LF対談

〈川〉と上手に付き合う方法 No.20(1996.9)

(社)淡水生物研究所長
森下郁子 氏

財団法人 千里ライフサイエンス振興財団
岡田善雄 理事長

普通の人が普通に住める環境

岡田 先生は昭和34年に奈良女子大学を卒業されたわけですよね。その頃、もう川の汚染というのは問題になっていたんですか。

森下 昭和30年に大阪市と奈良女子大学の津田松苗教室、それに京都大学の岩井重久教室とで最初の淀川の調査が始まっています。

岡田 それは洗剤とか都市廃水の問題で。

森下 工場廃水が大きいですね。枚方市や高槻市からの廃水で淀川はドロドロでした。

岡田 もうそんな時期に来てましたか。僕が医学部に入った頃は、ボラを釣ったりしたものだけど。それから10年ぐらいで。

森下 ボラはもともと昼間は海にすんでいて、夜くさいものを食べに川を上がってくるから(笑)。とにかく大きな工場の廃水で、淀川は赤やら青やら紫やらいろんな色の混ざった川になっていた。そして、琵琶湖が本当に汚れはじめたのが昭和45年。滋賀県の開発は少し遅れて始まったからね。

岡田 奈良女子大学には今のようなお仕事にすぐ入られる雰囲気があったんですか。

森下 ベントス(底生動物)を調べて、環境指標をどうしたらいいかを検討していました。

岡田 そして、研究を続けるにしたがって汚染が進んできたわけですね。

森下 ピークは昭和45年。それ以降は、ずっと落ちました。一般の人の認識はそれからやっとあがるのだけど。そして、平成になってようやくアセスをする会社が企業として成り立つようになり、環境産業時代になってきた。

岡田 産業として成り立つというのはどういうことですか。

森下 再生紙とか「環境」が売り物になるようになったのです。

岡田 四日市の問題はいつ頃でしたか。

森下 昭和30年代。それで、45年に公害国会で環境庁ができます。でも、役所ができたら、公害はおさまっているのね。

岡田 ピークは過ぎていると。

森下 ええ。環境庁というのはその後始末をしたのね。結局、起こってしまったことの補償をしていく。でも、環境庁の本来の役割は、人間にとって一番住みやすい環境は何か、普通の人が普通に住める環境を実現することです。厚生省だって、おいしい水をつくることではなく、害がなく安全な水を供給する水道を管理するところでしょ。

岡田 一番難しいなあ(笑)。

森下 たとえば自然を保護することも大事だけれど、毎日通っている道の街路樹の管理だとか、騒音だとか、普通の人が普通に住める環境をどう守っていくかが、一番大事なことなのね。でも、その本来の一番大事なことをする余裕がないと、みんなで思い込もうとしているのね。

岡田 そうですか。

森下 92年のブラジルサミットで「多様性」や「共生」の考え方が認められ、今の環境基本法にもそれが盛り込まれています。90年頃から産業としての環境が成り立つようになってきたように思う。“地球にやさしい”という“地球”や“やさしい”という言葉がモノにつくようになった。紙も完全に白でなくてもよい。再生紙でもよいとする考え方が少しずつ出てきたのね。

岡田 確かにそういう言葉が一般にも使われるようになりましたね。

森下 企業も地球時代を迎えたというか。考え方が変わってきたのですね。

日の目を見たときに役立てればいい

岡田 先生はこれまで世界中の川を見てるわけでしょう。今、そこまでの人を若い人で育てられますか。

森下 若い人はそんな必要はないんじゃないかしら。私は最初だから、川の話をするには実際の川を知らないといけないと思って、とにかく自分で見てまわった。見ないと信じられない性分なんです。研究者にとって、全部を知ろうというのはマイナスだというのはわかっているんだけど。
岡田 マイナスかなあ。一番の迫力だと思うけど(笑)。

森下 見たことしか言わないというのは、オバサンなんですよね。研究者は飛躍する部分がないとね。

岡田 本当のこといえば、そこから始まるものだと思うけど。

森下 ただ、行政には大切なことなので重宝がられます。

岡田 そうですか。

森下 行政はやはり実学ですから、見てしゃべっているのと、他人の文献からしゃべっているのとでは区分けして聞いてくれます。

岡田 本当にそのとおりですね。

森下 学生運動に挫折して、世の中はこんなものでは変わらないというのがわかって、何をしなきゃいけないかと考えたときに、行政官にわかる科学にしようと思ったの。それには、まずイデオロギーをはずさないといけない。行政官はイデオロギーが嫌いな人たちだから。行政官と市民と研究者には役割分担があって、それぞれがその役割を果たせばいい。その結果、日本という国がよくなればいいと思うようになったのね。

岡田 しかし、すごいなあ。懐が深いね。

森下 実際に川をいじったりする人に生態学の知識が少しでもあれば、こんな川にはしないだろうというのが現実にあちこちで出てきた。トンボやホタルを研究して、その具体的なところから、意思の疎通を模索しました。そして、20年かかってやっと建設省も生物のことを少し考えようかというところに来ましたけど、20年かかってこんな感じですね(笑)。

岡田 でも、先生が卒業した頃、分子遺伝学が華々しく、若い人はみんな憧れていてね。生態学というのは、あんまりモテなかったのと違うかというのが僕には少しありましてね。

森下 遺伝のほうにいけとか言われましたよ。でも、男の人と競争したら負けると思って。やっぱり子供を育てながらやるのはハンディがあるから。そして、私が選んだのはホタルやトンボ。材料として一番手頃なんですよ。いつ行っても水辺にいるから、労力がかからないのよ。

岡田 先生は学生時代にもう子供さんがおられたから。しかし、女性はそこまで考えなくてはだめなのかというのがありますね。

森下 それに、女と男がもし違うとしたら、今は日陰でも日が当たったときに自分が何か役割を果たせたらいいという願望、それが女の中にあるのね。お父さんがえらくなったとき、自分がきちんとした奥さんを演じられるようにしたい。だから、それまではガマンする。それと同じこと。男の人にはわからん世界なの。それでおおかたの男の人は支えられているわけですよ(笑)。

岡田 それはよくわかりますね。僕もリタイアしてからつくづく思ったことは、今までやってきた仕事は一種のバーチャルリアリティ(仮想現実)みたいなものでね。毎日の生活というのは、こんなものかというのがあった。それは、ほとんど女房に牛耳られている。

森下 性が違うということは、そういうことであってね。子供にしても、日が当たったときのためにやれるだけのことをしといてやりたいというのが、女が辿りつく思想だと思うの。日本の男たちは、もっと奥さんとコミュニケーションをとって、対等に扱わないといけないね(笑)。

 

森下郁子 氏

森下郁子 氏

(社)淡水生物研究所長

1935年、台北生まれ。59年奈良女子大学理学部動物学科卒業後、野外調査活動を行う。57年には、アユ博士・宮地伝三郎氏の共同研究に加わる。76年(社)淡水生物研究所に入り、84年同研究所所長。世界百カ国を超える河川の調査・研究をもとに「世界の河川の生物学的水質階級地図」を作成。建設庁・国土庁・環境庁などの水環境問題の審議会委員も歴任。著書は『川の健康診断』『アマゾン川紀行』など。

その川に合った付き合い方をする

岡田 まあ、先生の努力の結果で、我々も非常にありがたいわけなんだけど、川というものを考えた場合、先生にとって川というのはどんなものかと、理想的な川の概念というものはありうるのかということを少し教えてほしいんですが。

森下 日本の淡水魚って、洪水があったときに産気づいて卵を産む魚が生き延びてるの。日本の川では、洪水は年に3回起こる。水量が増えるという意味での洪水ね。春の雪どけ水、夏の梅雨、そして秋になると時雨でまた起こる。季節の変わり目に必ず雨が降って水量が増すわけ。すると、それに刺激されて魚が卵を産む。たとえば去年、琵琶湖の水位が1mほど上がったの。そしたら、ナマズが周囲の田んぼで卵を産んだ。実はそれまでどこで卵を産むか、よくわからなかったのだけどね。

岡田 本当にそうなの。

森下 そう。人間だけだよ、気分で発情するのは(笑)。物理的なショックがなければ発情できないようになっているのよ。だから、水が増えることも、減ることも大事なことなの。人間が水をコントロールした結果、そういう本来のバランスを崩してしまっているわけ。計画的に洪水を起こさせるような技術を開発しないといけないのよ。日本の川に合ったマネージメントをしていかないといけない。理想の川というと、上流のほうにヤマメがいるような川と考える。どこの川でもそれを望みたいから、水質がよくないといけないという思い込みが生まれる。

岡田 僕にもありますね。

森下 そう、きれいならいいじゃないかと。でも、人間でもそうだけど、きれいで単純なのは困るんだわ(笑)。やっぱり汚れた部分もなくてはね。それは川を生命体と認識してないことの間違いだと思う。生命体だとすると、理想の生命体もあるけれど、そうじゃないものもある。それは落ちこぼれじゃなくて、それぞれが持っている特質なの。きれいじゃなきゃいけないなら、大阪の川なんて救われないよ(笑)。人間でも若ければいいってものじゃないでしょ。同じことですよ。

岡田 それには、賛成だな(笑)。

森下 年をとっても、その人らしく生きることが大事だから。淀川では、淀川らしさが何かを集約していって、それに合った付き合いをしていくことが本来大事ですね。

岡田 そういうことを、汚水生物学の視点からずっと考えてこられたわけですか。

森下 汚水生物学というのは、第一次大戦の後、ドイツが発展していく中で川の上流に薬品工場をたくさん作って下流にある国を不安にさせたの。それで、生物を一つの指標にして汚染状況をみようと発展した学問なのね。日本では、川がきれいになった証しにホタルを飛ばそうとか、トンボさえいれば単純に環境がいいというように求められてきたけど、川に対する認識が少し違うのですよ。

岡田 みんなそう思っているのではないかな。ホタルが飛んだら理想的な川だと。

森下 天然記念物法は大正8年にできてるんです。その頃にゲンジボタルが天然記念物になるってことは、すでにいなくなっていたの。

岡田 そういうことですね。

森下 何も第二次大戦の後にいなくなったのじゃない。なぜいなくなったかというと、新田開発なの。富国強兵のために新田開発をして、農業が大規模になってホタルを追い込む。だから、水質が悪くなったんじゃなくて、ホタルがすめる環境を人間が住む環境に変えただけなの。水質はそれほど関係していないのです。そうやって人間は住みやすい環境をつくってきた。私は日本の歴史の中で、今が野生生物との関係では一番うまくいっていると思うよ。ネズミが乳児を噛むこともなくなったし、本当に住みやすいはずなの。

岡田 それがずっと続きますか。

森下 続かせないといけないんじゃない。たとえば7月7日を川の日にしようと建設省が国会にあげてるのだけど、なかなか休日にしてくれない。

岡田 どうして7月7日なの。

森下 天の川の日だから(笑)。日本の国土の1割は川なのよ。それで建設省は、通産省がダムで枯れ川をつくってしまったのを、なんとか水が流れる本来の川にしようとしている。それが川の日の目論見なの。水が流れてないと、生物だってすめないからね。

岡田 僕はダムというのが嫌いでね。

森下 それはみんなが恩恵に浴しているのに、そう思えなくて嫌いだと言われるような美意識の土木事業がいけないの。大阪は渇水になることもないし、みんな恩恵に浴している。国がやっているのだから見栄えしなくても、とにかく目的があって用途さえ満たしていればいいという発想。それが国土を壊しているわけ。そのことがだめなのね。ダムがだめなのじゃないの。水力発電だってこれからの時代、とても大事なことだと思いますよ。

岡田 でも、ダムが嫌いなんですよ(笑)。

森下 そりゃ、いかん。好きだ、嫌いだで問題を解決しちゃいかん。それはオバサンの論理です(笑)。おおかたの人が好き嫌いで動くから、そういう人たちに嫌いだと言わせないような、きれいなものを作る必要があるのね。水辺のテトラポットも非常に目障りやね。あれも水の上に出ないようにしなきゃ。土木の美意識を、より自然に近づけるようにしないといけないわけよ。なのに、この20年、見えるように見えるようにやってきた。本来は見えないものにしないといけないのに。

岡田 そうしたら、見方が変わるかもしれませんね。今日は迫力のあるお話を聞いてたいへん元気になりました。ありがとうございました。

 

EYES

生物モニタリング

指標生物を用いて水質判定をする

日本の川は近代化の波を受けて、産業排水や農薬、また都市化による家庭排水等のため、たいへん汚れてしまいました。その汚れた川をきれいな川に戻そうという試みが日本各地で進められてきましたが、そのためにはそれぞれの川がどれくらい汚れているかをまず知る必要があります。

川の汚れぐあいを知る方法の一つに川にすんでいる生物を調べる方法があります。川に水質は一つの川でも場所によってずいぶん違っています。そして、水質の違いによってすむ生物の種類も変わってきます。そのため、その川のどの場所にどんな生物がいるかを調べることによって、川の汚れぐあいの分布をおおよそ知ることができるのです。そのとき、水質を判定する生物を指標生物と呼びます。たとえば、成虫になると人を刺すブユは川の源流のきれいな水にしかすみません。ブユは水がきれいなことの目印となります。逆に大都市を流れる下流にはユスリカ、イトミミズなどの赤い生物が目立ちます。(社)淡水生物研究所所長の森下郁子氏によれば、「赤い生物は汚れた川の証拠」だそうです。

また、川が下流に近づいて汚れてくると、セイタカアワダチソウなどの黄色い花や川の中の魚を食べにくるユリカモメなどの白い鳥が目につくようになるともいいます。

きれいな川のシンボルとされるホタルも、その種類によって川の汚れぐあいを教えてくれます。日本のホタルの中でもっとも大きいゲンジボタルはきれいな水のところにしかすみませんが、やや小型のヘイケボタルはそれより汚れた水にすんでいるのです。

このように川にすむ生物からその川の汚れぐあいを知ることを、生物モニタリングと呼びます。生物モニタリングはドイツやオーストリアで始められ、学問としては汚水生物学という名前で発展しました。今、日本で行われているのは、奈良女子大学の故・津田松苗氏によって、1964年に日本の川に合うように改良されたものをベースにしています。

一般に川の汚れぐあいは、きれいな水、少し汚れた水、汚い水、たいへん汚い水の4つの水質階級に分けられます。津田氏は北海道から沖縄までの川を40年もかけて調べ、1978年に日本の川の水質階級地図を作成しました。森下郁子氏もそのお手伝いをされました。

1984年からは、小・中学生から一般の人まで参加した生物モニタリングが全国ではじめられています。川にすむ生物は「炭鉱の中のカナリア」のような役割を果たします。私たち人間にとっても関わりの深い川の環境、さらには人間にとって住みよい環境とは何か、貴重な手掛かりを与えてくれています。

LF対談一覧に戻る