LF対談
阪神・淡路大震災と若者のエネルギー No.18(1996.1)
前神戸大学長・弁護士
鈴木正裕 氏
財団法人 千里ライフサイエンス振興財団
岡田善雄 理事長
人生における最悪の1カ月
岡田 1月17日の大地震では神大学長として大変なご苦労だったでしょう。大学にたどりつくのも難しかったと思いますが。
鈴木 私は大阪の阿倍野区に住んでいまして、その日は朝すぐにでもかけつけようとしたのですが、タクシーが神戸のほうには行ってくれない。せいぜい大阪駅か、淀川の岸までだと言うんです。しかし、私の足ではそこから半日あっても大学までは歩きつけない。それで一応諦めたのですが、学長といういわば司令官が、現場におられないということで非常に焦りました。
岡田 本当にそうですね。
鈴木 大学に連絡もつかなくて、文部省になら行政電話で情報が入っているかもしれないと思って、電話してみたんです。それで、本部などのある六甲台地区は建物も大丈夫だ、医学部と付属病院のある楠地区は被害はあったが、機能的には支障がなく、被災者が集まっていると教えてもらいました。あとで神戸大学の学長が「うちの大学はどないなってるんや」と文部省に聞いてきたと笑い話にされましたが(笑)、あのときはそれ以外に手がありませんでした。
岡田 そうでしたか。
鈴木 2日目にやっと大学と連絡がとれて、最初に聞いたのは学生に犠牲者は出ていないかということでした。そして、ようやく4日目に阪急の西宮北口駅まで行って、そこへ大学の車に迎えにきてもらったんです。
岡田 それからあとはずーっと……。
鈴木 はい。ほとんど土日以外は泊まり込んでいました。
岡田 どこで寝ておられましたか。
鈴木 ちょうど教職員用の宿舎が震災直前にできていたんです。しかも幸いにうちの大学は六甲山の沢水を雑水として利用していましたので、水洗トイレにも困りませんでした。しばらくすると風呂も沸かせるようになりました。しかし、土日は無理をしてでも帰りました。土日も泊まると私の秘書なども同じように帰ることができなくなりますので。
岡田 その方々も被災者であったわけですよね。あの頃、お見舞いに行ったときに、被災者の方が大学に1600人ほど避難されているとお聞きしましたが……。
鈴木 一番多いときで六甲台地区に2000人ほどおられました。国際文化学部の体育館と武道場、それに工学部と農学部の会議室に入っていただきましたが、今も体育館に少し残っておられます。付属病院や以前の教育学部、今の発達科学部の付属学校のほうも合わせると一番多かったときで2500人ほどおられました。
岡田 食事のことも含めてずいぶん大変だったでしょうね。2000食といいましたらすごいでしょう。
鈴木 すごいです。神戸市が大学本部に持ってくる食事をあとは大学のトラックで回って分配していました。後日、国大協会長としてお見舞いに来ていただいた東大の吉川総長にこのようなお話をしていると、「うちの大学は防災計画はしっかり立ててあるが、被災者の避難場所になるという視点が抜けていた」とおっしゃっていました。しかし、学長として辛かったのは、世話をしている職員自身も被災者であることでした。家が倒壊したり、焼かれたりで、他の避難所から通ってくる。家は大丈夫だったとしても、ライフラインが絶たれ、そのうえ交通機関も止まって、いつもの2倍、3倍の時間をかけてやってくる。しかも、食事の世話だけではなしに、身の上相談にのったり、連絡役になったり。彼らを見ていると、みるみる目が落ちくぼんできて、風呂に入れないからどす黒い顔色になってくる。それでお世話をしていましたから、見ていて本当に辛かったですね。
岡田 一番の責任者だから、さぞかし辛かったでしょうね。しかし、本当によくやられましたね。
鈴木 退任まであと1カ月もありませんでした。2月15日に任期満了でしたから。また母が退任の前夜に亡くなりました。
岡田 本当にいろいろなことが重なって、先生はどうされているかなと思っておりました。
鈴木 あのときは先生からご配慮をいただきまして、本当にありがとうございました。しかし、我ながら人生における最悪の一カ月だったですね。
若者のエネルギーを生かすには
岡田 あの頃、神戸には3回ほど行きました。そのとき被害とは全然関係ない者として感じたことを言いますと、神戸市全体に何か緊張感がピーンと張りつめていたんですね。その緊張感は、近頃なかったような非常に好ましい緊張感といいますか、そんなふうなものを確かに感じました。
鈴木 テレビでも報道されていましたけれど、救援物資を受け取るときも、皆さん静かに長い行列をつくっておられる。それを見た家内があれが大阪やったらどうやろうかと(笑)。私は大阪の人もああいうときはちゃんと行列をつくるとは思いますが、やっぱり神戸の人らしいなと思いましたね。
岡田 スマートですね。
鈴木 ええ。街自体もそうですが、人も大阪人に比べて、羨ましいほどゆったりしていて、しかもシックなんですね。
岡田 あのような緊張感が大災害時に示されて日本民族はすごい、とうれしく思いました。それにボランティアですね。若い人のエネルギーを発揮できる場所があそこにはありました。近所の大学生の連中も単車をズラーッと並べて、小遣いで買ったものを積んで走っていきました。やりよるなと思ってね。この頃の若い人は自分の意志で動くことなんてほとんどないと、実は思っていたんですが……。
鈴木 まったく同感ですね。教育の場でも受け身の姿勢が目立ち、また集団で行動することも少なく、人に対する思いやりにも欠けている。これは正直いいまして、われわれ教師としてはつくづく感じさせられていました。それがあんなに活躍するようになる。人間には、人が困っているときには助けるという一種の本能があるんやないかと思いました。
岡田 なかなか統一されたグループ行動がとれなかったなど問題もあったようですが、それはそういう訓練をされる場がこれまでなかったからで、あれだけ若い人がエネルギーを見せてくれたのですから、これからもいい形で残していきたいと思いますね。
鈴木 高齢化社会が進んでいますから、お年寄りに対するケアにも若い人のエネルギーを使ってほしいですね。
岡田 若い人のことでいうと、今年はオウム真理教のことも気になりましてね。オカルトとか、カルトとか、ああいうものは世紀末ごとにあったんでしょうか。
鈴木 どうでしょうか。若いときは私たちもそうでしたけど、何か絶対的なものに憧れますよね。私たちの時代、それは社会主義でした。こうした絶対への憧れは人間に基本的にあるものじゃないんでしょうか。年をとっていけば、実は絶対というものはなく、何事も相対的に考えないといけないということがわかってきますが、若いときは純粋なだけに憧れて組織にも入ってしまう。そして組織の中に入ったら、組織の中しか見ないから一種狂的な雰囲気になってくる。これもまた人間には本性的にあるものじゃないんでしょうか。戦争中の南京大虐投ですとか。
岡田 ある意味では土俵は一緒だと……。
鈴木 はい。実はオウム真理教には特に理系の人が多いでしょう。それで、専門教育もいいけど、今後、大学は教養教育も充実させないといけないという議論が一部にあるんです。僕はそんな簡単なものじゃないと思います。人間が本性的に持っている絶対への憧れを、教育だけでそう簡単になくすことはできないと思っていますが。
岡田 そうですね。ボランティアのときにも感じましたが、若い人がエネルギーをぶつけられる場を今の社会は封じ込めているのかもしれない。それで、どこかに風穴を開ける必要があるんじゃないかと、オウム真理教のときにも思ったんですね。
鈴木 先生、風穴を開けるというのは、どうしたらいいんでしょうか。
岡田 それが難しいんですね。たとえば今、日本は産官学をあげて21世紀に向けた科学技術立国を目指すといっていますが、若い人にとってそれはすごい、面白いという雰囲気ではないですね。世界経済での戦略の選択肢としてしか位置づけられない。これでは迫力がないんですね。科学技術というものが矮小化されてしまって若者に対して迫力がないんですね。ある意味では、若い人というのは非常に一途ですよね。その一途さの受け皿みたいなものを考えあぐねているという感じなんです。
鈴木 理系離れが盛んに言われてますが、あれはどうして出てきたんでしょうか。
岡田 実は先進国の若者はたぶんほとんどそうなんで、日本もその流れの中にあると思っています。科学技術の分野で、ずっと若々しさを保っているのはアメリカなんですが、それは移民の一世と二世によって支えられている。戦乱から逃れてきた人たちのエネルギーを、外から常に吸収しているからです。最近あった文部省のトップダウン型研究助成のプロジェクト選定会議で、大切だが我が国に欠けている分野を推進すべし、という議論になりました。当然の議論でしたが、それを担ってくれる研究者としては、日本の、ということを暗々裏に想定した議論になってしまうのです。まだ、科学・技術の分野での日本の懐の深さはそれほどでもない、ということでしょう。若者に魅力をもたすためには、それ相応の懐の深さが必要でしょうね。
鈴木正裕 氏
前神戸大学長・弁護士
1932年、大阪府生まれ。55年京都大学法学部卒業。在学中司法試験合格。同大学院法学研究科修了後、60年神戸大学法学部講師、70年教授。法学部長、附属図書館長を経て、91年学長。その間、約10年間司法試験考査委員、3年間民事訴訟法学会会長。95年退官。96年甲南大学法学部教授、02年退職。
文明が進むということは?
岡田 この頃、本当に文明とはどういうことなんだろうと思うようになりました。科学技術の発達によって便利にはなった。しかし、その便利さとはどういうことなのかなと、ちょっとわからんようになってきましてね。たとえばマルチメディアとか言っていろいろデータベースが作られていますが、それはすべて情報を入力した人の意志が入っているものですよね。そこからデータを取り出してきても、自分の意志が入る余地のない一方的なものでしょう。そんなことから、地球全体が非常に矮小化された形で人々に理解されるというか、そんなことになってきやせんかと心配になるんですけど、どうですか。
鈴木 情報に追われて自分で考えるという余裕がなくなってきているんですね。
岡田 日本だって歩いたらずいぶん大きいわけですが、たぶん今の子供はテレビを見ながら地球とは小さなものだと思っているんじゃないか。本当はべらぼうに大きなものなんだけどなあという気分があるんですね。
鈴木 私はここまで言ったら大学の入学式の挨拶としては品が落ちるなと思いながら、それでも「諸君、新聞を読め」と言ったことがあるんです。「どうもこの頃の諸君はテレビから情報を得すぎている」と。テレビの情報というのは次から次へと流れていき、未消化のままに入ってくるんですね。その点、文字だとどうしても自分で考えながら読まざるをえない。わからなくなったときは読み直すこともできる。大学の入学式で新聞を読めなんて、本当に情けない話だと思いましたけど。
岡田 僕もそれは非常に強く思います。新聞だとまず全体の中から自分が意識してこの記事を読むというふうに自分の意志が入るわけです。なんとなく文明というのは自分の意志が入り込めないものという感じがしてね。
鈴木 推理小説でも、最後からまず読んで、犯人を知ってから、最初から読み始めるということもできますが、テレビだとずっと見ていて最後に犯人を教えてもらうしかない。何かそういう違いがありますね。
岡田 自分の意志で判断できれば、マルチメディアも非常に意味があるだろうけれど、小学校のときから一方的に教えこまれることに慣れた人が利用すると、どうも困った世の中になるかもしれんなあと思ってましてね。たとえば、テレビは現実の中から映像になるものだけを取り出してきて放映するわけでしょう。
鈴木 マスコミの人たちの判断で我々の情報量やその中身まで制約されていますね。
岡田 僕はテレビというのはある意味で虚像だと言うんです。自然を映していても虚像なんだと。実際に自分がそこへ行って自分の目で見ないとあかんのやという主義なんですけどね。
鈴木 しかし、便利は便利ですよ。たとえば、富士山の頂上へ登るのはすごくしんどいのですが、頂上からテレビで映してくれれば、ああこんな景色かと登ったような気になります。確かにその便利さに振り回されているようなところはありますが。
岡田 地球が小さすぎるようにみんなが思っているんじゃないかという気分的な重さがあるんですね。それと自分が実際に感じるものとの距離感といいますか、ギャップというのを意識してもらう必要があるなと思って。実際、ここから神戸まで歩いたら大変で……。
鈴木 私みたいに歩きたくても歩けなかったのがいるんですからね(笑)。しかし、今後とも加速度的に情報は増えていくと思いますが、その情報に振り回されずに客観的に判断して、できればそこから独創的なアイデアを生みだす若者を育てるというのが、難しいことですが、これからの大学教育の課題なんでしょうね。
岡田 そうですね。今日はお忙しいところ、どうもありがとうございました。
EYES
ボランティア元年
「人を助けたい」という気持ちが集結する
1995年は、「ボランティア元年」といわれています。1月17日に発生した阪神・淡路大震災は死者約6000人、家屋全半壊(焼失含む)数約16万件という大災害となりました。しかし、そうした緊急時に少しでも被災者の力になりたいと全国から大勢のボランティアが集まったのです。新聞、テレビなどでボランティアという言葉を目にしない日はなく、日本中でボランティアという行為があらためて見直される年となりました。
被災地に集まったボランティアの数は延べ100万人ともいわれています。そして、そのなかには学生をはじめ今までボランティアの経験などなかった若者たちも数多くいました。当初は、行政の受け入れ態勢が整わず、殺到するボランティアを効率よく活用することができなかったようですが、ボランティア団体の協力などによって、しだいに組織だった活動ができるようになり、各地でボランティアのネットワークも整えられていきました。その活動内容は、瓦礫を片付けたり、水くみをしたり、救援物資の仕分け・配布をしたり、避難所で食事を配ったりと、意欲さえあれば誰でもできることが多くありました。なかには被災者を一軒一軒たずね、何か困っていることはないか、自分たちでニーズを掘り起こすグループも現れました。
もともとボランティアとはラテン語で「自由な意志」という意味をもっています。自分の自由意志で、誰かに強いられてではなく、まったく自主的、自発的に公共の利益になることを実践するということです。そういう意味では、今回の震災ボランティアはボランティアの基本を見直す契機となりました。
「困っている人を助けたい」「自分の力を必要としてくれるところで自分の可能性を試したい」「生きる意義をもう一度見つめ直したい」……ボランティアを志願した若者たちの動機はさまざまでしょうが、自分の意志で行動をおこす。その基本だけは変わりません。そして、ボランティアは何も特別な行為ではなく、自分でできることをやればよい。ボランティアはけっして難しいものではなく、身近な活動となったのです。
今回の震災では被災者自らも救命・救援に活躍しました。義援金や救助物資も全国から集まりました。ボランティアという言葉を越えて、「善意」や「困った人のために何かをする」ということをあらためて考え直さずにはいられない年となったのです。