LF対談
ライフサイ工ンスのメッカの実現 No.24(1998.1)
大阪大学総長
岸本忠三 氏
財団法人 千里ライフサイエンス振興財団
岡田善雄 理事長
管理職は専門に強くなければ迫力がない
岡田 岸本先生、総長ご就任おめでとうございます。新総長を迎えて大阪大学のいよいよの発展が期待されていますが、山村先生、岸本さんと、師弟が共に阪大総長になられたというのは稀有のことですね。当財団も発足以来、今年はいよいよ7年目に入りました。細胞工学センターの設立、医学部の吹田移転等々、山村路線を我々は走っているとも言えますが、そんなことを含め、まず山村先生の思い出から話を聞かせてもらえませんか。
岸本 その細胞工学センターですけど、ちょうど山村先生が阪大の総長になられたとき、恩師の赤堀先生が蛋白研(蛋白質研究所)をつくられたように何か社会に貢献できるものをつくりたいので、どういう分野がよいかと僕に訊かれたんです。それで、あれは80年代の初めでしたが、分子生物学とか細胞工学とかを中心につくればいいんじゃないですか、とお答えしました。
今は国立大学の改革とか設置形態の見直しとか言われてますけど、学部自治が強すぎると全体を見通しての斟酌とかがしにくい。それでは国際競争力もつきません。それをあの当時、微研(微生物病研究所)からも医学部からも人を出して新しいものをつくるというのは画期的やなかったですかね。今でも他の大学だったら学部自治とかで難しいと思いますよ。
岡田 そのとおり。山村先生の説得力には力がありましたね。先生が総長に就任された次の年の正月にわざわざ僕の部屋まで来られた。ちょうど新研究棟が微研にできあがったところだったので、それを見に来られたと僕は早合点していたら、まったく別の話でね。細胞工学センターをつくるから協力するようにとのことでした。一瞬当惑したのを覚えていますよ。なぜなら長年の夢だった僕の研究棟がやっとできたところだったからね。結局、説得に応じて、まっしぐらということになりました。
先生にはすでに将来への青写真、それも相当に大きなものがおありになったようで、産・官・学による北摂地区の学園都市構想の委員会ができて、僕はセンター設立作業と平行して、そちらにも首を突っ込まされていました。今から18年ほど前のことです。その中から、現在の千里ライフサイエンスセンター、国際文化公園都市のライフサイエンスパーク計画が生まれたわけです。
岸本 医学部が吹田へ移ることにしたって、山村先生でなかったら決まってなかったかもしれませんね。
岡田 医学部がこっちに来てくれたおかげで、財団としてもいろいろ医学部の先生に助けてもらってそれらしい事業がやっていけるようになりました。
岸本 山村先生が総長のときに言われた言葉に「管理職は専門に強くなければ迫力がない」というのがありました。確かにそう思いますね。「あの人が言うんやったらしゃあないわ」と思わせるには。
岡田 山村先生の名言ね。で、それを岸本さんも今は実行してるわけや(笑)。ところで、岸本さんは山村先生が阪大に帰ってこられて最初の学生になるんですか。
岸本 そうです。僕は研究者になろうと思ってまして、別に内科へ行こうとは思ってなかったんですけど、3年生、今でいう5年生のときに九州から山村先生が帰ってこられて、その内科の講義が非常にはっきりしておった。なぜその病気になるか、なぜそういう症状が出るか、クリアで面白かった。それで、えらい人が来たな、この人のところに行こうという気になったんです。だから、僕は一生懸命に講義をして、学生が感激すれば必ず優秀な人がついてくるという考え方を持ってましてね。内科へ行ってからも一生懸命講義しましたよ。そしたら、毎年トップは第三内科に来ましたよね。
岡田 なんていうのかな。部屋のボスがどんな人かということで、そこに入ってくる人も全然違ってくるね。
岸本 そうですね。
岡田 そのためには、大学の総長自らも勉強せなあかんと。
岸本 そういうことです。僕は大学における一番の生命は研究であると思ってましてね。トップに立つ人が研究がどの方向に展開しているか、何が今は重要であるかをわかっていなかったら、大学は発展するはずがない。そしたら、やっぱり総長も研究者でなければならない。それで、両方やらしてください、研究費も例外的に認めてくださいと(笑)。
岡田 まあ、総長はそんなに忙しくないともいうから(笑)。
岸本 いや、やはり重要ですよね。野球でも監督によって優勝したりしますでしょう。今は特に行政改革で設置形態をどう変えるかとか問題になってますからね。もちろん国際競争力を持つように変えていかなあかんのは当然でね。大型の研究費をとってこれる突出した研究者がいるか、門前市をなすようにたくさん患者がきて病院収入を増やしてくれるような医者がいるか、高い授業料を払ってでも授業を聞きたいと思って、学生が日本中から学部でも大学院でも集まってくる先生がいるか、どれかの特色がなかったら大阪大学もつぶれますよ。いつかは当然そうなっていくわけです。それぐらいの競争的原理ですよね。そういう面で医学部はこれまでも相当いい人をよそから入れてきましたよね。
岡田 そうでしょうね。
産・官・学の共同研究の可能性
岡田 今は東京大学や京都大学と比べてみて、大阪大学はどんな感じなんですか。
岸本 予算の規模なら言えますけど、内容からいってどうやというのは難しいですね。しかし、たとえば生命科学の分野では、どれだけ論文が引用されているかとかでいったら、いい線いってるでしょうね。自慢話じゃないですけど。
岡田 その自慢話をしてよ(笑)。
岸本 90年代の6年間に生命科学の分野で最もよく引用された研究者の20傑には、日本人では僕ぐらいしか入ってませんからね。トータルとして考えても、日本の中だったら大阪大学でしょうね。ユニークなことをしていると思いますよ。
岡田 前のことになりますが、前の東大総長の有馬さんなんか会うたびに、なんでバイオは関西が強いんだろうと質問していましたよ。
岸本 微研とか歴史の流れの中で伝統的に強かったんでしょうね。
岡田 ただ、山村先生はとにかく東京を競争相手にするなというのをしょっちゅう言っておられた。相手にするのは世界だとね。どうも関西は経済を含めいろんなことが関東との対比の中で語られるけど、バイオについてはそんな細かいこと考える意識はないようですね。
岸本 地球規模で全部、国の垣根をはずして外から見たら、東京とか大阪とかいっても突出しているものが見えるだけですから。東京、大阪という区別は問題になりませんよね。だから、外から見てどれがいいかということで、そういうふうに考えたら、先に大阪から外に向かって発信するのが大事なんでしょうね。
岡田 それと、産・官・学というのも言い古された言葉で、具体的にはそうそううまいこといってるとも思わんけど、やはりそれらしい流れをつくっとかんとね。これから先、大学院を出た人がちょうど昔、大学院は出たけれどといって、理学部系の人が困った時期があったわけですが、それと同じような感じのことが、どうもバイオのほうで出てきそうな感じもあって。そういう人たちのポジションの獲得が今のままでは難しい。
岸本 日本では大学から離れたところに研究所をつくってもなかなかいい人がきませんよね。寄らば大樹の陰で、大学をありがたいと思ってますから。何年か前にアメリカの会社が、大学のキャンパスの中に15階の建物をつくらせてくれ、5階は自分のところの研究所に使って10階分は大学に寄付しますと言ってきたんです。そしたら、その会社にとっても大学にとってもいいやろと。そんなことは5年前には考えられもせんことやったわけです。国有財産の中に外国の資本が入ってくるなどは。ですが、これからはそうなっていくんと違いますか。そのためには、そこに魅力のある人間がおる、魅力のあることが行われているということで初めて、そういうことも可能なわけですよね。
岡田 考えてみると、阪大はすでに、その経験者と言うこともできる。僕の育った微研は昭和8年に設立されましたが、そのとき微研財団が同時につくられて、微研で開発されたワクチンを製造し、今日ではそのノウハウや製品を国外に輸出する収入のほうが国内より多くなっています。財団本部は阪大の敷地内にあるわけで、まさに時代の先取りをやっていますよね。
岸本 たぶんそういうふうに変わっていかざるをえないし、行くんやないですか。それで、だんだん人間の考え方も変わってくる。寄らば大樹の陰とか、そんなもんなんや、ということになると、ずっと大学にいるのがよいという考え方も変わってくるでしょうし。
岡田 ほんとに今の世の中なかなか大変で、みんな内向きになるんでね。これどうやって打破するか、どこから打破してくれるかというのが気になるところなんですよ。そういう意味では、大阪大学は新総長を頂点として、少しそのへんあたりを前向きに変えていってほしいですね。
岸本 改革を進めていくためには、そういう状況は逆に追い風になるんやないですか。ちゃんと今までどおりでいけてますわと言われたら、なんで変えなあかんのかということになりますから(笑)。それに、「出る杭は打たれる」と言いますけど、大阪では「出すぎた杭は打たれない」とも言いますから(笑)。
岸本忠三 氏
大阪大学総長
1939年、大阪府生まれ。64年大阪大学医学部卒業後、同大学院医学研究科修了。70〜74年米国ジョンズ・ホプキンス大字研究員及び客員助教授。79年大阪大学医学部教授、83年同大学細胞工学センター教授、91年同大学医学部第三内科教授、95年医学部長、97年総長、04年退官。専門分野は免疫学。受賞は日本学士院賞・恩賜賞、文化勲章ほか。日本学士院会員、米国科学アカデミー外国人会員。
人と人が会ってオリジナリティも生まれる
岡田 財団も阪大の発展と共により幅を広げてゆきたいものです。山村先生の言われた「研究所がいくら集まってもそれだけでは駄目、人と人の横つなぎが大切」を心にとめてね。
岸本 そうですね。“赤ちょうちん”とか言われたわけですけど、何が一番大事かというと、人と人との交流ですよね。いかにインターネットが進んだって、やっぱり人がおって、その周りに人が集まって、たとえば昔パリやベルリンにパスツールやコッホがいて、そこに研究者が集まり、育ち、医学の中心というのもできたわけですからね。日本にはオリジナリティのある仕事がないとかごちゃごちゃ言われてますけど、それはそういういろんな人との交流が少ないからなんですよ。
今は情報化社会ですけど、世界の情報というのはほとんど英語ですよね。だから、言葉がまったく違うアルファベットで、しかも日本は地理的に遠く離れている。これはもうよっぽど努力せんといかん。日本人はオリジナリティがないとかいうけど、そうやないんです。相当なハンディキャップがあって、それでも学問の世界ではよく頑張ってると思いますよ。しかし、もう一段先に進むためには、そういう交流を促進する国際交流の事業が大事ですね。だんだんとそういう面でも内向きになってしまって、留学生の数も減ってきました。それから、外国に行く日本の若い人も少なくなった。しんどい目して、向こうに入り込んでというのをしなくなりましたからね。
岡田 そのへんは変わってきたんですな。
岸本 そうですね。インターネットを見ているだけではやっぱりあかんので、人と人とが付き合うことが大事やと、そういう面で赤ちょうちんと言うてはったんやと思いますが、そういう場を提供するという意味では千里ライフは非常に役に立ってるんと違いますか。
岡田 場所はいいからね。そういう意味ではずいぶん使ってもらっています。あれだけいろんな会で利用してもらえるようになったのは、大成功やったと思ってますけどね。その先の国際文化公園都市については大阪府が今は一生懸命やってくれていてありがたいが、時間はまだかかるでしょうね。希望としては、なんとか頑張ってライフサイエンスパークの形づくりはしたいと。とにかく気長にいったほうがいいんじゃないかと思ってます。まあ、助けてください。
岸本 阪大としても大事ですからね。豊中と吹田のキャンパスは来年度にモノレールでつながります。交通を結べば二つに分かれていても一つですよね。そのモノレールの延長線上にもう一つのキャンパスという考え方でもいいわけですよね。
岡田 将来構想として、そういう形も考えていただけますか。ライフサイエンスパークについては、僕の感じとしては日本でサイエンスパークをつくるときは建物が立派すぎるんですね。ガッチリしてて壊したりなんかのフレキシビリティがない。アメリカをずっと回ってたら、プレハブみたいなのを作っていて、具合が悪ければ建て直す。だから、ずいぶんレンタル料も安いしね。それから国立の研究所を一つは持ってこないと成り立たんやろけど、その研究所にしても今までの研究所のように、そこだけで起承転結するような研究所のシステムは成り立たんやろから、産業界との関係もできて、何年かごとに変わっていけるような研究所づくりを考えています。国立の研究所では今までそんなのはなかったので、より自由度のある組織というものを模索していかなあかんと思うんですね。
岸本 やっぱり大学の周囲にも民間の研究所がたくさんあることも大切ですよね。シリコンバレーにしろ何にしろ、いくつも集まっていることで相乗的な効果が期待できますからね。
岡田 まあ時間はかかりますけど、やってみますわ。今日はお忙しいところ、どうもありがとうございました。
EYES
国際文化公園都市プロジェクト
世界に開かれた学術研究・文化交流の新しい拠点づくり
千里ライフサイエンス振興財団が位置する大阪・千里地区は関西におけるライフサイエンス分野の産業基盤を背景に、大阪大学や国立循環器病センターなど高度な研究機関が立地し、当財団もライフサイエンス分野の情報の受発信基地として建てられた「千里ライフサイエンスセンタービル」を活動の拠点として、交流促進、人材育成、研究助成などの事業を展開していました。
現在、この千里地区を含む北大阪エリアは、国立民俗学博物館や国際協力事業団大阪国際センターをはじめ、ライフサイエンス分野にとどまらない、国際的な研究・教育・交流機関の一大集積地となりつつあります。その北大阪の一角、茨木市北部から箕面市東部にわたる丘陵地で、21世紀に向けたプロジェクトとして国際文化公園都市の建設が進められています。基本方針の一つの柱として、ライフサイエンス分野の新たな研究開発拠点としての「ライフサイエンスパーク」の形成も掲げられています。96年には「彩都」という愛称も決定しました。
国際文化公園都市の構想がスタートしたのは80年代の初め。それ以来、公共と民間とが一致協力してその実現に向けて取り組んできました。緑豊かな自然環境の中、人と自然が調和した都市づくりを基本として、ライフサイエンス分野の研究開発をはじめとした国際的な学術研究・文化交流、また国際化、高齢化、高度情報化など、時代の多様なニーズに対応した都市・住環境の実現をめざしています。その基本方針は、以下の7つにまとめられます。
①国際的な文化・学術研究の新しい交流拠点の形成
②ライフサイエンス(生命科学)研究の新しい研究開発拠点の形成
③定住性豊かな新住宅地の形成
④緑豊かな「公園都市」の形成
⑤特色ある情報拠点と情報通信基盤の整備
⑥地域整備への寄与
⑦民間活力をいかした新市街地の形成
豊かな自然の中でいきいきと暮らし、世界の人々と交流する学術と文化の新都市ー。
国際文化公園都市(彩都)の建設は、世界に開かれた21世紀の大阪を象徴するプロジェクトとして、さまざまな方面から多くの期待を寄せられています。