LF対談
ホスピスのめざすもの No.17(1995.9)
大阪大学人間科学部教授・淀川キリスト教病院名誉ホスピス長
柏木哲夫 氏
財団法人 千里ライフサイエンス振興財団
岡田善雄 理事長
死にゆく人々のケア
岡田 柏木先生が淀川キリスト教病院にホスピスをおつくりになったのには、どのようなきっかけがあったんですか。
柏木 大学卒業後、3年ほど大阪大学で心身医学の臨床と研究をしていたんですが、ちょうど3年目にワシントン大学に留学してOCDP(The Organized Care of the Dying Patient)に参加したんです。当時はアメリカでも新しい試みだったOCDPとは、末期の患者さんを医師や看護婦だけでなく、宗教家やソーシャルワーカーなどがチームを組んでケアするもので、一言でいえば死にゆく人々へのチームアプローチです。そして、帰国後、淀川キリスト教病院に精神科を開設したのですが、外科や内科の先生から、末期癌の患者さんの精神的な問題に対して相談を受けるようになりました。実際、患者さんにお会いすると非常にたくさんの問題を抱えておられる。これはチームで関わらないととても無理だと思いました。それで、アメリカでの経験を思い出して、日本でもできないかと。当時はまだホスピスのホの字も知らなくて、振り返って、ああ、あのとき知らずにホスピスを始めていたんだなあと。1973年のことでした。
岡田 チームづくりは大変だったんじゃないですか。
柏木 淀川キリスト教病院というのは不思議な病院で、Dr.ブラウンという医療宣教師がつくった病院なんですが、各臨床科の壁が本当にないんです。ですから、チームをつくるのも比較的簡単でした。大学病院のような各科の壁が厚いところではできなかったかもしれません。
岡田 そのチームケアからホスピスが。
柏木 1984年にスタートしました。
岡田 それが、日本では初めてのホスピスになるんですか。
柏木 プログラムとしてのホスピスは、73年にチームをつくったときにスタートしていたので日本で一番最初なんですが、施設としてのホスピスは二番目です。
岡田 ややこしいですね。
柏木 本来、ホスピスというのは建物ではなく、末期の患者さんがその人らしい生を全うするためのプログラムなんですね。ただし、一般病棟とは別にホスピス病棟ができたのは、81年の聖隷三方原病院が最初だったんです。ちょっとややこしいですが。
岡田 一般病棟とホスピス病棟の患者さんはどのように分かれるんですか。
柏木 第一に患者さん自身が選ばれます。
岡田 患者さんの希望ということのウエイトが一番高いわけですね。
柏木 はい。そうです。
岡田 もちろん治療もされるわけですよね。
柏木 原則として強い副作用を伴うような積極的な治療はしません。ただ、苦痛も緩和するための痛みのコントロールに関しては積極的にします。私たちは、それを症状のコントロールと呼んでいます。
岡田 柏木先生のことが書かれたものを読みますと、2000名以上の末期の患者さんを看取ってこられた人、日本で一番たくさんの死と直面された人と紹介されていましたが、やはりそれぐらいになりますか。
柏木 きちんと数えてはいませんが、2000名は超えると思います。
岡田 すごいなあ。しかも、それぞれの看取りの場ではいろんなことがあったでしょうね。
柏木 そうですね。人間は生まれてくるときはだいたい同じように生まれてきます。お産はそれほどバラエティに富んだものではないですね。しかし、人間の死に様というか死に方は実に千差万別です。若くして亡くなる場合と年をとってから亡くなる場合でもずいぶん本人や家族の方も受けとり方が違うと思いますし。多様性という点では人間の誕生と人間の死というのはずいぶん違いますね。
岡田 それにすべて対応していかなければならない。
柏木 チームがあるからできることだと思います。1人ではとても対応できないですね。
岡田 それで患者さんも安心できるんですね。
安易に励まさないこと
岡田 この歳になりますと、死というものがずいぶん気になってきました。ガンになるのとボケるのとどっちが得かとか(笑)。ボケのほうは家族に迷惑かけるけど、ガンのほうはたぶん本人が一番いろんな意味できついのかなと思ったりしますけど、そうでもないですか。
柏木 苦痛という点では、症状のコントロールがずいぶん発達してきましたのであんまり怖くないといいますか。以前は死ぬこと自体はそう辛くないんだけれど、苦しみながら死ぬのが嫌だという方が多かったんですが。
岡田 わかります。
柏木 その痛みや、苦しみということについては、ずいぶん緩和できるようになりました。専門的な施設にさえ行けば心配しなくても大丈夫ですね。
岡田 末期の患者さんへの対応の中で一番大切にしておられるのは、どういうことですか。
柏木 一言でいえば、安易に励まさないことだと思っています。
岡田 えっ、普通は励ましますよね。
柏木 励ますと、そこでコミュニケーションが遮断されてしまうんです。「頑張れよ」と言われたら、「はい」と言うしかない。励ました人は悪いことをしたと思わないんですが。
岡田 思わないですね。
柏木 ところが、患者さんに後から訊いてみると、もっと弱音を聞いてほしかったのに励まされてしまったので、二の句がつげなかったというようなことがあるんです。
岡田 そう説明されるとわかるような気がします。とにかく聞いてあげることですね。
柏木 そうですね。患者さんが弱音を吐ききるまで、会話を持続させることが基本だと思います。「もう、私はだめなんじゃないでしょうか」と尋ねられたら、「そんな気がするんですか」と返してあげる。患者さんが「そうなんですよ。なんかこの頃だんだん弱るような気がしましてね」と言われたら、「そうですか。少しずつ衰弱する……とそんな感じなんですね」と少し言葉を変えて会話を続ける。ただ、普通はそういう会話を続けることが、医師も看護婦も家族も非常に辛いんですね。ですから、励ましてしまうんです。しかし、患者さん自身は弱音を吐きたいと思っておられることが大きなポイントだと思います。
岡田 心の中の核心をついているような感じがしますね。
柏木 ええ、実は私もこの仕事を始めたときにはずいぶん励ましていたんです。教科書も何もなく、患者さんが唯一の教科書でした。そして、3年目ぐらいに卵巣ガンの末期の患者さんがそのことを教えてくださったんです。亡くなる1週間ぐらい前に「先生、何か役に立って死にたい」とおっしゃって、私は「今までの関わりの中で私はきっと何かまちがったに違いないので、それを教えてほしい」と言ったんです。そしたら「いや、一つあるんですけど、ちょっと言いにくいです」と言われるので、私は「この期に及んでなんですか」と言ってしまったんです。患者さんは笑われて「この期に及んで? そうですね。先生、頑張って言います。私の遺言だと思って聞いてください。2カ月くらい前に先生、私がもうだめなんではないでしょうかと言ったときに励まされたでしょう」と言われましてね。確かに私は「そんな弱音を吐かないで頑張りましょうよ。私たちも一生懸命やるから」と言ってたんですね。そのとき私は何も悪いことをしたとは思っていなかったんです。でも、患者さんは「あのとき、私はもっともっと先生に弱音を聞いてほしかったのに、先生に励まされたので二の句がつげずに黙ってしまいました。その後、本当にせつない思いをしました」と言われるんです。ショックでしたね。
岡田 そんな経験がおありになったんですか。
柏木 ええ。それが一つのターニングポイントになっています。
岡田 しかし、やっぱり信頼感があったんですね。その患者さんは先生に対して。
柏木 それだけ言ってくださるというのはありがたいですね。ただし、どんな場合でも励ましてはいけないというのではないんです。励ましが必要な段階の患者さんはしっかり励ます必要があります。しかし、末期の患者さんは自分自身これまで頑張ってこられてもう安易な励ましは通じないという状況におられるわけですから、どこかでギア・チェンジをしないといけないということなんです。
柏木哲夫 氏
大阪大学人間科学部教授・淀川キリスト教病院名誉ホスピス長
1939年、兵庫県生まれ。1965年大阪大学医学部卒業。同大学医学部精神神経科教室に入局。69〜72年ワシントン大学医学部精神科留学、帰国後、淀川キリスト教病院に勤務。臨死患者への精神的ケアに着目し、淀川キリスト教病院における実践活動の報告から始まって、多数の著作を発表。同院副院長、ホスピス長を経て、名誉ホスピス長。93年より大阪大学人間科学部教授。著書は『生と死を支える』など。
死の教育のすすめ
岡田 最近、死という言葉のついた本がたくさん出ていますが、ふだんの生活の中では死はいつも第三者的ですよね。テレビに映ってるものとか。
柏木 そうですね。自分の死じゃなくて、常に他人の死という形ですね。
岡田 何かカサカサしたものを感じるんですが、どうしたらいいんでしょうね。
柏木 私は死の教育が本当に必要だと思います。今は全死亡の8割が病院死なんですね。かつては家の中でおじいちゃん、おばあちゃんが衰弱して亡くなるのを子供たちは身近で見ることができたし、家族全体で悲しむこともできました。それが今はちゃんと勉強しないと死がわからない時代になっています。ですから、それを教育の場に乗せておかないと大変なことになると思いますね。
岡田 今は情報化社会の中で非常にカサカサした虚像ばかりになっているようで、これはやりようがないぞと思っていまして。しかし、その中で唯一はっきり具体的な実像として残るのはたぶん死なんですね。誰にも起こることですから。ただ、自分の死というのはなかなか意識できないものなんですね。
柏木 作家の柳田邦男さんが最近、一人称の死、二人称の死、三人称の死ということをよく言われています。一人称の死というのは自分の死です。そして、二人称の死というのは、配偶者とか子供とか身内の死。三人称の死というのはその他大勢の人の死です。その中で岡田先生が言われるように一人称の死は一番考えにくいものです。ただし、二人称の死を体験した者にとっては急に死というものが身近になる。柳田さんは息子さんを亡くして、自分の死をすごく考えるようになったと言います。しかし、その前に身内が死んだときにいったい人間はどのようなプロセスを経て立ち直っていくかということが、たとえ観念的であれ頭に入っていれば、ずいぶん助かるでしょう。実際、旦那さんを亡くした奥さんなんですが、死別後の悲嘆について書かれた本を読んでいたおかげで、ずいぶん助かったと言っておられる。ですから、やはり死を教育していくということが必要なんでしょうね。
岡田 死の教育というのは具体的にはどういうことをするんですか。
柏木 死にゆく人々はどのような気持ちで亡くなるのか、家族はどんな悲しみを背負うのか、それをどうケアすればいいのか、というようなことを教えられればいいのですが、私の考えとしては今は事あるごとに死の教育の大切さを訴えつづける時期だと思います。たとえば、私は学生をホスピスに連れていって、人々が亡くなっていく様子を直に見せています。ただ、それは人数的にも非常に限られます。ですから、教育の中にプログラムとして組み込まれる必要があると思うのですが、それは小学校の教科書に、ペットが死ぬように人間も必ず死ぬんですよという一言があるだけでもずいぶん違います。まず大学の医学部から手をつけるとか、今はできるところから手をつけていく以外にないと思っています。
岡田 今後は、一般病棟でもホスピスのようなケアを受けられるようにはなりませんか。
柏木 ホスピスの心をもったケアですね。ほとんどの人は一般病棟で死を迎えるのですから、一般病棟でも症状のコントロールを中心にチームを組んでケアできれば一番いいわけです。ただ、延命治療を目的として頑張っている医師と患者さんがいる一般病棟で、一緒にそういう段階を越えた患者さんをケアするというのは非常に難しいことなんです。私も一般病棟で10年ほどケアしていましたが、ものすごいフラストレーションがありました。私たちは症状のコントロールに徹したほうがいいと思っていても、延命が重要だと思っている医師もいますから。私は必ずしもホスピスで亡くなることが一番いいとは思っていません。ホスピスは一つの受け皿であって、ホスピスで最期を迎えたいという人を援助できればいいと思っています。
岡田 これからのホスピスの展開としては。
柏木 今後の日本のターミナルケア(末期医療)には三本柱があると思っています。一つはホスピス病棟が増えて、少なくとも都道府県に一つずつできていかないとだめでしょう。そして、もう一つは一般病棟でもホスピスの心をもったケアがもっとなされる必要があるということです。3番目は在宅ケア、訪問看護の進展といいますか、最期は家で過ごすことができる、それがなかったらやっぱりだめでしょう。どれも重要だと思います。
岡田 今日はお忙しいところ、どうもありがとうございました。
EYES
生の最期を看取る
日本におけるホスピスケアの実践
ホスピスとは、主に末期癌患者に対して苦痛など症状のコントロール(緩和)を中心としたきめ細かいケアを行う末期医療のことをいいます。余命が短いとされた末期患者に対し、延命治療よりも、精神的なものを含めた看護に重点をおいてチームケアを行うのです。すでに日本でも厚生省が認可したホスピス施設が14か所、都道府県が認可した施設が4か所、未認可も含めると合わせて全国に約30数か所のホスピスがあります。
日本で初めて一般にホスピスという言葉が紹介されたのは1977年でした。東京の鈴木荘一医師がロンドンの聖クリストファー・ホスピスを訪問し、その記事が朝日新聞に掲載されたのです。また、実質的なホスピスケアとしては、73年に大阪の淀川キリスト教病院で柏木哲夫医師を中心として開始されていました。そして、81年には本格的なホスピス施設が静岡県の聖隷三方原病院にできました。84年には淀川キリスト教病院でも開設され、その後各地に広まっていきまいした。
ホスピス施設の形態には、①院内独立型、②院内病棟型、③院内分散型、④在宅ケア型、⑤院外独立型があります。①は隷三方原病院など一般病棟とは別に独立した建物をもつもの、②は淀川キリスト教病院など一般病院の一フロア(主に最上階)を利用するもの、③は昭和大学病院など独立した病棟をもたずにホスピスケアを行うもの、④はホスピスケア研究会など入院施設をもたずに在宅ケアを中心としたケアを行うもの、⑤は日本では神奈川のピースハウスだけですが、一般病院とは別に独立してあるものです。
厚生省および都道府県から認可されたホスピスへの入院は、余命が推定6か月以内の癌患者、またはエイズ患者に限られます。しかし、その他の入院基準については各ホスピスによって異なります。病名告知についても、各ホスピスで幅があります。淀川キリスト教病院では、患者、家族、主治医、ホスピスチームの4者が入院に合意すればよく、病名告知は問われません。患者さんの平均在院日数は、約半数のホスピスが約30日と報告していますが、ホスピスで症状のコントロールが進んで、退院する患者さんも20%ほどいます。ですから、入院した患者さんはすべてホスピスで亡くなるというわけではありません。
海外のホスピスの現状としては、現代ホスピスの発祥の地であるイギリスでは、入院施設のあるホスピスが約200、在宅ケアチームが400以上あり、末期癌患者の3人に1人が在宅ケアを受けています。また、在宅ケア中心のアメリカでは、2000あるホスピスのうち1900が在宅ケアです。その他、ホスピスは現在、世界60か国以上に広まっています。人生最期の日々を痛みからも解放され、その人にとって充実した時を過ごせるようにするのがホスピスです。日本でも在宅ケアの推進などまだまだ課題は多く残されていますが、ホスピスへの期待は年々高まってきています。