課程単位取得。米国エモリー大学付属ヤーキーズ霊長類研究所助手、大阪大学医学部助手などを経て、84年同大学人間科学部教授。98年退官、武庫川女子大学教授。専門分野は、ニホンザルの行動研究、動物心理学、比較行動学。著書は『人間の成長』など。

年をとったサルの役割

岡田 人間のボケの行動にあたるものがサルにもあって、それは集団から外れていくということだそうですが。

糸魚川 サル社会の中で人間のボケにあたるような行動があるかどうか、まだはっきりとは言えませんが、確かに年をとってくると社会的順位を認知できずに集団から離れ、よくいえば自由に動く、悪くいえばフラフラとどこかへ行ってしまうことがあります。社会的順位からすると、自分より順位の高いサルの間をすり抜けることなんかできないはずなのに、老ザルは平気でやっちゃったりするんです。

岡田 順位の高いサルがいると、低いほうのサルは避けたりするんですか。

糸魚川 ええ。何十頭、何百頭もいると集団のメンバーは相互の位置どりを見て動かなきゃいけないのですが、年をとるとあまり気にしなくなります。それに対して、他のサルが怒って噛みついたりするかというと、老ザルの行動があまりに意外性を持っているためか、「ハアー」という感じでそのまま許容されるんです。

岡田 集団の中で認めてもらえるわけですか。えらく許容度が高いんですね。

糸魚川 攻撃されるときも稀にありますが、それなりに集団の中で認められていく。

岡田 そういえば、人間でも似たようなことがありますな(笑)。

糸魚川 他にも老化にともなう行動については、エサの取り方にしても拾い方が遅くなるとかの行動の変化があるようです。

岡田 それは非常に面白いバロメーターというか、サインですね。なんかいやに説得力があるな(笑)。一つ質問なんですが、ボスザルというのは必ずしも若くないでしょう。年をとったほうが何か取柄があるのと違いますか。僕は年をとったときの取柄をなんとか探したいと思ってまして(笑)。

糸魚川 若くなきゃボスは務まらないような厳しい環境の集団もあるようですが、たいていは経験や人格というか猿格がものをいって、ある程度悠然と構えてないと集団はまとめられない。いつもカリカリしていてはまずいようです。それには、サルでも少しボケていたほうがいいかもしれないですね。木にはほとんど登れなくなってもボスをやっているのが実際いますから。

岡田 相当な年でもボスとしてやっていける。それはすごいですね。

糸魚川 僕が調べている岡山県勝山のボスザルももうヨボヨボで、人間だったら70歳以上ですよ。でも、他のサルたちが彼の猿格を認めているから、ボスになっているんですね。それから、さっき社会的順位の認知ができなくなったサルの話をしましたが、あれも勝山のメスザルでした。僕が見たのは集団全体がパニック状態になって殺気だった大ゲンカのときで、こうなったら普通、最後は1頭が集中攻撃をうけて大ケガをしたり、死んだりします。ところが、そのおばあさんザルは他のサルがパニックになっている中を平気で悠々と歩いていく(笑)。すると、その効果だと僕は判断したんですが、全体の殺気だったムードが鎮まった。そんな鎮静化の効果は確かにあるようですね。

岡田 やっぱり年をとることの良さというのがあるんですね。

糸魚川 そうでしょうね。今後、老化したサルの行動を見ていくときには、サル社会の中でその行動にどのような利点があるのか、また問題点があるのか、調べないといけませんね。

岡田 本当にそうですね。老化といえば何もかも悪くなるといったイメージが人間社会には行き渡っていますが、今の話では年をとることのポジティブな意味がサル社会の中ではちゃんと認められているんだということですね。

糸魚川 そういうことだと思います。

生きる土俵をたくさん持つべき

岡田 サル社会の順位づけというのは、集団の中の一つの安全弁だと思うのですが、その順位づけにおいて今の子供たちの生活を考えるとどうなんでしょうか。僕の子供の頃のことを思うと、子供同士が遊んだりする中で順位づけがガッチリできていたのを覚えています。それでたとえ順位が下のほうでも別に何ということはなかった。僕自身がそうでしたが、そこで安定していたらいいというようなことだったと思います。それが今は受験戦争が厳しかったりと、みんながトップにならないと気がすまなくなっているように思います。こういう自分のマイナス面は外に出せずに、無理な背伸びをしなければならない社会の中で、人間はこれからいったいどう変わっていくのかというのが少し気になるのですが。
それとも、逆に人間というのは深層心理の部分ではあまり影響を受けず、変わらないものなのでしょうか。

糸魚川 まずサル社会の順位づけから話していきますが、それは集団の中で連続して形成され、かつ変化していっています。順位というのは、先生が今おっしゃったように、血を流すようなケンカをしないために彼らがつくりだしている上手な仕組みなんです。
一つのエサを奪いあっていつもケンカするのではなく、一応相手が先に取ったら他を探すというような譲り合いの仕組みでもある。だから、一番順位の高いものがいい目を見るというようなものでもない。赤ちゃんザルなら赤ちゃんザルの間でお互いの調和をとるような順位関係を学習していき、そのうち場合によっては修正する。たえず集団の中で連続してお互いの関係を調整していくことでサル社会は成り立っているんです。
人間もやはり社会的な動物ですから、子供の頃につちかった仲間同士での約束というのは、大人になってもその連続としてあり、それは老人になってゲートボールをしているときにもやっぱりある。それで集団が調整されているんです。ところが、勉強がよくできていい大学、いい会社に入ることがすべてだという社会になりますと、ともすれば人間的にみて間違った意味の能力が強調されて、そのようなゆがんだ能力を持つ人が一番順位が高いということになるのではないかと思います。
社会がこのような方向に集中しすぎますと、人間が長年継承してきた、心の深い部分も変化していくかもしれません。ですから、もうちょっと社会的にふさわしいやり方で調整していかないと、人間社会は良い面を継承できないと思いますね。

岡田 僕の考えでは、サル社会は一つの土俵しかなく順位づけは一通りしかない。しかし、人間の場合、この土俵じゃオレは負けないぞというような新しい土俵を自分でどんどん作りだせるわけです。

糸魚川 そうですね。人間には本来たくさん土俵があり、そこではそれぞれ別の人間関係があって、それを共有しあってバランスをとってきたのが、何か今は土俵が一つになってきている。サルも土俵が一つではなく、彼らなりにいくつもあって、弱いサルや年をとったサルが生きていけるような土俵もあって、彼らなりに最大限の幅広い土俵があるんですね。本当は、我々人間こそがもっと幅広い土俵を持たないといけないのですが。

岡田 しかし、なんですね。日本には野生のサルがいて、その行動と人間の社会における行動を対比しながらこういろいろと見ていけるというのは、たいへん素晴しいことですね。

糸魚川 そうですね。僕はぜひ退職された方には、大阪ですと箕面の山へ行ってサルの観察をしていただきたい。そういう自然と親しむようなライフサイエンスというものを考えていったらいいんじゃないかと思います。

岡田 今日はたいへん面白い話を聞かせていただき、どうもありがとうございました。

 

EYES

サルの社会、ヒトの社会
霊長類学は人間探求の学!

サルの社会や行動etc.に隠されたヒントを探る

日本の「霊長類学」つまりサル学の歩みは、1948年、当時京都大学の講師だった今西錦司氏と理学部動物学科の学生だった伊谷純一郎氏、川村俊蔵氏が、宮崎県幸島で野生ニホンザルの群れを踏査したことから始まっています。さらに、1950年には伊谷氏が大分県高崎山のニホンザルの調査を始め、その翌年、京都大学に「霊長類研究グループ」が発足しました。

今西氏ら3人は、当初は野生のウマの群れを調べる予定でした。それが、当地で出会ったニホンザルの活発なコミュニケーションや複雑な社会にひかれ、調査の対象を変更することになったのです。そんな偶然ともいえるきっかけから、ボスザルを中心とした「順位制」などのサルの社会の仕組みや行動について、日本のサル学は世界的にも傑出した成果をあげるようになりました。今では一般にもよく知られた親しみ易い学問になっていえるといってよいでしょう。

さて、野生ニホンザルの調査においてまず必要だったのが、自然環境の中のサルたちを近くで観察できるように工夫することでした。それには、人に気づくと逃げてしまうサルたちを「餌づけ」し、人に馴れさせるという方法がとられました。また、サルの群れを、個性を持った“個”で構成される社会と見る今西氏の考え方から、一頭一頭にサルに名前をつけて顔を覚える「個体識別法」が考え出されました。これは、欧米には無い画期的な考え方でした。この2つの方法により、長期にわたって辛抱強く観察を続けることが可能になり、ニホンザルの社会がどのようになっているかが徐々にわかってきたのです。

その後、1956年には愛知県犬山市に霊長類の飼育展示と研究を目的に世界各地のサルが集められた「日本モンキーセンター」が、霊長類研究グループを中心に設立され、同時に動物学や医学、人類学などさまざまな分野の研究者が自由に参加できる「プリマーテス研究会」が発足されました。さらに1958年から、日本モンキーセンターは「類人猿」の研究にも着手し、アフリカまでマウンテンゴリラやチンパンジーの調査に出かけました。この日本モンキーセンターは、その後1967年に設立された京都大学「霊長類研究所」とともに日本におけるサル学発展の母体となっています。

このように日本のサル学は京都大学のグループがリードするかたちで、主に動物社会学の立場から発展しましたが、そのほかにも生態学、心理学、生化学、分子進化学などいくつもの柱があります。たとえば、アメリカの比較心理学者ヤーキーズが戦前から始めていた心理学の立場からの研究は、戦後、日本でも大阪大学が中心となり、1957年から岡山県勝山の野生ニホンザルを対象に、野外と実験室の双方からサルの「行動研究」を進めています。

しかし、そもそもなぜ霊長類を研究するのでしょうか。京都大学名誉教授の江原昭善氏は、次のように述べています。「もともと人類解明のための努力は古くから多くの学問により推し進められてきた。けれども、人類にとって最も近縁な、そして重要な情報源であるはずの霊長類そのものの総合的な研究は取り残されてしまった。1950年ごろから、とくに人類の起源や系統の進化のメカニズムを解明し、それらの研究を通して人類の本性や特徴を明確にしようとする動きが高まった」(『霊長類学入門』第1章・岩波書店)

最近の研究では、チンパンジーと人間の遺伝子DNAの塩基配列は1〜2%の違いしかないともいわれています。サルの社会や行動、さらに組織・細胞・分子レベルの情報には、私たち人間とは何かを考えるうえで非常に有益なヒントが隠されているのです。

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