LF対談
ガンウイルスからガン遺伝子へ No.27(1999.1)
(財)大阪バイオサイエンス研究所所長
花房秀三郎 氏
財団法人 千里ライフサイエンス振興財団
岡田善雄 理事長
ガン遺伝子は正常な細胞の遺伝子
岡田 財団ができてから8年になり、花房先生にはずっと顧問をやっていただいていますけど、今度、大阪バイオサイエンス研究所の所長としてこっちに帰ってこられてたいへん心強く思っています。今日は花房先生ですから、ガン遺伝子の話を少しこっちから切り出しますと、阪大の微研からカリフォルニア大のバークレーに行かれたとき、ニワトリのガンに関与するラウス肉腫ウイルスの増殖にはそれを助けるヘルパーウイルスが必要となることを証明された。僕が理解しているのは、あの実験で初めてガン遺伝子という問題の、非常に具体的な焦点が提示されているような気がしてるんですよ。
花房 いや、そこまではいってないですね。実は考えてはいたんですよ。ペーパーにも書きました。ラウス肉腫ウイルスが完全なウイルスでなくなる。それは感染したウイルスの一部に何かが入ってきて増殖できなくなるんだろうと。その何かというのは、おそらく宿主から来ているのではないか。それがガン化と関係するのではないか。そこまで考えてはいたんです。今のガン遺伝子の概念と非常に近いところまでいっていたんです。いっていたけど、それ以上は追究しなかった。DNAが関与しているとは全然想像できなかった。
岡田 そうか、あの頃ですものね。
花房 ラウス肉腫ウイルスはRNA型ウイルスですからね。さらに、そのあとヨーロッパで使われているラウス肉腫ウイルスを調べてみると、このウイルスはそれ自身で増殖することができる。それで残念ながら、増殖できないという性質とガン化の関係を突き詰められなかった。だけど、今たくさんのガンウイルスが見つかっていますけど、宿主の細胞の遺伝子が入ってきて、そのためウイルスが増殖できなくてガン化するということでは一致しています。全部そうなんですよ。全部それ自身では増殖できない。僕の最初の場合とまったく一緒なんです。ラウス肉腫ウイルスだけに増殖できるものがあった。
岡田 例外やったわけね。
花房 そうなんですね。ずいぶんおかしな因縁がある。
岡田 それじゃあ、その頃からいろんな考え方が頭の中で交差していたわけですね。
花房 ガン遺伝子の概念が確立されるのは1980年頃で、結局、62年ぐらいから80年ぐらいまでいろんな形ではあたためていましたが、証明する機会はなかったんです。
岡田 それでも、ずっとそこには引っかかっておられた。
花房 ウイルスにガン化を起こす遺伝子があることは他の実験からも証明されていたんですが、77年の私の実験はそれが正常細胞に存在することを証明した実験でした。ガン遺伝子(src)の一部がちょっと残っているようなラウス肉腫ウイルスを使いますと、その遺伝子の一部と宿主の正常細胞のDNAの組み換えが起こっていろんな場所に腫瘍ができる。その腫瘍からはすべて完全なガン遺伝子を回復したウイルスもとれる。つまり、正常なニワトリ細胞の遺伝子が、ガン化を起こすような遺伝子に変わった。それは、その前年のビショップとバーンズの実験、ラウス肉腫ウイルスのガン遺伝子と同じ配列を持ったホモロガス(相同的)な遺伝子が正常な細胞にあるということを補足し、生物学的にも証明した実験でした。
岡田 ちゃんと証明することにたいへん時間がかかるんですね。だいたいこうだろうと思っていても、それを実証せんことにはどうにもならんわけでね。
花房 アイデアをもって実験してもたいていあたらないんですよ。こうして1980年頃にようやくガン遺伝子の概念が確立する。ラウス肉腫ウイルスに限らず、たくさんのいろんなガンウイルスがとれていたんですよ。そのウイルスの遺伝子は全部正常な細胞と同じ遺伝子を持っていて、つまりラウス肉腫ウイルスのガン遺伝子と同じようなメカニズムでガン化を起こすウイルスが生まれたのだということがわかった。
一番大事なことは、ガン遺伝子、ガン遺伝子と言っているものが、実は正常な細胞の遺伝子であって何も特に変わった遺伝子ではない。実は、身体にとって大事な遺伝子なんです。だけど、それが変異を起こしたり、その遺伝子がつくるタンパク質が大量に発現するとガン化を起こす。どの遺伝子もそういう性質を持っているわけじゃないけど、そういう性質を獲得する遺伝子というのがたくさんあるわけです。おそらく今は200個くらいある。その遺伝子がガンに関与している可能性が非常に高い。そういう意味で、ラウス肉腫ウイルスはガン遺伝子の研究の先駆けとなったもので、今でもその遺伝子srcはガン遺伝子の中でも特別の位置を占めているんです。
ガンウイルスが遺伝子研究を促進
岡田 細胞融合から始まって、僕らが細胞生物学と称していたものを大きく動かしてくれたものは結局二つあるんですね。一つは花房先生がドップリつかっているガンの研究、もう一つは免疫なんですよね。この二つの道筋で細胞生物学は発展した。細胞をじっと見つめとった連中はかすんでしまってね。細胞の分化とか増殖、そういうメカニズムを知りたくても、細胞だけを見とってもどうにもならない。そのあたりの具体的なメカニズムは、ガンウイルスのテーマからわかってきたりする。それが今の細胞の知識の基本をつくってきてくれたんですね。
花房 そうですね。ほんとに殴り込みをかけたようなものでした。
岡田 僕ら、そう思ったよ。こっちは手も足も出んのやから。
花房 ガンウイルスの場合は遺伝子がピュアな形で簡単にとれるんですね。ウイルスは非常に小さいですから、それから遺伝子を出すのは割合簡単です。それで遺伝子の構造の決定というのはガンウイルスが一番早かった。そして、逆転写酵素の発見もあってどんどん細胞の遺伝子がガンウイルスを通して同定されていったんです。ちょうど80年頃から発展してきたDNAテクノロジーを使ってガン遺伝子の研究ができるようになり、そこで非常に大きな展開がありました。
岡田 僕ら、本当に一時期は憂うつだったね。
花房 それでガン遺伝子の産物のこともだんだんわかってきて、それがガン化にどのように関与しているかが、いよいよ具体的な問題としてクローズアップされてきました。私の仕事でも、外からの情報を核のDNAに伝達するのに重要な役割をしているタンパク質が、実はガン遺伝子から見つかっている。それもラウス肉腫ウイルスのガン遺伝子と関係がある。その回路は非常に複雑なんです。今後の大きな問題は、その複雑な回路をどのように理解していくか。何がバランスをコントロールしているのか、今はまだわからないですね。
岡田 それも最初は簡単でしたよね。核内移行シグナルがあってというような。
花房 基本的にはそれでいいんですが、どの分野でもわかればわかるほど複雑になっていく。また、細胞の増殖にどのような酵素が関与するかがわかってきて、その増殖を抑制するものが阻害されるとガン化を起こすとか、いろんな現象がクローズアップされてきています。
岡田 結局、どれくらいのウエイトで、ガン化に関わるそれぞれの現象を考えるかという難しさがありますね。何か一つ、それだけを見ているとわかったような気になるけど、ウエイトをどこらへんに置くか。
花房 ガン化において何が一番大事かということはたえず問題になりますが、私の今までの研究の歴史からいいますと、たとえばあるタンパク質がたくさん発現するとか、いろんな現象が注目されてくる。そのときにはそれが非常に重要で、それで話がすべてすむような感じで、私も衝動的にはそういうことをやらないといけないと思うわけですけど、一方で考えるとそういう分野にはそれぞれの専門家がいる。それで私はガン遺伝子ないしガン化を起こす元々のものの同定と、その性質の研究に限定してあまり手を広げてこなかったんです。
岡田 僕はもう実験しとらんから、批評家的に何でも言えるけど(笑)、一つひとつ見極めていくしかないんでしょうね。
花房秀三郎 氏
(財)大阪バイオサイエンス研究所所長
1929年、兵庫県生まれ。53年大阪大学理学部卒業後、58年同大学微生物病研究所助手。61年カリフォルニア大学バークレー校ウイルス研究所研究員。64年コレージュ・ド・フランス実験医学研究室研究員。66年ニューヨーク公衆衛生研究所癌ウイルス研究部長。73年ロックフェラー大学教授。98年(財)大阪バイオサイエンス研究所所長、05年名誉所長。受賞はラスカー賞、文化功労者、文化勲章ほか。日本学士院会員。
日米の研究費助成のあり方の違い
岡田 日本も今、科学技術基本法で国から大きなお金が出るようになりましたけど、研究費の分配の話とかを日米の比較ということからお話いただけませんか。
花房 一番大きな違いは、アメリカは各個研究で個々の研究者が創意でもって研究題目を考え、お金をもらうということです。それが80%くらいです。日本のようにこういう研究だと出るという指定はほとんどありません。個人の創意によるところが大きい。審査は相当厳しく、たくさんの審査委員会があって徹底的に審査をします。かなりしっかりした申請書を出さないとダメで、新しいアイデアがあるか、どのくらい今まで研究しているかとか、たくさんの要素でもって決まります。さらにもう一つ日本との違いは安定性といいますか、研究費がいったんもらえますと、だいたい5年くらいはもらえるわけです。その5年間は、使い残した年があれば次の年に使ってもいいし、少し使いすぎたら次の年の分を早くから使いはじめてもよい。自由度が大きいですね。5年たつと、5年間の成果を基にもう一度申請する。同じ研究題目でまた5年もらうことも可能です。僕は同じ題目で15年くらいもらっていました。そういう意味で安定していて、あまりお金のことに気を遣わなくてもよいですね。
また、お金は一つのプロジェクトに出るわけで、それを遂行していくためにはこういう場所がいる、これだけの人間がいる、これだけの材料がいる、それを基にしてお金をくれる。その間、人を雇って研究をしますが、そのあたりはかなり基本的に日本とは違いますね。
岡田 そうですね。日本でもずいぶんお金が出るようになったけど、各個研究じゃないんですね、大きなお金は。班研究とか、大きなグループなわけです。日本は大きなお金を出すとき、個々の研究者を完全に信用する立場をとらんようなお金の出し方をする。受け取る側の研究者を信用してもらって自由に使わしてくれると非常にありがたいんですが、そのためには各個研究のほうがいいですね。この人を信用するということで。花房先生くらいになると、アメリカではものすごい信用度がある。だから、研究費のことはあまり気にしなくてもずっと研究が続けられる。
花房 私の場合は特別の範疇の研究費がありまして、研究の内容もあんまり詳しいことは書かなくてもよかった(笑)。
岡田 それは普通の人には真似できないけど。
花房 だから、ずいぶん楽をさせていただきました。
岡田 結局、日本は大きなお金を出すときには、今年はどの分野にあげますとなる。アメリカの場合は分野を決めることはないですね。個人個人の研究ですから。日本では、決まった分野の人はありがたいけど、その次の5年間はその分野は外れることになる。
花房 そうなんですよ。たいへん困る。だから、先がどうなるかわからない。そういう不安が立派な仕事をしている研究者にもあります。アメリカはそういう面で保証されていますね。
岡田 花房先生には日本に帰ってこられる度に、今までも研究費の分配の問題でしょっちゅう意見を出していただいています。それで少しずつ良くなってはいるけど、まだ本質的なところではもっと工夫してもらったほうがよいところがあるんですね。
花房 それともう一つ。研究費に関して、審査が非常に厳しいから、個人の評価がそこでだいたいされることになります。
岡田 評価については、日本ではどんな人が評価するか、他分野のことは知らんという人がずらっと並んでいるとか、いろんな問題がありましてね。現役の若い人を審査委員に入れると、その人の研究費申請の道が閉ざされる。それが気になって、結局のところ年寄りに頼ることになるんですね。
花房 メリカでは若い人もいます。その人の申請は別のセクションで審査をします。
岡田 それが日本にはないんですよ。なんとなく現役の人を入れるのを遠慮する。
花房 ぜひ、それをしないと。
岡田 そういう意味でアメリカ的な評価のシステムというのがきちんとつくれていない。もう僕はリタイアしてだいぶなるから今はもっときちんとしてるだろうけど、話を聞いているとアメリカのほうが若々しいという感じがしますね。日本はなんとのう堅い。実際、それにタッチしているときはしょうがないかとやっていて(笑)、いかんのやけどね。
花房 今度、日本に帰ってきて雑務の多いことにびっくりしたんですけど、それも変えていけるものもあります。自分の研究もしたいですけど、自分で手を出して研究するというのはほとんどできないんじゃないかと思いますね。途中でほったらかしてしまうというのがしばしばなんですよ。何かやっても。
岡田 途中で実験をほったらかすというのは、あれ精神的によくないですね。
花房 具合悪いですね(笑)。
岡田 これから先、花房先生にも財団をどうしたらいいのかについて、お世話になると思います。今日はお忙しいところ、どうもありがとうございました。
EYES
ガン発生のメカニズムは?
発ガンの原因となる遺伝子はガンウイルスの研究から見つかった
ガンは遺伝子の病気と言われます。ふだんは正常な働きをしている遺伝子に発ガン物質や放射線のような強い作用が加わると、遺伝子にエラーが生じて、ガン細胞へと変化します。そのようなガンの原因となる遺伝子をガン遺伝子ないしはガン原遺伝子と呼び、現在多くの種類が見つかっていますが、ガン遺伝子の存在がわかったのはガンウイルスの研究からでした。ウイルスというのは遺伝子そのものともいえる存在で、少ないものでは4つぐらいしか遺伝子を持っていません。そのウイルスが宿主の細胞をガン化させ、腫瘍をつくるわけですから、どのような遺伝子が原因となっているか、的が絞りやすかったのです。
今回、LF対談に登場していただいた花房秀三郎氏もニワトリに腫瘍をつくるラウス肉腫ウイルスの研究からガン遺伝子が正常細胞の中にあることの証明に貢献されました。1911年、腫瘍をつくるウイルスとして一番最初に見つけられたのがラウス肉腫ウイルスです。1976年、ビショップとバーンズはそのウイルスの遺伝子とホモロガス(相同的)な遺伝子がニワトリの正常細胞にも存在することを見つけ、src遺伝子と名づけました。その実験を受けて、花房氏は1977年にsrc遺伝子が70%くらい欠けたウイルスを細胞に感染させてみたのです。すると、それだけではガン化させる能力がないはずであるのに、細胞の中にあるsrc遺伝子がウイルスに取り込まれて腫瘍をつくりました。それは、細胞のsrc遺伝子がウイルスの機能を補うということを生物学的に証明した実験でした。
また、花房氏はウイルスのsrc遺伝子と細胞のsrc遺伝子の構造を決定し、それがどれくらい違うかも明らかにしました。細胞のsrc遺伝子がガン化を起こすsrc遺伝子となる過程で変化が起こっていたのです。ウイルスの中に取り込まれただけで腫瘍をつくるのではなく、突然変異や組み換えなど付加的な変化が起こり、それが決定的な役割をしていることがわかりました。
人間の発ガンのメカニズムに関しては、現在はガン抑制遺伝子の発見などもあり、長い時間をかけ、多くのガン遺伝子やガン抑制遺伝子の異常が複雑にからんでガン細胞となると言われています。しかし、そのようなガン研究の進展もウイルスの研究によって導かれたものでした。そのため、人間のガンでウイルスが原因となるものはきわめて少ないにもかかわらず、今でもウイルスはガンの研究にとってたいへん重要視されているのです。