LF対談

木のいのち、人のいのち No.14(1994.9)

宮大工棟梁
西岡常一 氏

(株)鵤工舎代表
小川三夫 氏

財団法人 千里ライフサイエンス振興財団
岡田善雄 理事長

飛鳥の工人の素晴らしい知恵

岡田 以前、西岡棟梁の『法隆寺を支えた木』という本を読んでずいぶん感激しまして、ぜひ一度お話を聞かせていただきたいと思っていました。それで、今回の小川さんも交えた鼎談が決まってから、実は法隆寺は小学校の修学旅行で一度来ただけだったので、もう一度ちゃんと拝まないといけないなと思い、家内と2人で3週間前くらいに来たんです。本当に素晴らしいところでした。法隆寺はもうできてから1300年くらい経つんですか。

西岡 1350年くらいですかな。

岡田 何回も建て替えられてるんですか。

西岡 200年ごとぐらいに屋根修理はやってますけど、軸部はそのままです。柱、梁、桁はそのままですな。

岡田 昭和になって大規模な解体修理が行われましたね。

西岡 そうですな。飛鳥時代の建物と共に、室町時代の建物も昭和には解体修理をしなければならない程いたんでいたんですな。しかし、飛鳥の建物は1300年もちましたが、室町の建物は600年で解体修理しなければなりませんでしたのや。飛鳥の人の技術というか、考え方がいかに素晴らしかったかということですな。

岡田 そうですか。本では檜を選んだことが素晴らしかったと書いてあったと思いますが、飛島の人はどうして檜を選んだのでしょうか。

西岡 神代から瑞宮(宮殿)は檜を使えという伝承がありますので、それを伝えているんでしょうな。

小川 『日本書紀』にそう書いてあるんですよ。スサノオノミコトの髭をまいたら杉になった。胸毛をまいたら檜になった。尻の毛をまいたら槙になった。眉毛をまいたら楠になったと。そして、杉、楠は浮宝(船)に使え。檜は瑞宮(宮殿)に使え。槙は棺、棺桶に使え、と書かれているんです。しかし、その頃にもう用途までわかっていたというのは、たぶん立証ずみだったからなんでしょうね。

岡田 そこまでに、もうずいぶん歴史があったということですね。

西岡 そうでしょうな。

小川 そして、檜という木は伐採してから、200年くらいは強くなるんです。強くなって、それからしだいに弱くなるんですよ。そうすると、伐採したばかりの木と今、法隆寺で使われている木は同じ強さなのかもしれない。強さからいえば。それを知ってて、檜を使ったという知恵がすごいと思います。

岡田 確かにすごいですね。

小川 だから、法隆寺の建物は1350年ももっている。本当に使い方がよかったんですね。また、法隆寺の大工の口伝に「木は生育の方位のままに使え」というのがあります。柱は1本の原木からだいたい4本くらいとれるんですが、自然のまま、東西南北そのままに使うんです。棟梁、これ本当にそうやったんか。

西岡 そうやな。結局、南面の柱には節が多いんやな。

岡田 節の多いほうには枝が出ていたので、そっちは日が当たるほうだと。

小川 だから、南になるわけですよ。そして、南はそのまま南に使っているから強い。しかし、今の人は見栄えを考えて違うところに使う。そういうふうな感じになります。室町からはそういう使い方をしたので、寿命が短くなったというのですよ、棟梁は。

岡田 そうですか。室町の頃から格好の良さを気にしだしたわけですね。

西岡 そうですな。

小川 ただ、室町の頃に道具は発達してきます。本当の自然のもの、構造の美じゃなくて、技術に頼るようになる。手先の込んだものに変わった時代なんです。

岡田 そんな話を聞きますと、身につまされますね。科学技術の進歩と共に医学もずいぶん発展し、個々の病気にはうまく対処できるようになってきました。しかし、一方では生命を単純に規定(画一化)しすぎたきらいがあり、一生という長いスパンの問題では、昔にはなかった問題を新しく抱えるようになりました。難しいものですね。西岡棟梁は昔のものを解体されて、そこのところで、昔の大工の方々の心が浮かびあがってきたということなんでしょうか。

西岡 そうですな。解体していくと、昔の人がこういう考えで、こうしたんだ、ということがはっきりわかってきますな。

岡田 しかし、それもやっぱり西岡棟梁だからわかるので、普通の人が解体したんじゃわからんのでしょうね。たぶん心が通じないと思います。

〈いのち〉と〈こころ〉の拠り所

岡田 結局、人間というのは今の生命が終わるとそれでもう終わりですが、木の場合は2回目があるんですね。そういう意味での生命というものを、西岡棟梁はどんな感じで心にしまわれているんでしょうか。

西岡 木の生命というものを考えるときに、実際に使われているものを見ていくと、いかに木の生命というものは強くもあるし、また大事でもあるかということがわかってきます。結局は、あまり人間が手を加えず自然のままに生かす、ということになるんじゃないかと思いますな。

小川 生命ということでいえば、棟梁は薬師寺の金堂のときに台湾に行って、自分で木を切ったんだろう。この木、この木と言って。2000年も立ってる木を前にしてどんな気持ちになったの?

西岡 やっぱり、そりゃ神様やな。材木という感じはしないな。

岡田 僕は中国の歴史を読むのが好きなんですが、『三国志』で魏の曹操が宮殿を作る場面で、家臣に大きな梨の木を使えと命令したんです。しかし、誰も切ることができない。それで、曹操自身がまず傷をつけて切らせたところ、曹操はたいへんうなされて結局死んでしまったという話がありました。やはり、非常に神々しいと感じるものなんですか。

西岡 そうですな。

岡田 そうですか。台湾には2000年くらいの檜はいっぱいあるんですか。

西岡 天然林に行けば、5、6本ポツポツとあります。

小川 やはり樹齢2000年くらいの木になるとまわりの木の養分を全部吸い上げているわけですから、ポツンポツンになるんですよ。

岡田 そうですか。

小川 それに棟梁は、2000年立ってる木にはやはり2000年の風格があると言っています。2000年立っていても、枝ぶりが見事で葉がしげっている若々しい木というのは、実は中が空洞なんだそうです。

岡田 外見は、若々しく見えても……。

小川 中は空洞なんです。外側が真っ白でも中が腐ってない木が、2000年の風格をもった木なんですね。僕は聞いただけで実際に見たことはないんですが。

岡田 そう言われると、年をとるのもそう悪いことではないですな(笑)。

小川 しかし、棟梁、それは本当にわかったんかい。木を見て。

西岡 ああ、そやな。からだの力が変わってきたな。

岡田 そうですか。何か生命というものをどう考えるかというときに、今はテクノロジーが進んで、心の拠り所みたいなものがなくなり、非常に不安定な世の中なんだろうなと心配してるんです。しかし、西岡棟梁や小川さんの本を読んでますと、心というか生命の拠り所みたいなものが非常にしっかりあるように思うんですね。
また、これからは文明と自分自身の生きざまのバランスみたいなものが、さらにうまくいかなくなるんじゃないかと思っていまして。そんなことを考えると、やはり木ですとか植物のほうが堂々としてますね。当財団は千里の万博跡の近くにあるんですが、春になると若芽がブァーッと伸びてくるんですよ。

西岡 そうですか。

岡田 そうすると圧倒的で、なんか人間というものはどうもそれにはかなわないなと。しかし、法隆寺の1350年という流れをみると、そこにはいろんな方々が携わってきたんでしょうが、非常にしっかりしたものを感じます。そのようなものをこれからの人たちが持つというのは非常に難しいでしょう。だから、日本人はやはり法隆寺みたいなものが、これからも一つの拠り所になっていくんじゃないかと思うんです。

西岡 そうでしょうな。

岡田 法隆寺は解体修理されてから、また1000年以上もつわけですか。

西岡 そうですな。大丈夫ですな。

岡田 それはすごいことですね。

  西岡常一 氏

西岡常一 氏

宮大工棟梁

1908年、奈良県生まれ。宮大工棟梁として、法隆寺金堂、法輪寺三重塔、薬師寺金堂、同西塔などの復興や再建を果たす。文化財保存技術保持者、文化功労者。共著に『斑鳩の匠 宮大工三代』『法隆寺を支えた木』『法隆寺』『蘇る薬師寺西塔』、著書に『木に学べ』『木のいのち 木のこころ(天)』がある。95年、没。

  小川三夫 氏

小川三夫 氏

(株)鵤工舎代表

1947年、栃木県生まれ。栃木県立氏家高校卒業後、飯山の仏壇屋、日御碕神社、酒垂神社で修業し、69年、西岡常一棟梁の内弟子となる。法輪寺三重塔、薬師寺金堂、同西塔の再建に副棟梁として参加。77年(株)鵤工舎を設立し、全国各地の寺院の修理、改築、再建などで活躍する。著書に『木のいのち 木のこころ(地)』がある。

日本の木は育っている

岡田 西岡棟梁は宮大工をずっと続けてこられたわけですが、やはり宮大工として何かその心構えみたいなものがあるんですか。

西岡 やはり神さん、仏さんの宮殿を作るということですから、雑念とか俗欲は入れませんな。法隆寺の大工の口伝には「神仏をあがめずして社頭伽藍を口にすべからず」というのもありますな。

小川 普通の家を建てる人は家大工といいますが、家大工は依頼主の言うことを聞かなくてはいけません。しかし、自分たちの仕事は仏さん、神さんの宮殿を作ることですから、そちらのほうに魂を入れるということなんです。

西岡 そうやな。

小川 それに家大工との違いでいいますと、宮大工は大きな材料を使います。大きな材料だと木の癖もよくわかります。たとえば、四寸の柱で木がねじれるといっても、ほんの少ししかねじれません。しかし、大きな木ではねじれがものすごいですから。木の癖というのは、大きな木を使うからわかってくるんです。

岡田 そうですか。本を読んだときにも、大きな木というのは非常に貴重なものなんだと思いました。法隆寺を建てたときに植えた木でも、まだ2000年は経ってないわけですからね。

西岡 そうですな。

岡田 そういう意味では、木造というのは非常に賛沢なものですね。木はどうしても大きくなるのに時間がかかる。日本は山林率はずいぶん高いんですが、何千年という木になると、もう屋久島くらいにしかないわけですか。

西岡 何千年といえば、そうですな。木曽でも500年ですな。

小川 それで、今は植林で木を育てますでしょう。棟梁の言うには、植林の木は500年くらいの寿命だそうなんです。ところが、実生の木は1000年、2000年もつんです。

岡田 そうですか。それは困ったな。日本の山はもうほとんどが植林でしょう。

小川 だから、檜も植林だと500年くらい。実生なら檜で2000年。松や杉で900年、1000年まではいかないですけどね。

岡田 本当に賛沢ですね。しかし、この頃は山もずいぶん荒れてるなという感じがします。先日、高知県の過疎地帯を見せてもらいに行ったんです。そこはほとんど林業で生計を立ててきたところなんですが、もう林業では食べていけなくなったとおっしゃっていました。室戸のほうにある杉の林もずいぶん荒れているらしくて、やはり寂しい気持ちになりますね。

西岡 みんな自然を征服しようという考えでなしに、結局は自然に生かされてるということをもっと考えなあきませんな。

小川 棟梁は、今の山を生かす方法というのは何か考えられるかい。このまま荒れていってしまうほかないのかい?

西岡 いや、荒れさせんようにせなあかんな。

小川 じゃあ、どうしたらいいんだろう。

西岡 やっぱり、本当の植林をすることだな。

岡田 本当の植林っていうのは?

小川 自然の山では一種類の木だけ生えていることはないんです。それが今の植林は、みんな一種類でしょう。杉なら杉ばっかりの山にしてしまいます。たとえば、広葉樹が生えていれば冬に落葉して、肥料にもなる。また、落葉すると日の光が大地に注ぎます。今は大地に日が注がんから根腐りしてしまう。九州の山が大雨で流されたのもそのためです。あれは間引きしてやって、ちゃんと日が大地に注ぐようにしてあればもつんです。

岡田 そうですか。それは人間社会でもなんか考えられることですね(笑)。

小川 今、杉は外国から買うのと日本の木を使うのでは、費用が同じくらいらしいんです。それは日本の木が育ってきたからです。しかし、今は山に入って仕事をしてもらう職人さんが少なくなってしまった。育った木を伐りだす人がいなくなってしまったんです。
岡田 しかし、木は育っていると判断していいわけですか。

小川 もう、いい時代になっていますね。

岡田 そうですか、それはいい話を聞いた。そのあとの回転がうまくできなくなっているんですかね。じゃあ、今は苦しい時期だけど、若木を育てるように、日本の林業の将来を支える若い人をつくっていかないといけませんね。

小川 木でも、大きな木が育つ場所は栄養のない場所だそうですよ。

岡田 これは、いいことを聞いた(笑)。

小川 大きい木は栄養分の少ない岩場みたいなところに生えているんです。台湾でもそうだな。

西岡 そうやな。

岡田 樹齢2000年という大木が生えている場所というのは、そういう場所ですか。それはぜひ教科書にも書いていただかないといけませんね。しかし、宮大工さんですとか、そういう伝統的な技術を伝えていくのは、これからは大変なんでしょうね。

西岡 そうですな。

小川 しかし、その伝統的なことに対して、今度は学校とかってことになると、本当のものは受け継がれないんですよね。

岡田 いや、そう言われると痛い(笑)。確かに学校の教育は耳から入ってくるものですから。やはり手から、皮膚から入ってくるという形が必要なんでしょうね。今日は本当にありがたい話をお伺いしました。どうもありがとうございました。

 

 

EYES

木のいのち、人のいのち

日本は世界有数の森林国

世界的に森林が減少している中にあって、日本の森林は豊かに守られてきました。

たとえば、世界の森林面積は1966年以降10年間で0.1%減少し、75年以降15年間で3.4%減少していますが、日本の森林面積はこの30年間2500万ヘクタールを維持しており、森林率67%(陸地面積に森林が占める割合)は世界で最も高い水準にあります。一人当り国内総生産が1万ドル以上の国21カ国のうち、森林率が60%以上の国は、日本、スウェーデン、フィンランドの3国で、さらに国内総生産1兆ドル以上の国は、日本、米国など6カ国ありますが、日本を除いた国の森林率はおおむね30%以下なのです。

これは、林業を営む人たちが成長量以上の伐採を行わず、大切に人工林を育ててきたためです。1951年に497万ヘクタールにすぎなかった人工林は、1990年には約2倍の1,000万ヘクタールにまで増えました。さらに、森林の蓄積も、1966年に188,700万㎡だったものが、1990年には313,800万㎡に増えています。

このように日本の森林を守ってきた林業ですが、産業としては1962年に外材の輸入が自由化されて以来、衰退の一途をたどってきました。安い外材に押され、木材自給率は年を追うごとに減少し、現在では25%にまで落ちています。また、1980年以降は林業全体の採算が悪化したことや、他の産業との賃金格差も広がり、林業従事者の減少、さらには後継者の減少で、植林した樹木の管理が行き届かず、間伐期にある木が放置されて、ひょろひょろした木が生える山が増えるなど、多くの問題も抱えています。

しかし、その一方で環境保護の視点から森林資源が見直されはじめ、林業にこれまでにない期待が寄せられているもの事実です。

そのため、新しい林業の試みも行われています。例えば、以前は経済性を優先して、杉や檜など樹種を選んで植林したため、日本の人工林は針葉樹ばかりになって、保水能力が広葉樹の林(雑木林)に較べて劣り、災害の被害をうけていました。これに対し、針葉樹と広葉樹を一緒に植える植林方法や、一斉に伐採して禿げ山にならないよう、年度をずらして植える方法など、樹種からも樹齢からも複層林になるように、できるだけ自然林に近い人工林をつくる試みがなされています。また、賃金の安定化・充実を目的として、森林と河川、双方の業務を一体的に管理し、仕事の安定的確保を図る試みなどが行われいます。

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