LF対談
市民には正確で積極的な情報公開を、
研究者には多彩な研究交流の場を。 No.6(1992.4)
朝日新聞大阪本社科学部長
吉田幹則 氏
財団法人 千里ライフサイエンス振興財団
岡田善雄 理事長
基礎研究振興の社会的アピールをジャーナリズムに期待
千里ライフサイエンス振興財団が発足して20ヵ月余。名前も活動成果も徐々に浸透しつつあるのだが、
もう一つ実体がつかめないという声も…。
そこで今回はゲストに朝日新聞大阪本社の吉田科学部長をお招きし、
ジャーナリストと市民との目で、改めて財団の実体に迫っていただきました。
人間の情念まで包み込む科学、それがライフサイエンス
吉田 千里ライフサイエンスセンター、千里ライフサイエンス振興財団、この名前を最近あちらこちらで耳にするようになりましたが、何をするところなのか、もう一つ具体的なイメージがわかないんですね。そこで今日は岡田先生に、そのあたりを具体的にお話いただけたらと思います。まず「ライフサイエンス」という名前の意味からですが……。
岡田 「ライフサイエンス」の名付親は元大阪大学総長の故山村雄一先生で、先生の語録の中に簡潔明瞭に説明されている部分がありますので、そこから引用しますと、ライフサイエンスとは心の問題もひっくるめて人間が幸せになるための“いのちの科学”なんだと。バイオテクノロジーはこれを進める有力な武器であるけど、その発展が目的ではない。科学技術が進歩すると、とかく人間不在になりがちだけど、我々はクオリティ・オブ・ライフを向上させる科学技術を求めている。その答えがライフサイエンスにある、ということなんですね。
自然科学というのは人間の感情や情念の入らない一般論ですが、人間には一般論では処理しきれない部分がたくさんあります。そういう人間的な部分まで幅広く盛り込んだ新しい形のサイエンスがあってもいいんじゃないかと。こういう動きは、実は自然科学の旗手である理論物理学が「不確定性原理」という概念を導入せざるをえなかったことにも現われています。不確定性というのは、それまでのサイエンスからするとサイエンスではないんですな(笑)。あの世界的に有名な車椅子の理論物理学者ホーキング博士の理論にも、明らかに彼の情念が入っています(笑)。自然科学は「明確さ」というイメージに集約される雰囲気を持つように思われがちですが、そんな簡単なことではないわけです。
吉田 そこでサイエンスのベースをもう一度見直そうと……。
岡田 そういうことです。つまり、個々の人間の体験から出てくる情感が入り込めるようなサイエンスも存在しうると。またそれが必要な時代になっているというわけです。そういう分野を山村先生は「ライフサイエンス」と名付けられたわけですが、その当時、先生ご自身ガンの苦痛と闘っておられましたから、きわめて人間的な感情にも対応できるライフサイエンスへの期待は切実だったと思います。
吉田 生命現象の解明とその応用としての医学ということで見れば、治療というのはこれまで主に延命に焦点が当たってきたけれど、生命現象とは情念とか哲学とかそういうすべてがからまり合ったものだから、それにどう対応していくかがライフサイエンスの立場からの治療になるんですね。
岡田 まったくそのとおりだと思います。ただ、人間の情念だけをうんぬんすると宗教的になってしまいますが、これはサイエンスですから、具体的な問題提起とそれを判断するための自然科学的な根拠を提示し、起承転結をはっきりさせる努力が必要です。
吉田 そういう自然科学的な姿勢を根底に持つところが、宗教的なものと一線を画するところですね(笑)。
岡田 人間というのは情念を吐き出すとホッとするんですね。キリスト教には告白という情念を吐き出す場所がありますが、今の日本にはそういう場がない。しかも、生まれてから一貫して、弱みとかマイナス面を外に出さないような訓練を受ける(笑)。しかし、これからライフサイエンスを振興していくには、まさにネガティブな面、マイナス面のところも大きく意識していかなければならないと思います。
研究サポートのシステムづくりにリーダーシップを
吉田 千里ライフサイエンス振興財団の事業の一つに研究助成・支援事業というのがありますが、その中で新たに独創的な研究への助成ということを検討中だとか。これはどんなものになりそうですか。
岡田 研究助成事業では、ライフサイエンス分野の研究に携わる個人・団体に対して研究費助成をすでに実施しています。これとは別に表彰・奨励という部門で、独創的な研究に対する「千里生命科学賞」と若手研究者向けの「奨励賞」というのを目下検討中なんですが、実は生命科学賞のほうは交付対象者を選ぶのがちょっと難しそうなんです。というのは、何が独創的な研究かというのを判断するのは至難の業でね。今後、どのようなやり方がよいのか勉強していきたいと思っています。
私が細胞融合を発見したのは20代の若いときでしたが、その頃はみんな金がなくってね、朝日新聞社の学術奨励金をいただいたおかげで息をつけた(笑)。私自身、助成のありがたみを知っているだけに、なんとか実現したいと思っています。そこで当面の支援の仕方として考えているのは、対象範囲を「体の科学」にしぼって、その研究がどれだけ、いわゆる「天の時、地の利、人の和」という条件を満たしているかを一つの判断基準にして、研究グループをピックアップしようと。それをエンカレッジし、組織化のサポートをし、また財界や政府に助成を働きかける、という作業ならできそうだと思っています。
吉田 独創性ということで、たとえば従来の発想では医学なり生物学の範疇にはなかったようなアイデアでの研究をピックアップする、ということは可能でしょうか。
岡田 うーん。医学固有のものがあるかどうか、実はクエッションマークなんですよ。医学というのは、他分野の最先端の発見や技術を取り入れながら進歩してきたもので、これから先もそうだと思います。その中で、より有効でより温和なものがセレクトされ残っていくのですが、クオリティ・オブ・ライフの向上をめざすライフサイエンスの視点から見て、50年後まで生き延びている方法論がどれほどあるかですね。びっくりするような研究が毎年毎年出ることはないし、10年に一回出るかどうかでしょうね。それも、ある程度形ができてからわかるのであって、スタート時点では価値判断は難しいと思います。
これからは医学の研究分野でも、大きな装置、お金のかかる装置での研究がますます増えてくるでしょうから、そのバックアップシステムをつくるのも大変な時代になると思いますね。
吉田 千里はいずれ脳研究のメッカになるだろうと言われるほど、地の利にも人材にも恵まれているところですが、この研究分野でのバックアップ構想はいかがですか。
岡田 これもやはり財団が単独でできる範囲には経済的な面でも限度がありますので、たとえば京大・阪大・神戸大といった実力のある大学とか、さらに京阪奈・千里・西播磨という学研都市やテクノポリスとの相互コネクトの中で、財団がサポートシステムづくりの音頭をとっていく形がとれればいいと思っています。
吉田 人材の結集はどのようになさるのでしょうか。
岡田 中心になってほしい人は具体的に頭の中にあるんですが、やっぱり人材を揃えるのに10年はかかるでしょうね。それと、いかに政府・財界の評価に結びつけるかという問題もありますし。
吉田 我々新聞のほうで構想の重要性を紹介すれば、少しはお役に立つかもしれませんね。ある程度社会的にアピールしたほうが、こういうことはやりやすいんじゃないかと思います。
岡田 ぜひお願いしますよ。
吉田幹則 氏
朝日新聞大阪本社科学部長
1943年、広島県生まれ。66年一橋大学社会学部卒業。同年朝日新聞社入社。大阪・東京の経済部次長、東京科学部次長などを経て、90年大阪本社科学部長。社会科学系出身者ならではの感覚で、科学オンチにもわかるような記事を部員に要求する、市民の心強い味方。
千里の「赤ちょうちん」をめざすサロン
吉田 財団事業としてこれもかなりウエイトが高いと思うんですが、異分野交流の場として運営されるサロンは、どのような形でお考えでしょうか。
岡田 アメリカのシリコンバレーが成功した最大の理由は「赤ちょうちん」だと言う人がいて、アメリカも一緒やなと思いましたが(笑)。まあ先ほども言いましたように、人間は自分のマイナス面も出さないと詰まっちゃうんですよ。研究面でも同じで、オープンに相談できることは大事なことなんです。解決策が出なくても、言葉に出すことによって頭の中が整理できます。そういう場所としてサロンを考えているんですが、研究者だけでなく文化人や一般の方にも参加していただいて、「赤ちょうちん」の自由でホッとする雰囲気をつくりだせたら面白いなと思います。そこまでなるには時間がかかると思いますが。
吉田 囲碁のトップクラスの棋士の話ですが、棋士仲間で話しているときより、経済界の人や学者さんたち異分野の人と雑談しているときにフッとひらめくものがあって、一段と強くなることがある、というのを何かで読んだことがあります。ですからサロンの場合でも、たとえば棋士たちを呼んで話をしている間に研究者が逆にひらめきを得る、ということもありえますね。
岡田 そういう雰囲気をつくるための、何かいいアイデアはありませんか(笑)。
吉田 参考になるかどうかわかりませんが、我が社で月1回程度、編集局の勉強会がありまして、上方芸能の人とか大学の先生とかをメインスピーカーとしてお招きして、話を聞いたあとその話題で雑談するということをやっております。この勉強会に行けば面白い話が聞ける、面白い人に出会えるということで、これは私も非常に楽しみにしていますね。
岡田 なるほどねえ。千里ライフでも検討してみなくちゃいけませんね。
吉田 それから、近年「朝食会」というのが盛んに行われていて、東京ではもうあちこちでやっていますね。いろんな業種の人が集まって朝食を食べながら情報交換をする、いわば情報の集散地といった感じです。こういう形式も考えられるんじゃないでしょうか。サロンにしても一つだけのイメージじゃなくて、いろんなのを組み合わせると面白くなると思います。そこからまた新しい形が出てくるかもしれないし。
岡田 出発点から私の言っているようなことは無埋ですからねえ(笑)。報道機関というのは、情報源として一番強いと私は思うんですね。千里ライフはこれからいろんな意味で助けてもらわなきゃならないと思いますが、大きな行事として、10月に千里ライフサイエンスセンタービルの竣工を記念した事業を計画していますので、そのときはまたよろしくお願いします。
それと、市民公開講座をこれまで血圧、ガン、心臓病とやってきましたが、いずれも一般の人に大変わかりやすく好評でした。これらをなんとか本にできないかと考えているんです。橋田壽賀子さんとの対談のとき、ぜひテレビで公開してほしいとも言われたんですが、私としては印刷物にするほうが効果が大きいと思うんです。それに公開講座以外の活動の中からも印刷物にして残していきたいものも出てくるでしょうし、それらを私が理解しているようなライフサイエンスのニュアンスで統一して出版できたらと思っています。そうしたら少しは世の中のお役に立つかもしれない(笑)。しかし千里ライフ独自で出版ということはまだ無理なんです。報道機関ではこういう出版の相談にも乗っていただけるんでしょうか。
吉田 たとえば我が社にも出版局がありまして、常にいい著者や本を探しています。今の時代は健康問題には特に関心が高いですから、一般向けでかつやや詳しいものとなると喜ぶんじゃないかと思いますよ。
岡田 それから、サロンで話題として取り上げたサイエンティフィックな情報を、広く一般の人にわかりやすい形でフィードバックしたいとも思っているんです。というのは、サイエンティフィックな情報がナマのまま流されると、誤解しか生まないんですね。そのバックグラウンドはこうで、全体としてはこういう見方ができるというように、その情報に一つの価値判断をつけて全体像を明らかにする作業が必要なわけです。これを千里ライフのサロンでやっていこうと。
同時に、ナマ情報でも正しく受けとめられる下地をつくることが大事で、この訓練の場として市民公開講座を開いているわけです。そういう訓練のできる組織がなければ、自然科学立国はありえないと思うんですね。こういう社会へのフィードバックに、報道機関の持っておられる機能をおおいに利用させていただきたいと(笑)。
吉田 サロンには科学記者が出入りすることになると思いますし、場合によってはお役に立てると思います。それと、日本の基礎研究分野の弱さは海外からも指摘されており、我々ジャーナリズムとしても社会的アピールにますます力を入れなければならないと思います。そこで、報道の情報源となる千里ライフの活動におおいに期待することになるのですが。
岡田 これまでの日本の研究というのは、アメリカの流れに乗せてもらってやってきたのですが、ここらで一つぐらいは日本の地の利と人の和から生まれてきた独自の研究、つまり脳研究の分野ですが、これの歯車を回してみたいという気がしますね。その音頭取りを千里ライフが中心になってやっていこうとしているんですが、それにはやはり、全体的な雰囲気の盛り上がりがないと難しい面があるんです。たとえば、今は個々人のレベルで研究をやっていますが、それを総合的に展開するには雰囲気の盛り上がりがどうしても必要です。それには報道機関で取り上げていただくのが一番だと思ってますね。
吉田 そこでちょっと気になるのは、どの程度の情報を公開してくださるかということなんです。今、医療の権威主義、密室性というのが市民感情を害していて、移植医療では医師不信という形で出てきています。ですから、千里ライフが関わるサイエンスの部分では、不信感を生み出さないような情報公開の仕方をしていただきたいと思うわけです。
岡田 ご期待にそえるよう努力したいと思いますので、どうぞよろしくお願いします。