LF対談
高齢化社会のライフサイエンス No.25(1998.5)
三菱化学生命科学研究所顧問
今堀和友 氏
財団法人 千里ライフサイエンス振興財団
岡田善雄 理事長
アルツハイマー病はどうして起きる?
岡田 財団ができたのは平成2年の7月で、今堀先生には9月の記念講演会に来ていただきました。そのときの演題は「高齢化社会におけるライフサイエンス」でしたが、今日は先生の老化でのご専門のアルツハイマー病について、先生の研究の現状ですとかを教えていただきながら、話を広げられればいいなと思っています。
今堀 アルツハイマー病との関わりは、東大医学部を退官したあとに東京都老人総合研究所へ行ってからで、そのときアメリカでアルツハイマー病がたいへん問題になっていることを知ったんです。5年に一度くらい各州から老化に関するいろいろな研究者がワシントンに集まって、分科会を開き、最後の日の総会では当時はレーガンでしたが大統領まで引っぱりだして具体的な要求を出していました。まだその頃、日本では血管性痴呆が大部分だと言われてましたけど。
岡田 確かに僕なんかは日本ではアルツハイマー病は少ないと勝手に思っていましたね。
今堀 当時から日本でも少なくはなかったんでしょうけど、診断基準の問題とかあったんでしょう。たとえば、その分科会の一つでは、これからは老人学の単位を取らないと医師免許を与えてはならないようにしようとか言ってましたね。
岡田 そういう話まで出るんですか。
今堀 非常に幅広かったですね。日本は今もすべての面で立ち遅れています。それで結局、老人研では自分自身の研究とまではゆきませんでしたので、実際に研究を始めたのは三菱化学生命科学研究所に行ってからです。アルツハイマー病の特徴は、びまん性萎縮(脳細胞の死)、神経細胞内への神経原線維変化の蓄積、細胞外への老人斑の蓄積ですが、神経原線維変化の主成分はPHFと呼ばれる高度にリン酸化されたタウ蛋白質で、そのタウをリン酸化する酵素(TPK)を探したんです。そして、TPKは老人斑にあるアミロイドによって活性化され、タウをリン酸化し、脳細胞を死へと導くことまでわかってきました。
さらにTPKはピルビン酸脱水素酵素もリン酸化し、失活させます。そのため、アセチルコリンが減少して神経細胞間の情報伝達が阻害され、記憶喪失、誤認、失見当などが起きるのではないかとも考えています。もちろん、これは私の専門であるタンパク質のフィールドに持ち込んだ研究で、アルツハイマー病の発病には入り口がたくさんあって、それらが収れんして最後に引き金がひかれるわけですが。
岡田 その鍵をTPKが握っていると。
今堀 ええ、希望的観測ですが、そう考えています。
岡田 TPKというのは、今はやりのアポトーシス(プログラム死)への引き金にあたるものとして感じておられるわけですか。
今堀 今のところ何とも言えないですが、培養した神経細胞にアミロイドをかけると、TPKが活性化して、細胞死するときは確かにアポトーシスなんです。
岡田 アミロイドというのは、脳にたまったカスみたいなものやなと思いまして。脳というのは、いらんようになった廃棄物を外に出す道を持っとらんのですね。
今堀 そうなんですね。
岡田 だから、脳の中に蓄積せんとしょうがないというふうになってるんですかね。
今堀 私もどうもそんな感じがしますね。脳はいわば一つの閉鎖系ですから、自分で自分の始末がどうも……。
岡田 できんようですね。アミロイドというのは原則的には廃棄物をできるだけコンパクトにして、周囲に影響を与えないような形にして細胞の外に出したものやと。
今堀 その説に私もまったく賛成ですね。実はアミロイドは誰もが溜まったものばかりを考えてますけど、細胞で害をなすのは溶けているものなんです。ひょっとしたら、一種の自己防衛でもってできるだけ沈殿のほうにもっていって……。
岡田 反応系からは外すと。
今堀 そうできているのかもしれませんね。PHFにしても、リン酸化されたタウは邪魔だから、それを全部集めて捨てちゃえと。やはり自己防衛のためのゴーストなのかもしれませんね。
エイジング(年をとること)研究の重要性
岡田 今の生物学は遺伝子の研究とかデジタル型のものが流行りですね。そのため研究が進んできたとも言えますけど。
今堀 おっしゃるとおりですね。アナログ的なものを見失っているかもしれません。すぐに遺伝子、そして細胞を調べる。私にしたって細胞やアミロイドやTPKとかに取り組んでいますが、じゃあ実際に脳の組織の中でそんなことが起こっているかというと確かな証拠はありません。研究のために取り出す細胞と生きている細胞とは全然違っているかもしれないんですから。
岡田 僕が研究生活に入った頃の理想像というのは、たぶん今のデジタル型への移行だったと思うんです。しかし、ここまでデジタル万能となると、もっと大切なものがノイズとして捨て去られてゆく。気になりますね。
今堀 たとえば、私が気になるのは医学部の内科の臨床の先生たちがみんな遺伝子ばっかりごちゃごちゃやっていることなんです。あれが、病気の治療とどういうふうに関係するんだろうと(笑)。
岡田 本当にそうですね。ある時期は理想像と思っていたことも、その裏ではマイナス点がいっぱい出てくる。僕ね、医学と生物学を考えてみますと、まだ病気を対象とする医学のほうがやりやすい。ここではまだデジタルでも成り立つ場面が広い。一方、生き物そのものを対象とする生物学はデジタルだけでは成立しないとこの頃思ってましてね。それにしても医学も大変なんでしょうね。感染症が制圧されて病気が治っていくとだんだん長寿になってという流れになりますけど、医療が進歩すればするほど老人が増えるという問題については、どんなふうに考えてらっしゃいますか。結論などない話なんやろけど。
今堀 これは大変な問題でね。実は医学においても生物学においても欠けているのは“時間”の問題なんです。たとえば人間は120歳になるとみんなアルツハイマー病になると思います。人が本来なるべくしてなる病気なんです。それが若くしてなるのは、それを加速している因子があるからですが、アルツハイマー病の一番大きなリスクファクターはエイジング、つまり年をとるということです。時の流れを体の中で誰かが見取っていて、おまえはここまで生きてきたんだからそろそろ死ぬべきだとか、白内障になるべきとか、老眼になるべきとか、そういう指令を出してくる。
岡田 ええこと一つもないですな(笑)。
今堀 それを対症療法的に一つひとつなんとかしようというのが、老人になるということです。しかし、年をとるという根本的なリスクファクターの構造をどうやって追っかけていけばいいのか、誰もわかってないし、また真面目にやろうとしていない。
岡田 先生、そんな難しいこと言われたって(笑)。それで結局、何がどうだったらホッとできるのかもわからない。
今堀 そのリスクファクターの中には天然的なものも、環境的なものもある。それを人為的にできるだけなくし、寿命を延ばそうとしているのが現代の医学です。しかしながら、生物が地球上に生まれてくるのは子孫を残すためであるとしたら、まったく無駄な生を引き延ばしているわけです。それをどう評価するか。個人の評価と全体の評価があって、個人としてはどうしても生きていたいと、しかし集団としてはおまえはもう死なないかんと。そういう集団的な力はどこかに働いていると思うんですよ。
岡田 たぶんそうでしょうね。
今堀 その力にどこまで抵抗すればよいのか。そこまでくれは価値観の問題にもなります。いわゆるヒューマニズムの壁を越えられるか。真剣に老人問題を考えていますと、どうしてもそこに行き着きます。まもなく経済的にも破綻するに決まっているんですよ。これだけたくさんの痴呆老人や寝たきりの老人を抱えて、これをどうやって若い人たちが支えていけるか。最後はどうかすると姥捨山という考え方になるんですね。アルツハイマー病なんてまさにかかったらおしまいなんですよ。もちろん私はその手前で食い止めようと思って研究してるんですけど、決して治そうとは思ってはいません。脳は再生しませんから。
岡田 しかし、まあ痴呆になったほうがハッピーなのかもしれませんしね。
今堀 本人にとっては幸せでしょうね。
岡田 実は神さんがそういうふうにつくっておってね。個人個人が死ぬ前にハッピーであるようにと。
今堀 まったく賛成ですね。死というものを知っているのは人類だけなんです。その死の恐怖から免れるために神様が用意してくれたんじゃないか。痴呆は人間だけにしかないですからね。アルツハイマー病の研究で一番困るのはモデル動物がいないことです。本来、「精神を失った」というのが痴呆の原語の意味なんですが、精神を失った動物をどうやってつくるか、これは難しい(笑)。
岡田 判断基準がありませんね。
今堀 しかし、痴呆はものすごい勢いで増えてますからね。だいたい85歳以上の女性は30%、男性は20%が痴呆です。日本は今は長寿大国と言っていますが、痴呆大国になったらどうやって面倒を見ていけばいいのか。
岡田 どうも自然科学というのは三人称でね、一般論で言うとなんとのう温かみがなくなるんですな。120歳になったらみんな死ぬとかね(笑)。
今堀 姥捨山とかね。しかし、本当に突き詰めていったら、そういう話になっちゃうんですよ。
今堀和友 氏
三菱化学生命科学研究所顧問
1920年、大阪府生まれ。44年東京帝国大学理学部卒業後、理学部助手。50年東京大学教養学部助教授、61年同教授、68年農学部教授、75年医学部教授。81年退官、東京都老人総合研究所所長。86年三菱化成生命科学研究所所長、95年三菱化学生命科学研究所名誉所長、97年より同顧問。専門分野は生化学、老化学。受賞は紫綬褒章、勲三等旭日中綬章ほか。著書は『生化学』『老化とは何か』など。
老人庁をつくって高齢化対策を一本化
岡田 それでも、年とってええことって何かありませんか。
今堀 そりゃありますよ。
岡田 好きなことをいくら言っても怒られへんとか(笑)。
今堀 過去にいろいろ経験を踏んでいるわけですから、いざというときには老人はきちっと判断すると思うんですよ。流動的知能と結晶的知能というんですが、頭の回転の速さとか前者はどんどん失われていく。しかし、後者は年をとるほど磨かれる。だいたい今の人たちは平和ボケしてるから、戦争がどんなものかも本当にはわからないでしょう。
岡田 確かにリタイアしたあとすぐに社会との対応がなくなってしまうのはもったいないですね。今まさに問題になっている教育の助け船になど最適ですがね。
今堀 本当にうまく役立てていかなければダメだと思いますよ。老人は一つの知的財産ですからね。どのように役立てるか、それは大きな問題です。しかし、日本は老人の福祉や医療の問題などすべての面で遅れています。アルツハイマー病についても日本の研究は遅れている。ガン研究には大変なお金がかけられていますが、老化研究にはほんとわずかしかない。アメリカでは今、老化研究はガン研究よりもたくさん金が出ていますよ。
岡田 そうなんですか。
今堀 それぐらい意識が違います。日本はせっかく行革をするなら、老人庁をつくってタテ割り行政をやめればいいんです。医療や福祉はそれぞれの役所でバラバラにやっているでしょう。病院にしても、よく言うんですが、普通の病院には老人科という科はない。でも、どこの病院へ行っても小児科はある。それは子供は大人と同じ扱いができないからです。じゃあ老人はということなんです。老人は多病なわけですが、それぞれの病気が全部関係しあっています。それがそれぞれの科に行って、それぞれで検査してとなる。
岡田 確かにそうなってますな。
今堀 それが日本の医療行政の大きな問題なんです。老人への考え方が全然足りないんですよ。たとえば老人は耳が遠いというので補聴器を与える。すると、ピーピーと耳障りでみんな嫌がる。実は老人は小さな音が聞こえていないんじゃなくて、ある周波数の音が落ちているんです。そのため何をしゃべっているのか聞き取りにくくなる。言葉の弁別ができていないんですね。だから、最近はできてきましたけど、足りない周波数の音を補正するものがあればよい。老人というものが、まだまだわかっていない。
岡田 遺伝子ばっかりやっとって(笑)。
今堀 家を建てるときでも、車椅子が使える家にしますか。あちこち段差があったら、どうしようもない。外国は寝たきりはいない。みんな車椅子ですよ。いまだにそれが全然できていない。老人が喜ぶものを考えれば経済効果だってあるはずです。だから、行革をやるなら、老人庁をつくってみんな突っ込めばいいじゃないですか。老化研究にもそこからお金を出す。それぐらいの政策がなければ本当に日本は滅びますよ。
岡田 いや先生は勇ましいですな。すごいわ。今日はどうもお忙しいところ、ありがとうございました。
EYES
アルツハイマー病の研究が進む
21世紀の高齢化社会に向けて深刻化する老人性痴呆
一般に全人口に占める65歳以上の老人の割合が7%を超えると高齢化社会といわれますが、95年度の国勢調査を基にした報告では日本は2015年には25%を超えると予想されています。すまわち、日本人の4人に1人が65歳以上の老人となるわけです。こうした社会の到来が近づくにつれ、深刻化しているのが老人性痴呆の問題です。65歳以上の在宅老人などの約6%が痴呆という報告もあります。
老人性痴呆は大別して、脳血管性痴呆とアルツハイマー型痴呆に分けられます。脳血管性痴呆はその多くが脳出血や脳梗塞の結果によるもので、「まだら痴呆」とも呼ばれるように、ものが覚えられないなど記銘力の低下はあっても他の機能は保たれている、また自分が病気であることを自覚しているなどの特徴があります。出血や梗塞の起きた場所によっては、たとえ小さな病巣でも痴呆の原因になるともいわれています。
一方のアルツハイマー型痴呆はまだ原因がよくわかっていません。1907年、ドイツのアルツハイマーが痴呆症で亡くなった患者について脳の萎縮や、老人斑、神経原線維変化の蓄積を報告し、それらの特徴を伴った痴呆をアルツハイマーと呼ぶようになりました。
老人斑とは大脳皮質を中心として神経細胞の外側に生じたしみ状のもの、神経原線維変化とは神経細胞の中にある線維状のものです。これらが増えると神経細胞が死に至り、脳全体が萎縮すると考えられています。症状の特徴としては、記憶障害が徐々に進行していき、時、場所などの認識ができなくなったり、さらには人格の変化も起こります。脳血管性痴呆よりも痴呆の状態は重いといわれています。
アルツハイマー病の研究は、老人斑や神経原線維変化などの生化学的研究と、家族性アルツハイマー病を中心とした分子遺伝学的研究によってかなり進んできました、しかし、脳の萎縮や老人斑、神経原線維変化は正常な老人の脳でも認められるといいます。人間の寿命の延びに脳の寿命がついていけないという考え方もあります。したがって、老化の仕組みの研究がアルツハイマー病の解明にとっても大きな鍵となるでしょう。
老人性痴呆は介護など家族に多大な負担を強いることになります。また、本人にとっては精神的に豊かな老後の生活が送れなくなります。人にとって老化自体は避けられないことですが、できれば誰にも迷惑をかけずに生を全うしたいというのが多くの人々の願いでしょう。そのため。今後も一層の原因解明や予防の方法などの研究の進展が待たれます。