LF対談
夢中にさせ、元気が出る教育 No.21(1997.1)
東京工業大学名誉教授
森 政弘 氏
財団法人 千里ライフサイエンス振興財団
岡田善雄 理事長
小学校3年生の頃からモノづくりが好きだった
岡田 森先生がモノづくりに興味を持たれたのはいつ頃からですか。
森 モノを作るのに興味を持ったのは小学校3年生の頃です。ほんとうに好きだったんですね。最初は飛行機の模型だとかを作っていたんですが、家の廊下でかんなやナイフを使ったりしていたので、親が裏の畑の空き地にトタン屋根の工作室を作ってくれました。それ以来、私は自分用の工作室を持って育ったんです。そこで、心おきなくモノづくりを楽しみました。いまだに私の寝室には旋盤が2台置いてありますよ。
岡田 すごいもんですね。
森 そのうち近所の中学生が「子どもの科学」という雑誌を貸してくれ、それを見るとラジオの作り方やなんかが載っている。それが面白くて夢中になりました。ただ、いろいろ道具が必要なんですね。ペンチぐらいは買ってくれたけど、万力が欲しい。小さいものですが、当時1円50銭しました。
岡田 値段も覚えているわけですか(笑)。
森 はい。それを買ってもらったのが小学校4年生のとき。その頃には電気機関車が作りたくなった。それで羊かんの箱を使ったりして作ったんですが、右回りはちゃんと走るのに左回りになると脱線する。それが気になって、母親が「寝なさい」と言ってもなかなか寝られない。で、ようやくちゃんと走るようになったのが朝の4時頃でした。
岡田 ちゃんと工夫ができたわけですね。
森 ええ。その頃に寝るのも忘れて夢中になるということを覚えたんです。将来は電気の技術者になろうと志を決めたのもその頃でした。そして、中学校の入学祝いにはずっと欲しかったドリルも買ってもらいました。それはいまだに持っています。
岡田 えっ、持ってるんですか。
森 私にとってそれはほんとうに大事な道具なんです。終戦のときは高等学校の2年生でしたが、進駐軍に取られるといけないので、土の中に埋めたりしました(笑)。それ以来、私はモノさえ作っていると体の調子もいいですね。
岡田 僕もそういうモノづくりが好きで、戦後は大学の医学部に通いながら自分でテープレコーダーや電蓄のアンプを作ったりしてました。真空管の時代です。真空管の特性曲線をにらんで設計する。ロマンがありましたね。
森 夢がありましたね。私が今の若い諸君に自信をもって言えることは、そうしたモノづくりの“苦しさ”と“楽しさ”なんです。それが東工大で始めたロボット・コンテストにもつながっています。
ロボット・コンテストはどのように始まったか?
岡田 僕が森先生とお話したかったのは、そのロボット・コンテストのことなんですよ。あれ、テレビで見て感激しましてね。いろんな国の学生がチームを組んでアイデアと技術を競う。今の教育で足りない部分なんじゃないかと思いました。
森 ありがとうございます。
岡田 とにかく素晴らしいものだと。あれはどんなふうに始まったのか、そのへんを教えていただきたいのですが。
森 大学祭というのがありますが、当時の東工大の大学祭はなってなかったんです。おでん屋とたこやき屋しかなくて、科学の香りもしないし、技術の匂いもしない。それで、東工大ならではのイベントができないかと考えていたんですが、すぐには答えは出ませんでした。アイデアが出るときというのは常にそうで、はじめによく考えてからしばらく忘れている必要がある。
岡田 そうでしょうね。
森 ある夏の夜、熱い風呂に入ったんです。そのとき、ふと単一乾電池一個で人間一人を乗せて走る乗り物の競技をやれんかなあと思いました。9月の学科会議でそのことを言ったら、私は課外でやろうと思っていたのに話のわかる教授がいて授業にしようと言う。ああそうか、授業ならなおいいやと(笑)。
岡田 面白い大学ですね。
森 設計製図の時間を使って、クラスを8、9人ずつ4班に分け、各班に一人ずつ先生がつくことになりました。しかし、こっちは学生の役割分担などはまったく指示せず、自主的にやらせる。こっちはおおむね揺さぶりだけかけて見ている。そしたら、リーダーシップをとるのが得意な者や、計算の好きな者、削ったり切ったりするのが好きな者、ひとりでに役割が適材適所で決まってくるんですね。聞かれたらアドバイスぐらいはしましたよ。すると、学生たちはあちこちから小型モーターのカタログを集めたり、車輪が必要だというと警察に放置自転車をもらいに行ったりする(笑)。
岡田 いろいろ工夫するもんですね。
森 ええ。そのとき警察いわく「古物商の鑑札を持ってるか」。それがあればくれるんですね。それなら古物商に直接行ったほうが早い。うちの学科の廊下には中古自転車の山ができました。その自転車から車輪を外したり、アングルを切ったりと、とにかくモーター一個で動かさないといけない。
岡田 僕にはとても無理なような気がしますけど(笑)。
森 そうでしょ。要するに先生のほうも正解がわからない。動くかどうかもわからないんです。世の中の誰もわからないとなると、学生はハッスルするんですね。ところが、普通の教え方では先生が正解を知っている。
岡田 そうそう。
森 学生は白けちゃってね。どうせ正解は、自分たちがやらなくてもどこかに書いてあるんだからと。
岡田 まったく面白いことを始めたもんですね。
森 そうこうするうち、11月になったら試作車ができて、大学の廊下で走らせると人間が歩くスピードで動く。
岡田 たいしたもんやなあ。
森 でも、これじゃあ競技にならないと、外のアスファルト上で試してみたら、目に見えないくらいのデコボコのせいでスタートもできない。いよいよ面白くなったんですが、条件を少し変えました。乾電池を2個にして、しかもいきなり電気で走るのは無理だろうから、10分前に乾電池を渡してエネルギーを何らかの形で変換して蓄える。その蓄えたエネルギーを使って、ヨーイドンで走らせることにしたんです。そうすると、もうみんながいろいろなアイデアを考えて敵にわからないようにする。部屋の中から鍵をかけて、担当教官が行ってもきちんと名乗らないと開けてくれない(笑)。
岡田 真剣なんですね。
森 しかも、そういうことをやると、見る目もできてくる。他のグループが持って歩いてる部品を見ただけで、だいたい何をやろうとしているか読めるんです。ということで、この競技は秘密は守りとおせるものではないということも教えてくれる。企業に入ってすぐに役立つことばかりです。そして、1982年2月の第1週に競技会を開きました。これがロボット・コンテストの実質的なスタートになりました。
森 政弘 氏
東京工業大学名誉教授
1927年、愛知県生まれ。50年名古屋大学工学部電気学科卒業。自動制御を専門とし、ロボットはその一環。東京大学生産技術研究所助教授・教授、東京工業大学教授を経て、87年退官。(株)自在研究所代表取締役社長。「自在学」確立をライフワークとする。ロボットコンテスト審査委員長。『「非まじめ」のすすめ』『頭の自遊自在学』など著書多数。受賞はNHK放送文化賞、紫綬褒章ほか。
どこの国の学生も創造性の面では優劣はない
岡田 それが、こんなに成功すると思っていましたか。
森 全然考えていませんでした。
岡田 そうでしょうね。
森 なんていうか“感動”というものが出てきたんです。これはいけるぞと思ってそれからずっと続けていますが、これをやりたいがためだけに我々の学科に入ってくる学生が現われてきました(笑)。
岡田 アメリカやイギリス、ドイツの学生と一人ずつチームを組んでやるようになったのはいつ頃からですか。
森 東工大で競技会を始めた頃、NHKも創造的な内容の番組を模索していましてね。たまたまMIT(マサチューセッツ工科大学)を取材した。MITの機械科も授業でロボット・コンテストをやってたんです。それが放映され、僕のところに感想を求めてきたので「そんなのうちだってやってるよ」(笑)。両方ともやってるんなら共同でやろうという話になりました。
岡田 最初はMITと東工大の二校ですか。
森 はい。でも、その前に高等専門学校でもやろうということになりました。なぜ高専かというと、高専なら全国62校だからその半分が参加すると見積もっても1日でトーナメントがやれる。第1回は1988年で、東工大で最初にやった乗り物競技と同じテーマでやりました。
岡田 そうですか。
森 その高専部門から少し遅れて90年に大学の国際部門がスタート。最初はMITと東工大の2校でしたが、日米対抗になるとその頃は貿易摩擦などが問題になっていて、どっちが勝っても具合が悪い。だから、日米1人ずつでチームを組んで計10チームで行いました。そして、3年目からはイギリスとドイツを加えた4カ国になりましたが、それからは他の国からも入れてくれと大変なんですよ。今は韓国とブラジルを加えた6カ国。各国持ち回りで、今年はドイツのダルムスタット大でやりました。各国1人ずつでチームをつくりますが、結局日本人は創造性については他の国に劣りませんね。こうやって見ていると。
岡田 それはありがたい。
森 どこの国でも人間は同じだってことを証明しているようなものです。しかし、現実としては創造性が出ていないですね、日本は。ということは結局、教育と環境が悪いということなんです。
岡田 逆にそれを証明してしまった(笑)。しかし、若い人が競技に一生懸命取り組んでいると、それを見ているほうも楽しいですね。
森 とにかく青年のいい顔があらわれていますね。我を忘れて夢中になる。一生懸命考えて一生懸命作ることによって、ある意味での精神統一ができています。ついでにチームワークの訓練にもなる。いろんな国の学生が集まってやると最初は誤解もあるし、ひがみも出る。それがいざ明日競技となると解けるんです。毎回ドラマがあってそれがまた意義深いですね。
教育の基本は夢中になるものを与えること
岡田 ほんとに何か日本で一番足りなかったところだと思いました。
森 おかげで今は中学校にまで普及しだしています。子供たちも面白いようで、学校で一番面白かった授業としてロボット・コンテストのことを卒業文集に載せる子がいる。とにかく今、若い人の目が輝かないということは由々しきことですからね。
岡田 それが輝かないんですね、なかなか。
森 でも、ロボット・コンテストでは少なくともやってる間は目が輝くし、そのあいだ若人は夢中という状態になってくれているんです。
岡田 確かに僕も研究生活に没頭して夢中になっていた若い頃が人生の中で一番面白かったように思います。そういう時期を若い人が持てるように少し後押ししないと。
森 人間の根源的な欲求に則したもので、夢中になれるものを与えることが教育の基本でしょうね。上手に乗せてやればいいんです。
岡田 このあいだロボット研究の現場を見る機会がありました。そこは、若い人がいっぱいいてとにかく目が輝いて元気なんですね。そのとき思ったのが完ぺきな遊びだなということでした。僕の分野だと、大学の研究室に行っても爪ほどの遊びもない状態になっている。昔はあったんですよ。やはり遊びの要素というのも必要じゃないかと思いましたね。
森 ええ。広い意味で考えると、分裂現象は何事もよくないんですね。精神分裂もよくないし、家庭が分裂しても不幸だし、一つにまとまることが大切なんです。遊びと仕事、遊びと勉強と二つに分けることが不幸のもとなんです。遊び即勉強であり、仕事即遊びであるようにもっていく。特に東洋の思想では遊びは次元が高い。敬語で一番上位のものも「遊ばします」です。遊びというのは主体性のある人の行為、主体性を持ってやってるときはみんな遊びだという定義のようですね。
岡田 確かにそういう面はあるでしょうね。今は生物医学系でもずいぶんお金のかかる大きな機械を使っていますが、そうすると機械に使われてしまう。大型の機械はある方向性のことしかできない。研究そのものがそっちに引っ張られて、結局主体性はどっちが持ってるのかということになる。でも、ロボットをやってる人を見たら主体性があるんですね。
森 やらされているという気持ちのない状態が遊びなんです。子供の頃に遊んでいたときのことを想像すればわかります。勉強は親に言われてイヤイヤやることはあっても、遊びはイヤイヤやっていただろうか。主体性があったんですね。
岡田 とにかくロボット・コンテストでは抜けているところをポーンと出してもらった気がしてホッとしました。正解がないというのがまたいいですね。それは先生が今やっておられる自在研究所にもつながりますか。
森 そうかもしれません。確かに、正しい、間違い、と分けてしまうと一つになりませんからね。しかし、面白いですよ。ロボット・コンテストをやりたくて東工大に入ってくる学生もいるし、それまでカウンセリングを受けていたような子供が放送を見てMITに行くんだとアメリカに行っちゃうしと。
岡田 みんな元気が出るんですね。今日はほんとうに知りたかった話がお聞きできました。ありがとうございました。
EYES
アイデア対決ロボット・コンテスト
モノは人によって開発され、人はモノによって育てられる
96年11月17日、ROBO CON ’96「アイデア対決ロボット・コンテスト」高専部門の全国大会が東京・墨田区の国技館で開かれました。今回の競技テーマは「テクノカウボーイ」。様々な工夫を凝らした個性的なロボットたちが“輪投げ”をしてポイントを競いました。高専部門は今回で第9回目。全国8ブロックの地区大会で好成績をおさめた計24チームが参加。優勝は徳山高専でした。また、ロボット・コンテストの精神に一番ふさわしいチームに与えられるロボコン大賞には大島商船高専が選ばれました。この賞は創造性、技術、努力など総合的な視点から評価されるもので、今回の受賞チームはタオルを輪にした点が重視されました。ロボットが柔らかい素材を扱うのは大変難しいからです。
一方、大学部門には国際競技と国内競技があり、96年の国際競技は8月にドイツで開かれました。参加大学は東京工業大学(日本)、マサチューセッツ工科大学(米国)、ケンブリッジ大学(英国)、ダームシュタット工科大学(ドイツ)、ソウル大学(韓国)、サンパウロ大学(ブラジル)の6大学。これらの大学ではロボット・コンテストが授業に組み込まれており、各大学の予選で成績の良かった学生36人が3人1組で混成チームを作り、2週間弱の製作期間で競技に臨みました。今回の競技テーマは「ロックンロール」。中央に積まれたピンポン玉をゴールへ運んでポイントを競いました。国際競技は今回が第7回目。第1回は90年に東京工業大学とマサチューセッツ工科大学が提携して行われました。
これらのロボット・コンテストの産みの親が森政弘氏(東工大名誉教授・自在研究所代表)です。82年に東工大の制御工学科ではじめた乾電池競技が出発点となりました(LF対談参照)。森氏は第1回の国際競技の際、ロボット・コンテストの意義と願いについて次のように書いています。
「叙事文と命令文だけの今日の教育の中に、感嘆文をとりもどそうとしたのが、この催しの動機である。想像による頭の全開と、個性の発揮による相互啓発……。この全力投球こそが、教育の畑に知的感動の慈雨を降らせる。その潤った畑に実るフレッシュなロボットは、たんに人間が便利をするための物体というものではない。ロボットは人によって開発され、人はロボット作りによって啓発され、人と物とが互いに活かし活かされ合うのである。この意味において、ロボットは若人の友であり、さらには師でさえもあるのだ」