LF対談

〈農〉と地球環境のゆくえ No.16 (1995.4)

東京大学名誉教授
田村三郎 氏

財団法人 千里ライフサイエンス振興財団
岡田善雄 理事長

中国の農業開発のお手伝いをする

岡田 地球規模での砂漠化とか農地の塩害の広がりが報道される度に、自然環境のバランスがいったん崩れはじめると、それをくい止めるのは容易なことではなさそうに思えて不安がよぎります。先生は戦後のきわめて早い時期から、中国との交流に力を入れてこられましたが、中国をモデルにして環境の崩れの実態とか、それをいかにしたらくい止められるか、にその力点がおありだったわけですか。

田村 いいえ、最初の頃はそう思っていませんでした。僕と中国とのつき合いはそれこそ戦後まもなくから断続的に続いていたんです。黄土高原、三河平原の日中共同研究を始めるまでは、文化大革命でおかしくなった中国の農業技術体系を立て直すため、まずは水稲栽培のお手伝いをしていたんです。それを5年間ほどやって、僕としてはうまくいったと思うようになりました。それで、中国科学院に他に何かないかと問い合わせて。うまくいったと思ったら、他のこともやってみたくなるでしょう(笑)。すると、黄河の中流地域に広がる黄土高原で今、土壌の浸食が進んで砂漠化が問題になっているらしい。僕はそのとき初めて黄土高原なるものの存在を知ったんですが、じゃあやろうということになりました。そこで、1988年から6年間、この高原に緑を取り戻すため、なんとか草を生やそうとしたんですね。10種類くらい生える草を見つけました。

岡田 それは、日本からも持って行かれたわけですか。

田村 世界中から集めました。そして、その共同研究の延長線上で三河平原の塩類土壌の問題の研究にも取り組むことになりました。三河平原は、黄河、淮河、海河の三つの川の下流域に広がり、中国の主要な穀倉地帯になっているんですが、塩類土壌が広範に分布し、農業生産の発展を阻害しています。ですから、その塩類土壌地帯の土壌改良と農業開発をめざして、1990年に研究を開始しました。

岡田 中国では、それをなんとかしたいとずっと思っていたわけですか。

田村 1983年頃、僕が中国に行ったときにはすでに新聞によく出ていたんです。塩類土壌地帯なんて日本にはないから、僕も実際には見たことがなかったんですけど。

岡田 それは、塩がふいてるわけですか。

田村 乾燥期は。そこで、塩類耐性のある牧草や作物を選抜しようということになって。

岡田 大変な作業だと思いますが、本当にそういうものをセレクトできるものなんですか。

田村 できますよ。麦なんか1万系統くらい世界中から集めて、それを10粒ずつ掻き混ぜてパーッとまいちゃう(笑)。すると、ちゃんと生えてくるものがある。

岡田 すごい実学ですね。

田村 塩の結晶が出るようなところではなかなか生えませんけどね。でも、実際に現地に行ってみると、塩がなければ生えないという雑草もあるんですよ。砂糖大根はかなり塩を含んだ土の中でも生えるでしょう。

岡田 それは知りませんでした。

田村 じゃんじゃん自分の中に塩を吸い込んじゃう。

岡田 そうすると、土壌改良にもなりますね。

田村 そうそう。中国流に気長に考えれば、何百年後とかにはね(笑)。

岡田 これはいけそうだという感じは持っておられますか。アメリカでも塩害はたいへん問題になっているようですが。

田村 基本的には乾燥地で灌漑農業をやったら必ず塩類土壌化するんですよ。メソポタミア文明の滅亡の頃からそうなんで、それが今アメリカでも起こっているんです。

岡田 それは、日本ではあまり考えなくてもいいことなんですか。

田村 日本の場合は水田農業だから。僕も初めてわかったんですが、水田というのはいいものなんですな。

岡田 やっぱり素晴らしいものですか。

田村 しょっちゅう水が流れているから塩類が溜まらないんですね。それに日本の場合はそもそも母岩の構造が違うのかもしれません。いろいろ勉強になります。

中国から地球環境問題を考える

岡田 日本の農業水準はかなり高いわけですね。

田村 かなり高い技術を持っていると思いますよ。農業の本質は植物による光合成ですよね。これは他の技術では置き換えられない。ですから、日本の持つ最大限の技術を使って現地でいろいろやってみることでしょうね。現地というのは非常に複雑なファクターの総合されたものですから。

岡田 それぞれ環境条件がずいぶん違うはずですね。

田村 大学の実験室なんかでやってることをそのまま持ってはいけないものなんです。すべて現地へ行かないと駄目ですな。

岡田 先生はいつも現地主義を強く言われますね(笑)。

田村 僕はもう風来坊みたいなもので。

岡田 だけど、先生はすべて建設的、前向きで見事だなあ。

田村 建設的というより、日本には理論家はいても、僕みたいに手配師のように人を束ねて現地に入っていく人がなかなかいないんですよ。

岡田 みんなが安心してついていけるような人がいないといかんということですね。

田村 時々おだてたりしながらね。定年になってから20年間、ほとんど手配師みたいなことをしてきました。手配師というと格好が悪いからそんなこと言うなとよく言われるんですが(笑)。

岡田 一つずつ積み重ねていくことはたいへん大切ですが、先生がやってこられたことを、もう現地の人に返してもそれは続けていけるものなんですか。

田村 いろいろ政治の問題もありますし、その土地の人々の気持ちも違いますからね。三河平原の人たちはものすごく熱心ですが。

岡田 それはありがたいことですね。

田村 だけど、いつも考え込むんですよ。何をおまえはそんなにガツガツ仕事をやっているんだと。今、中国の人はもっとお金を儲けることを考えているんじゃないかと。中国は資本主義の萌芽的状態で、沿海地域と内陸部の人々の貧富の差なんかもものすごく大きくなっている。だから、先生がさっきおっしゃったように我々は地球環境問題に対応する一つのモデルを見つけるために中国でやっているんだと、そう自分に言い聞かせないととてもできないところもありますね。

岡田 地球全体のいろんなことから考えると、中国は非常にいいモデルになるのでしょうね。人口が多くて、土地が広くて、それで今バブルが膨らんでいる。非常にはっきりしたモデルが中国にあるかもしれませんね。

 

  田村三郎 氏

田村三郎 氏

東京大学名誉教授

1917年、群馬県生まれ。39年東京帝国大学農学部卒業。62〜77年同大学教授。70〜77年理化学研究所主任研究員。富山県立技術短期大学長なども歴任。天然物化学の分野に生理活性物質という概念を取り入れた研究により、日本農学賞、学士院賞、文化功労者、文化勲章を受賞。日本学士院会員。中国との学術交流につくし、中国科学院より数回の表彰を受ける。著書は『現象の追跡−生理活性物質化学を拓く』など。

バイオで残るのは農学と医学だけ?

田村 今、盛んに基礎研究なんて言ってますけど、じゃあどうしたらいいのかというと、誰にもわからないようになっていませんか。どうなんでしょうな。

岡田 きつい質問ですね。まともには答えにくい。答えになるかどうかわかりませんが、「バイオの分野でこれから発展するのは農学と医学の分野だけで他の分野はだんだん衰微していくよ」と私に耳打ちした友達がいます。ただし、その友達は農学部の教授で、彼が医学部出身の私に言った言葉ですから、もちろん親方日の丸的であることを値引きせねばなりませんが。私流に解釈すれば、この2分野はともに多様な「明日の問題」を出発点にした学問分野で、目的さえ見失わなければ方法論は自由。幅広い可能性を探る意欲をかきたててくれる面白さがある、と言うことはできるでしょう。バイオにかぎらず研究目的と研究方法が決まってしまった分野では面白さの限界が見えてしまうところに弱みが見え、それとともに大声で自己主張をする必要が出てくる。

田村 医学と農学だけになると言ったら、またあちこちで文句が出るでしょうけど(笑)。だけど、僕も現役の頃はもっと不遜なことを考えていたんですよ。60年代でしょうか、生物学の中心になるのは医学と農学だと思っていました。しかも、農学というのは物を生産するんだから、いつも前を向いているはずで、生命の維持を考える医学よりずっと未来志向だと。だけど、それがだんだん狂ってきた。農学というのは一種の経済行為なんですよね。だから、作物が病気になれば焼いて捨ててもよい。ところが、人間の場合はそれができない。つまり、農業は食糧が余ればお役御免になるけど、お医者さんは常に一人ひとりの病人の命を守らなければならないから。そこのところが見通しが違った。

岡田 だけど、これから先のことを考えると農学は大切ですよね。

田村 どんな人だって何か食べないと生きていけないですからね。その一番もとは太陽エネルギーで、その関連で仕事を見つけていけば、いくらでもあるはずなんです。それを見失っているから、農学者は消耗しちゃったりするんだと僕はいつも言ってるんだけど。

岡田 確かに未来学に学問をもっていったほうが元気が出ますね。

田村 僕の専門の農芸化学も、農業化学でなきゃいけなかったんでしょうね。そのため、農業に対する視点を失ってしまった。植物を中心に考えて仕事をしなきゃいかんわけです。今は、それがどうですか。今でも微生物が中心になっている。だから、そんな重箱の隅をつつくようなことを微生物を使ってやったってどうにもならないよとよく言ってるんですよ。

岡田 もっと気宇壮大に。

田村 そうそう。学問的に切り換えなきゃいかん時期なんじゃないでしょうか。やっぱりこれから人間がどこへ行くのか、かなり広い目で見ていかないと。

岡田 なんとか若い人が元気が出るようにしてあげたいですよね。今日はお忙しいところ、どうもありがとうございました。

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現地主義のすすめ

岡田善雄

今日の対談の中に「現地主義」という言葉があったように、田村先生はバリバリの実践派で活力に満ちておられる。最近、地球環境問題が世界中でも大きく取り上げられ始めているが、先生は20年以上も前から、中国を通してこの種の問題に取り組んでこられた先駆者である。文部省が平成2年にスタートさせた大型国際協同研究「アジア・太平洋地域を中心とする地球環境変動の研究」の最高責任者も田村先生であった。70歳後半のお年になられていながら、先生はここでも現地主義を自ら貫かれ、中国はもちろん、タイ、マレーシア、ボルネオ、ニューギニア、あるいは南方の小さな島々へと研究、視察に飛び回っておられた。

医学の世界でも「現地主義」の大切さは論を俟たない。医学での現地は「ベッドサイド」である。ベッドサイドから実像を体験し、全体を把握する。そのことで自分自身に確固たる判断基準ができあがっていく。

情報化、映像化の氾濫する現状では、よりいっそう実体験の必要度が増しているのである。人間というのは面白いもので、自分の目の前に現われる諸々の事象に、無意識にでも、ウエイトの順番をつける。これは我々が現実に生活していくために、きわめて大切な作業で、これは個人個人のそれまでの体験(実学)があってこそ可能である。一方、価値の勾配をつけない知識というのはバランスを崩す。危険な短絡が平気で起こりうる。これは教育の問題でもそうだし、国際緊張にしても、自然科学、科学技術の分野でさえも当てはまる問題である。そして田村先生の現地主義に私はもろ手を挙げて賛成するのである。

最近、NHKのTV番組で放映された北米大陸中央の農村地帯や中央アジアのアラル海周辺の農村地帯の広範な塩害の実態は、大規模農業がある種の収奪型農業であることを端的に示しているように思えた。これを日本と比較してみると、日本の水田は稲の連作(2000年にわたる)を許す素晴らしい農業形態と理解できる。それだけではなく、廃棄物の自浄機能を兼ね備えた環境調和型農業である。その水田が日本から減り続けている。寂しい限りである。

 

EYES

中国の砂漠化を防ぐ

黄土高原・三河平原の日中共同研究プロジェクト

中国の黄河中流域に広がる黄土高原は、世界で最も広く、かつ最も厚く黄土が堆積している地域です。面積は58万㎢で、日本の総面積の1.5倍もありますが、過耕作、過放牧によって大規模な土壌の浸食が進み、このまま放置すればいずれ砂漠化するのではないかといわれています。そのため、1988年、東京大学名誉教授の田村三郎氏を中心とした日本の研究者グループが、中国科学院の要請をうけ、黄土高原の草地化、作物生産性の向上をはかるための日中共同研究をはじめました。

黄土高原の草地化をめざした実験では、約300種類の草類(主に雑草)の種子が日本や諸外国から集められて播種されました。その結果、中国側が選抜していた2種類のマメ科植物のほか、家畜の栄養となるため日本側が重視していたイネ科雑草を含む十数種の草類が好成績を示しました。

また、生産性の高い食用作物については、現地の住民の主食であるムギ類を中心に実験が行われました。世界各国から、コムギ717系統、オオムギ387系統、ライコムギ25系統、総計1129系統の種子が集められました。栽培条件は、現地の農民と同じく有機質肥料を基肥としてほかは無肥料、無灌漑でした。その結果、コムギ31系統、オオムギ41系統、ライコムギ7系統が好成績を示しています。

一方、黄河、淮河、海河の三つの河川の下流域に広がる三河平原は、面積が37万㎢と日本の総面積と同じくらいあり、中国の主要な穀倉地帯となっていますが、塩類土壌が広範囲に分布し、農業生産の発展を阻害していました。そのため、田村氏をはじめ日本の研究者グループは、やはり中国科学院の要請をうけ、それを文部省の国際共同研究のプロジェクトの一つとして組み入れた上で、三河平原の土壌改良と農業開発をめざして、1990年から日中共同研究を開始しました。

三河平原は、強度の塩類土壌地帯が147万haも分布しているといいます。このような場所では、冬から春にかけての乾季に塩類の結晶が地表面にまで析出し、雑草もほとんど生えません。そこで、1991年秋と1992年春、牧草を中心に約500種の草類の種子が集められ、塩類土壌地帯に播種されました。

食用作物については、黄土高原の経験にもとづいて、世界各国からコムギ、オオムギ、ライムギなどの種子が約1万系統集められ、1991年の秋に播種されました。系統数が多いため、系統毎の試験区はつくらず、各系統の種子を10粒ずつ取り出して混ぜ合わせ、塩類土壌地帯の畑の一面に播種されました。その中から耐塩性を示す株を選抜するのです。

塩類土壌地帯は、世界各地に広範に分布しており、三河平原の日本の研究者グループの活動は、土壌改良と作物生産性の向上について、世界的なモデルを提供する可能性を持つものと期待されています。

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