LF対談
自然の仕組みのすばらしさを知ること。
それがライフサイエンスへの第一歩 No.5(1992.2)
国立循環器病センター総長
尾前照雄 氏
財団法人 千里ライフサイエンス振興財団
岡田善雄 理事長
人間は科学技術への主導権をどう回復する?
自然界が健康でないと人間も健康ではいられない。
この生存の大命題を忘れて、科学技術に未来を見ようとした私たち。
その代償は大きい。
本当のクオリティ・オブ・ライフを実現するには
ライフサイエンスをどう理解し、どう展開していったらよいのか。
今回のゲストは優れた臨床医としてもご活躍中の国立循環器病センター総長・尾前氏です。
この生存の大命題を忘れて、科学技術に未来を見ようとした私たち。
その代償は大きい。
本当のクオリティ・オブ・ライフを実現するには
ライフサイエンスをどう理解し、どう展開していったらよいのか。
今回のゲストは優れた臨床医としてもご活躍中の国立循環器病センター総長・尾前氏です。
欧米化が進む生活。そのツケがいま体に……
岡田 最近は病気の種類もずいぶん様変わりして、欧米風の病気が増えてきたようですね。先生は臨床を専門にずっとやってこられて病気の変遷もつぶさに見てこられたわけですが、実感としてどうですか。
尾前 夢のような変わりようですよ。私が医者になった頃は、なんといっても肺結核が一番怖かった。この病気で人がバタバタと亡くなっていました。私が命知らずと言われた海軍に入ったのも、私自身結核の洗礼を受けていたという事情があったわけでね(笑)。それが今では誰も結核を怖がらなくなった。老人性結核は相変わらず問題ですが、若い人が結核で亡くなることはまずありませんからね。
それと、脳卒中の死亡率が下がりました。この20年間で死亡原因の1位から3位に落ちています。それに代わって増えてきたのが心臓病。さらにガンの種類も欧米化してきている、といったところが大きな変化ですね。
岡田 大腸ガンや乳ガン、前立腺ガンといった、日本では珍しかったガンが確かに増えていますね。
尾前 ライフスタイルが欧米化して食べ物や生活環境が変わったために、病気まで欧米化してきたんですね。治療医学の進歩で感染症などの病気が減ったので、かえって成人病の増加が目立つということもありますが、少なくとも循環器病の立場からすると、生活環境の変化が大きな影響を与えていることは確かです。ところで、感染症のほうも減ったとはいえ、完全になくなることはないんじゃないですか。
岡田 自然界でのウイルスのサイクルに注目すると面白いことに気がつきます。インフルエンザウイルスが良い例になりますが、スペイン風邪と呼ばれる1918~9年の大流行で2000万人が死んでいます。ところが、その後は香港風邪とかいろいろ問題にはなりましたが、パニックになったことはない。この理由の一つは、問題になった強毒型のウイルスが弱毒型に比較的短時間(数十年)の間に変異したからです。1936年以来、ヒトから分離されたインフルエンザウイルスは、香港型を含めてすべて弱毒型の遺伝子を持つものばかりです。自然界ではどうも宿主まで殺してしまうような強毒型よりも、宿主と仲良く生きてゆける弱毒型のほうがエコロジカルに優位に立っていくようです。
現在、人類にパニックを起こしているのはエイズウイルスですが、現在までに採取されたウイルスはすべて強毒型の遺伝子を持っています。これもたぶん時間がたてば温和な弱毒型に移行してゆくのでしょう。その頃にはまた次の異なったウイルスの感染症が現われ、人類はそれとの対決を迫られるのではないですかね。だから、どう転んでも感染症との縁は切れないでしょうね。また人類の社会環境、生活パターンの変化が新しい感染症を引き出す一つの要因になるかもしれない。
自然界の健康を破壊した技術にたけたガン細胞
尾前 その自然界にとっては人間はガン細胞のようなものではないか、と私は思っている(笑)。これほど自然の輪廻から遊離した勝手な存在はないんじゃないかな。それに、ものすごい勢いで転移もするでしょ、飛行機で。
岡田 なるほど、それが転移か(笑)。
尾前 いつかは罰があたる(笑)。それが間近に来ている気さえしますね。人間は自然界のお世話にならないと生きていけない大命題があるのに、今そのバランスを崩している。自然界が健康でないと人間が健康でいられるわけがないんですよ。子供にまでいろいろな影響が及んでいます。人為的なライフスタイルはどこかに無理がくるのではないでしょうかね。ですからこれからの健康問題は、環境というベースに立ち返って考えなければいけないということを、患者さんを診ながらもつくづく感じます。成人病・老人病は人が長く生きるために起こるので、予防の基本はライフスタイルにあります。もっとも、完全に予防しようと思ったら早く死ぬしかないということになるかもしれませんが(笑)。
それと、これも危機感をおおいに持っていることなんですが、最近の技術偏重の傾向ね。先年、屋久島の杉を見る機会があって思ったんですが、千年以上を生きてきた屋久杉が、たった一本の電気ノコギリで一瞬にしてどんどん消されてしまう可能性がある。こういう技術の使い方をする人間とは、あるいはガン細胞よりもっと悪い存在かもしれません。どこかでブレーキをかけないとまずいですよ。科学技術が進歩することはいいことなんだけど、本当の意味で進歩していないからいろいろ問題が出てくるんですね。
岡田 技術がひとり歩きしている面は多々ありますね。ひとり歩きで生じた公害を、また科学技術でなんとかしようとする。公害対策の技術では日本は世界の最先端を行っているという気がしますね。たとえば外国の空港は排気ガスの臭いが気になるけど、日本ではそうでもないでしょ。
尾前 それは言えますね。でも医療の面では、今インフォームド・コンセントの不在が問題になっています。昔はこういったことを口にしなくてもよかったのですけど。今のように医療機器がなかったから、医者は患者さんとの対話からしか情報を得られなかったわけで、その意味では昔の医者のほうがよほど患者さん全体を知っていたと言えますね。
岡田 本来、医療とはインフォームド・コンセントなしには考えられないものだから、それが問題になる状況自体がおかしいですね。
尾前 いくら最新の機器がたくさんあっても、人間はやっぱり人間と話をしないと満足できませんからね。医療で一番大事なのは患者さんの味方になってあげることです。医者は病気を本当に治すことはそんなにできないんですよ。だが手助けはできる。患者さん自身が体の中に治す力を持っているからこそ治るのであって、それがなければ治らない。「医療はときに治すことができる。やわらげることはしばしばできる。慰めることはいつでもできる」という言葉があります。
岡田 ほう、いい言葉ですなあ。
尾前 18世紀のフランスのパレという有名な外科医の言葉と聞いていますが、医療とは現在でもそういうものだと私は思っています。今、盛んに言われているクオリティ・オブ・ライフというのは、こういう認識を持つことが出発点になるんじゃないでしょうかね。同時に、ターミナルケアについても、なかなか難しい問題があります。管を体中からぶらさげて生きている状態をスパゲッティ症候群などと呼ぶ人がいますが、いかに生き、いかに死ぬかという、最も人間としての深い問題がそこに生じています。医療技術の進歩がもたらした新たな悩みですね。
尾前照雄 氏
国立循環器病センター総長
1926年、韓国生まれ。50年九州大学医学部卒業後、54年同大学付属病院助手。57〜60年オハイオ州クリーブランドクリニックに留学。71年九州大学教授。79年同大学医学部付属病院長。83年国立循環器病センター病院長、90年同センター総長、95年より名誉総長。専門分野は高血圧症とその合併症。著書は『血圧の話』など。受賞は西日本文化賞、勲一等瑞宝章。
技術においてきぼりをくった人間はどう主導権を回復する?
岡田 このあいだアメリカへ視察に行ってきたんですが、遺伝子を改変したブタの心臓や腎臓など首から下の臓器なら何でも、ヒト、患者の臓器移植に利用しようという。私は唖然としたんですが、知的衝動というのは何でもかんでもやってしまうことがあるんですねえ。
尾前 アメリカの人というのは、死んでしまえばモノだと割り切るところがありますからね。だから、体が残らないほど全部臓器を提供するケースもありますが、日本ではそこまではまだちょっと距離がありますね。しかし、いくら移植が進んでも、脳の移植だけはできないことだと思います。脳を移植するということは脳以外の身体を全部もらうことですから、移植という言葉にはなじまない。
生命は調和しているからこそ生命です。ですから、全体として調和するかどうかが、これから移植医療が真剣に考えなければならない問題点だと思います。たとえば若い人だと、どこか一カ所だけ悪くなった部分を取り替えればいいわけですが、老齢になると、亡くなったときの死因も決められないほどあちこち悪くなっていることが多い。そういう面では移植にも限界があるわけです。
岡田 一つの医療技術ができたとき、そのバックグラウンドを医者も患者もどれだけ理解して受け入れられるかですね。現状では技術と患者側との距離が大きくて、どういう治療を望んでいいのかわからない。医者のほうも機械があるから使う(笑)。双方の意思がそれほど疎通していないんですよ。だから、バックグラウンドを誰もがうまく理解できるように、技術に対する評価はやはりちゃんとつけるべきだと思います。この作業を、中立の機関である千里ライフでやっていこうと……。
尾前 技術と人間を結びつけ、人間が技術をコントロールするための必要不可欠な作業ですね。車にたとえていえば、ものすごいスピードが出るエンジンが開発されたとすると、それをコントロールするブレーキとハンドルも総合的に性能を向上させないと非常に危険ですものね。ぶつかってから気がついたんじゃ困るわけです。
今の時代はひたすらスピードをあげる方向に進んでいるけど、それをコントロールする人間の知恵がついて行っているかどうかですね。そういう怖さを秘めたものだという反省を常に持っていないと危ないと思うんです。
ですから今この時期に、コントロール機能の働きをするところとして千里ライフができたというのは、非常に意義が深いと思います。
人間の英知を結集すればライフサイエンスの展望は拓ける
岡田 サイエンティフィックな新しい発見が出てくるのはいいことですが、病気に関するものとその他の自然科学に関するものとでは受けとめ方が非常に違うと思うんですね。体に関係ないものは面白い現象として受け入れられるけど、体に関係のある発見はただただ被害意識をつのらせるばっかり。
これには報道の仕方にも問題があって、バイオのデータを危機感を与える材料に使いすぎているきらいがあるんですね。たとえば人間の体にはガン遺伝子が眠っていて、それが動きだすとガンになるという情報を流されると、人間の体とはそんなに不安定であぶなっかしいものなのか、という不安な気持ちで一般の人は自分の体のことを思うようになる。こんなふうに、こなされていないナマの情報がそのまま流されるから、いたずらに危機感をあおることになるんです。
でも私自身は、人間の体ほどうまくできているものはないと思っていますよ。ちょっとやそっとのことではへこたれない、堂々とした生き物なんだと。
尾前 車はせいぜい10年しか使えませんが、人間の体は60年、80年と使えますからね(笑)。しかもその間に成長もする。
岡田 ライフサイエンスというのは、自然の仕組みの素晴らしさを知ることが基本だと思いますね。で、これほど素晴らしい仕組みを持っている自分の体をもう一度見直そうというのが公開講座の趣旨なんですが、そのプログラムを全部組んでくださったのが尾前先生でして……。
尾前 明るいプログラムにしてくれという注文で私も困りましたよ(笑)。ガンの話を聞くと誰でも暗い気持ちになりがちですが、そこを明るい気分で帰っていただくということですからね。でもこれは非常に大事なことです。確かに先生がおっしゃるように、脅すだけでは前向きの展望は持てません。ライフサイエンスというのは人間の生き方を総合的に考えるサイエンスで、すべてのものが調和する中で人間も幸せに健康に生きていくことを目指すものだと私は解釈していますが、それをどう具体的に進めていくかは非常に英知がいることだと思います。
岡田 それを工夫するだけでも意義がありますね。
尾前 この千里の地にはいろんな分野の人が集まっているし、施設も立派なものが多いし、そのコミュニケーションの中からいろんな知恵が生まれてくるでしょうね。
岡田 これからはボケ問題への対応として、脳の機能と人間の行動との相関を解くデータが欲しいところですが、こちらの循環器病センターでお年寄りとの対応の中からいろんなデータが蓄積されると思います。そうすると、千里はますます面白いところになる。
尾前 アメリカでも、1990年代は脳の時代だと大統領が宣言しています。それだけ脳に関心が持たれている。当然、研究人口も増えますので、サイエンスのレベルでの解明がこれからどんどん進むでしょうね。
岡田 人間だけが特別に発達している部分、それが脳で、今まで実験医学ではどうしようもなかったんだけど、PETのような測定器具が開発されて外から観察できるようになった。そういう観察が、ここの病院にとっては一番大切なものになりそうですね。
尾前 心臓は取り替えたり人工心臓で代用できたりするけど、脳はそれができませんからね。“人間この未知なるもの”というのは脳にあるんじゃないかな(笑)。それが人間の人間たるゆえんですが……。
岡田 知識欲の対象として残っている大きなものは、脳と宇宙ですかね(笑)。