LF対談
今こそ財界は日本のメディチ家にならなければいけない No.4(1991.11)
(社)関西経済連合会会長
宇野 收 氏
財団法人 千里ライフサイエンス振興財団
岡田善雄 理事長
基礎研究の支援こそ関西を「世界の頭脳拠点」に育てる
イタリア・ルネッサンスを惜しみない援助で隆盛に導いたメディチ家。
「今、日本でこのメディチ家の役割を担えるのは財界だ」という
持論を持つ関西経済界のドン、宇野 收氏に登場いただき、
関西が世界の頭脳拠点として発展するには、
財界と財団は何を展望し何をすべきかを探ってみました。
「今、日本でこのメディチ家の役割を担えるのは財界だ」という
持論を持つ関西経済界のドン、宇野 收氏に登場いただき、
関西が世界の頭脳拠点として発展するには、
財界と財団は何を展望し何をすべきかを探ってみました。
純粋に研究するには断然、有利な関西
岡田 関西の大学というのは、大阪大学など、地元財界の大きなサポートを得てつくられ、継続的な支援も得ながら発展してきたという歴史を持っています。戦前には繊維関係からサイクロトロンを寄贈してもらったこともありましたしね。つまり、学問研究の場づくりに民間活力が昔から大いに貢献してきた土地柄で、その意味で関西というのは、何か面白いことがてきる基盤をずっと持ち続けてきたところだと思いますね。
宇野 阪大創立には、関西がもともと醸造とか発酵とかバイオの系列に属する産業が盛んだったという土壌に加えて、東大、京大という旧い歴史を持った大学に対抗しようとする、いわば与党に対する野党精神のようなものがあったと思います。そういう活力が今なお残っているのが関西の大きな特色ですね。
私たち繊維業界も昔ほどの力は持っていませんが(笑)、学問研究に対する支援の気概は十分持っております。
岡田 20世紀後半はバイオの時代と言われるほど、大学でも企業でも研究は大きく進展しましたが、両者でオーバーラップしている部分が今は非常に多く、これから得手同士がドッキングすることで棲み分けができてくるでしょう。それが大きな展開につながる可能性をはらんでいるのは、やっぱり関西のほうだという気がしますね。
宇野 それにもう一つ、こういう研究は政治から少し離れたところでやるほうがいいんです。東京のように政治があんまり近くにあると、政策がいろんな形で研究の中に入ってくる。そのために会議は多いしね、騒々しくていけません(笑)。その点、関西には純粋に研究できる雰囲気がありますよね。
岡田 おっしゃるとおり、研究そのものでは関西のほうが東京より断然トクなんてすよ。東京は常に国際化の渦の中にあり、あらゆる情報が入り、あらゆる問題にコンタクトをとらなければならない。ナマの情報を整理するのは大変な時間と労力を要しますが、それを全部、東京でやってもらっている。東京の人には申し訳ないけど、我々は整理された情報の中から必要なものを悠々と選択できるわけです(笑)。だから、自主性を持てる状況というのは関西のほうが明らかに有利なんです。
宇野 政治と情報の渦に巻き込まれていては研究の時間もとれないし、自由な発想も出てこない。それに加えて東京というところは、日本のタテ割り社会の伝統を最も忠実に具現しているところでもあるんですね。ところが近年では、我々業界でもヨコにつないだ領域のところで新しい事業が生まれはじめていますし、学問の世界にしても、たとえばバイオというのは医学にも化学にもその他いろんな分野に広がる、まさに境界領域の研究です。こういうヨコつながりに発展するものに対しては、タテ割り構造では制約が多すぎて不利なんですね。
異分野交流の訓練は千里から始まる
岡田 そのヨコつなぎをすることが、実は千里ライフサイエンス振興財団の大きな目的の一つでして、これがうまくやれると財団設立は成功だと思っています。研究者というのは普通、国籍や地域にはこだわらず理解し合える仲間同士で研究していますが、国とか地域を土俵にした場合、異分野との交流やいろんな人間関係が入ってくるので、自分というものをしっかり持っている研究者にとっては、思考の幅をさらに広げる絶好のチャンスになると思うんですよ。
宇野 確かに自由な発想ができる研究者でないと、ヨコつなぎというのは大変でしょうね。先日、帰国中の利根川進さんとお話したときに、日本の教育システムは人間が伸び盛りのときに創造性や独創性を育てにくいような形になっている。それをなんとか変えなければいかんと熱意に燃えていらっしゃいました。でも関西の場合は、まだわりと自由な発想が通りやすい風土が昔からあるように思いますね。
岡田 その点は確かに恵まれていますが、とにかく日本という国はヨコつなきの訓練がまだできていないところです。そこでこの訓練を千里ライフでまずやってみようということなんです。千里というところは意外と面白い場所で、非常に日本的な面も持っているけど、でもどことも似ていないという、そんな個性のある地域なんてすよね。
宇野 万博の跡地をそのまま残し、そこへ研究・文化施設をつくっていったという成り立ちが特異な個性をつくったんでしょうね。今、千里を指してバイオ・ヒルズという言葉が使われるようになりましたが、阪大の研究所群に加えて蛋白工字研究所や大阪バイオサイエンス研究所などが集まり、そこへ今度千里ライフサイエンスができた。千里丘陵が日本のバイオ研究のメッカになっていくことは、ほぼ間違いありませんね。
産業界としても、ここから出てくる研究情報が次世代の産業のための裾野を広げてくれるだろう、という期待は非常に持っていますよ。しかもバイオにかぎらず自然科学全般、さらに人文科学も含めた情報が21世紀にかけてどんどん発信される地域になるでしょうね。
岡田 それに千里はなんといっても交通の便のいいところですから、国内はもとより海外からも優れた研究者が集まってくるでしょう。新しいことを考え、実行するには、実にいい環境になると思います。我々の目指すライフサイエンスというのは、バイオだけじゃなくあらゆる分野にオーバーラップする幅の広いものですから、まさにこの千里の地ならではの研究と言えると思います。
宇野 收 氏
(社)関西経済連合会会長
1917年、京都府生まれ。42年東京帝国大学法学部卒業後、45年大建産業(株)に入社。50年呉羽紡績(株)、66年東洋紡績(株)(現・東洋紡)に引き続き勤務し、71年取締役、78年社長、83年会長、92年名誉会長。83年(社)関西経済連合会の常任理事、続いて副会長を経て、87年会長。(財)関西文化学術研究都市推進機構会長なども歴任。受賞は藍綬褒章、勲一等瑞宝章ほか。
ライフサイエンスとは人間の主体性を確立する科学
宇野 私の経験からしても、ライフサイエンスというのは大変な研究だと思います。私は厚生省の脳死臨調の委員をやっておりますが、このあいだの中間報告を出すまでに、それはもう大変な議論をしました。その過程で脳死の医学的説明も聞いたわけですが、我々素人には脳死は明らかに死であると思えました。ところが宗教的な立場からすると簡単に死と言ってはいけない。これもまたなるほどとうなずけます。要するに簡単に結論が出る問題ではないということを思い知らされましたね。
岡田 自然科学的解析というのは、ある意味でデジタル型です。これの一番の得意は病気の原因を見つけ治療をするといったことです。一方で、死を理解するには無力な方法論だと私は思ってますね。結局、生と死に人間的価値判断を下せるのは、自然科学とはまったく方法論を異にした、たとえば宗教のようなものじゃないかと思いますね。
宇野 私自身はお医者さんの話を聞いて脳死は死だと思いますが、みんなもそう思えとか法律で決めろということは決してできない。結局一人ひとりの問題であって、認めない人がいてもいいわけです。
岡田 臓器移植は一般化するでしょうが、それが社会正義になって、認めない人はもってのほかだという風潮が出てくると、それも困りますね。
宇野 それともう一つ問題なのは、世界の先進国の中で脳死について結論を出していないのは日本だけなんですね。それで外国に行って臓器移植を受けるというケースも出はじめていますが、こんなことがいつまでも許されるとは思いません。それこそ臓器移植摩擦に発展しかねない。ですから、きわめて個人的な問題ではあるけれど、日本として何らかの結論はやっぱり出さなきゃならんでしょうね。
岡田 ただ脳死による臓器移植も、もっといい方法が見つかるまでの方法であって、これがすべてということじゃありません。もっと温和な方法が、将来それぞれのケースで生まれることを私は期待しています。ドラスティックなもののほうがどうしても注目を集めますが、私の価値観の中では、より温和な方法のほうにウエイトがありましてね(笑)。
宇野 価値観というものの側面には倫理観があると思いますね。経済界の最近の証券会社のスキャンダルや銀行の不祥事など、やはり経済活動にも倫理観が通っていないと経済全体が長続きしない、繁栄をしない。資本主義社会だから金儲けを考えるのは当然ですが、そのやり方が一つの価値観にのっとっているかどうかが問題です。どの分野でも同じだと思いますが、要するに一つのルールで筋を通すということが信頼感につながるんですね。
岡田 私自身、千里ライフのほうできちんとしておきたいのは、脳死問題のように、方法諭としてどうしてもあることを決めなきゃならないときに、個人が一般化の中で平均化され埋没するのではなく、個人というのをもう一度取り戻していくような作業をやりたいということです。一人ひとりが世の中の動きに流されず、自分自身の価値判断で対応していくことができるように、その一つの拠り所となる情報やものの考え方を人々に提供する、そういう場所にしていきたいと思っています。
財界は日本のメディチ家であるべきだ
宇野 それをどういう形でパブリックにアプローチしていくのですか。
岡田 一般へのアプローチは公開講座という形をとっています。すでに3回実施しました。それと、今建設中のライフサイエンスセンタービルの中にサロンをつくりますが、そこで異分野交流のグループをつくり、その中で話し合われ、提案されたことを情報として公開する、ということも考えています。
宇野 それにはテレビがいいですよ。テレビの波及効果は新聞よりもずっと大きいですからね。
岡田 実は前回の対談で橋田壽賀子さんにも勧められたんですよ(笑)。でも、できるだけ参加型の対話という形で広めたいと思っていますので、テレビでの公開はもう少し考えてみる必要があります。
宇野 研究部門へのサポートはどうお考えですか。
岡田 千里ライフ自体が千里という地の利を生かしたプロジェクトを自主的にプロモートしていくのが一番いいと思っています。そこに世界中の研究者が参加できる仕組みをつくる。そうすると国内の若い研究者にも元気が出てくる。国際化とはそんなものだと思います。我々の分野というのは今までほとんどアメリカに背負ってもらっていたけど、アメリカでやるより日本でやるほうがずっといい、という研究もこれから出てきます。それを千里ライフが集中的にサポートしていく、そしてある程度流れができたら関西経済連合会にも助けていただく、ということになると思います。
宇野 関西にも大きなプロジェクトがいくつか動きだしていますが、何のためにつくるのかというベースの考え方がしっかりしていないと、せっかくのものがムダになります。学術研究都市構想も京阪奈、西播磨、千里とありますが、これらは道路や橋をつくるようなわけにはいかない(笑)。研究というのは息の長い展望に立つものですから、なおさらしっかりした基本理念が必要だと思いますね。
岡田 まったくおっしゃるとおりです。建物だけはできたけど使いこなせないというんじゃ、これほどムダなことはありませんからね(笑)。
宇野 同時に、誰がやるのかという人の問題もあります。我々財界の人間には研究の中身はわかりませんが、海外からも優秀な人に来ていただいて自由な環境で思うぞんぶん研究してもらえれば、きっと大きな成果につながると思います。
イタリア・ルネッサンスの例でいいますと、その発祥の地フィレンツェは偉大な文化を残しましたが、それを誰が支えたかというとメディチ家という大財閥だったんですね。惜しみなく金を出して援助したから、あれだけ優秀な人材がどんどん集まってきたんです。
今の時代はメディチ家のように個人でそういう役割を担うことはできませんが、財界という形でなら可能です。日本の財界全体がメディチ家的な役割を果たすことが、今非常に重要だと思います。
たとえば韓国は今ようやく先進国の仲間入りをして、もっと飛躍するために日本の高度な技術を必要としています。いずれ日本は渡していくことになりますが、渡しても次のものがあるというのでないといけません。その次のものとは、やはり基礎研究から出てくるものです。それを支えるためにも、財界全体がメディチ家的な発想を持たないといけません。
岡田 それができると、日本は21世紀になっても常に新しい情報を世界に発信し続けられる。しかも、世界の頭脳拠点の一つになるのは東京ではなく関西であるということ。その認識のうえで、スタートを始めた今こそ、産・学・官の交流体制をきちんと整えていかなくてはなりませんね。ぜひよろしくお願いします。