LF対談

【LF座談会】
財団の新たなる展開に向けて将来を展望する No.32(2000.12)

武田薬品工業(株)相談役
森田桂 氏

田辺製薬(株)相談役名誉会長
千畑一郎 氏

大阪大学総長
岸本忠三 氏

国立循環器病センター名誉総長
尾前照雄 氏

財団法人 千里ライフサイエンス振興財団
岡田善雄 理事長

千里ライフサイエンス振興財団の10周年記念事業の一環として、財団設立の準備段階から多大なご協力をいただいた先生方にお願いして座談会を企画いたしました。
市民公開講座の重要性、国際文化公園都市における財団の役割など、財団はこれからどのようにあるべきか、忌憚のないご意見をいただきました。

一般の人を味方につけないと先端医療もすすまない

岡田 財団の設立にご尽力いただいた山村先生がお亡くなりになったのがやはり10年前の6月10日で結局、先生の生きておられる間に設立発起人会ができずに残念だった思い出があるんですけれど、この10年間というのはある意味で財団の定款に則った事業を続けてきたということだろうと思います。ただ、これからの10年ということになるとそれでいいのか、どうも少し型にはまっているような感じが抜け切れません。ここを設立したときの基本的な考え方としては、ともかく千里地域をバイオのメッカにしようやないかというのがあったと思うんですね。それにまともにぶつかっていくような形のものも考えられないか、そこらへんも含めて今日はフリーにお話くださればありがたいと思っています。

千畑 今後も一つはサイエンスをやっている人たちを横断的につないでいく活動、もう一つは尾前先生が中心になってやっておられる市民公開講座や、子供さんを対象としたネイチャーカレッジのように、一般の人たちに訴える活動、その両方とも大事でしょうね。昔の子供は昆虫採集や、植物採集をしたり、博物学が好きでしたよね。そういうところからライフサイエンスに興味を持ってもらうのはとてもいいんじゃないでしょうか。

尾前 僕も一つはサイエンティフィックなもの、もう一つはやっぱりそれを一般の人によくわかってもらわんといかんと思うんですよ。若い人が今後ますます大事だから、僕は農業させたらいいと思いますね。野菜や花をつくる。非常に喜びも得られる。今の子供たちは自分が食べているものがどうやってできるかも全然知りませんからね。畑の耕し方くらい僕、教えてあげますよ(笑)。ものをつくるというのが大事ですわ。

森田 私はね、関西やからあんなもんができたなあというものができたらいいと思うね。関西人っていうのは非常にフランクでね、お互いに壁をあまりつくらないし。この10年はよかったと思いますよ。一般の人への啓発にウエイトを置いて。これからも生活者がもっと興味を持つようなプログラムが増やせればと思うんですよ。亡くなった山村先生がだいぶ前に、医学の進歩は本当に医療に役立ったか、医療の進歩は本当に人々の幸福に役立ったかという話をされた。役立っているのは間違いない。ただ、生活者の実感としてはどうか。えらい恩恵を受けているという実感につながっているか。だから、尾前先生にコーディネートしてもらっている市民公開講座をもっと強化していったらいいと思う。今は映像でたいへんわかりやすく説明することもできますからね。

岡田 そうですね。

森田 ガン診断などにしても映像を使って、わかりやすいなあ、賢くなったなあというプログラムを増やしていったらいい。

尾前 今は大人だけを対象にやっていますけど、子供が来てもいいんですよね。

千畑 ついでに医薬品も取り上げてください。社会に対する貢献を考えるとあまりに評価がね(笑)、正当に評価されない。ずいぶん進歩したわけですから。

岡田 そこらへんあたりの歯車がまだちょっと足りんぞということですね。

尾前 一般の人に医学と医療の恩恵をよく理解してもらわないと、先端医療の開発もできませんからね。協力して一緒になってやってもらわんと。

千畑 医薬品の臨床試験も進まない。

尾前 一般の人にも医療を行う側と同じ目線で考えてもらわないとできにくい。その土壌が日本には十分できていない。その土壌をまずつくる必要があると考えています。

千畑 パブリックアクセプタンスがないと、産業も学問も進歩しないですね。そういう努力を市民公開講座でしていければ、必ずプラスになるんじゃないでしょうか。

尾前 日本はこれまでその努力が足りなかったと思う。専門の学会や研究会は非常にたくさんあるけど、それが国民にフィードバックされていない。結局、ゆとりがないということでもあるのでしょうが。

千畑 企業もないんです。だんだんゆとりがなくなってきました。

岸本 一般の人にそういうことをわかってもらうことは非常に大事ですね。たとえばDNA診断が普及したらどうなるか。生命保険にどう影響するか。そのときどのように対処すればよいかとか。

岡田 遺伝子の話はどこまで話していいか、また気になりますね。

森田 それでも、やっぱり底辺をね。

尾前 そうです。医学、医療を進めるための底辺づくりですよ。今の日本ではちょっと危険があったら尻ごみしてやらない。安全第一を考えて外国について行けばよいというのなら話は別ですが、それでは恥ずかしいですね。日本人の体質は欧米人とは違いますし、疾病構造も同じでないので、やはり日本人に最も適した医療を開発していく必要があります。それには医療を行う側と受ける側が一体となって取り組む必要があるわけですよね。医者や研究者を特別な人間と思ってもらっては困るんです。

千畑 私も医者はえらいと思っています(笑)。

生命は遺伝と環境が複合したもの

尾前 遺伝子についての話はぜひ取り上げてほしいですね。

岡田 話しにくいところもあるなあ。

岸本 人間の運命は遺伝子で決まるのではない、環境が変えるんやということをみんなにわかってもらって、たとえ遺伝子がわかっても別にかまわんということにならないと。

千畑 変に悪い面ばかり考えてしまう人もいる。だから、結婚、就職、生命保険などの差別につながらないようにうまく説明しないといけませんね。

岡田 そのあたり一番、話し上手なのが岸本先生なんやけど(笑)。

岸本 遺伝子ですべて決まるのではなく、教育や環境が人間を変えるんやと、確かにそうです。この何十年の間に日本人の遺伝子は変わってないけれど、母親と娘が並んで歩いとったら足の長さ、腰の高さは全然違いますね。これは環境が変えたんであって、そやから遺伝子がわかったって何も恐れることはないとみんなが思えたら、それはプラスの面に使えるわけですね。

森田 岸本先生ぐらいから言われると説得力がありますよね。

千畑 発症、発病に関与する遺伝子がわかって、それが医療に使えるようになればプラスになる。遺伝子治療ももっともっと進歩するでしょうし、根本的な治療法になる。ポジティブな面が非常にあるんですね。ただ、データが勝手に流出しないように管理の面をきちんと整備しないと、いわゆるパブリックアクセプタンスは得られないでしょうね。

森田 アルツハイマーにしても家族性の遺伝子由来のものはたかだか世界で7%で、あとの93%は遺伝子が関わっているかわからない。環境の影響のほうがはるかに大きいんですね、発症には。ところが、アルツハイマーの遺伝子というのが見つかると、それがあればみんなアルツハイマーになると。

岡田 非常に難しいんですね。遺伝子というのが強調されるのにどう対処するか。

尾前 生命というのは遺伝と環境ですもんね。環境の重要さを忘れとるんですよ。だから、遺伝と環境の関わりあいをうまくみんなに知ってもらうのが大事じゃないかと思いますね。

千畑 遺伝的要因というのがわかっても環境を変えれば発症を防げるとかですね、そういう積極的な話を組み合わせていただければいいんじゃないでしょうか。

岡田 確かにそうなんやけど、それをテーマとしてどのようにやるか。

岸本 ライフサイエンスや病気に関して、常にそうした視点からの知識を広げていくことができれば人も集まりますよね。

尾前 けっこう来てくれると思いますよ。

森田 一般の人の関心は高いですよ。

 

森田桂 氏

森田桂 氏

武田薬品工業(株)相談役

1925年、大阪府生まれ。48年京都大学理学部卒業後、武田薬品工業(株)入社。82年同社取締役、85年常務取締役、86年専務取締役、89年同社代表取締役副社長、91年社長、93年会長。97年(株)ビーエフ研究所社長、6月より武田薬品工業(株)相談役。専門分野はアルツハイマー病の研究(生前診断法と治療薬)。受賞は勲二等瑞宝章ほか。

千畑一郎 氏

千畑一郎 氏

田辺製薬(株)相談役名誉会長

1926年、大阪府生まれ。48年京都大学農学部卒業後、田辺製薬(株)入社。72〜82年同社応用生化学研究所所長、87年代表取締役副社長、89年社長、97年会長。99年より相談役・名誉会長。専門分野は酵素法、醗酵法などの生化学的手段によるアミノ酸、ビタミンなどの生産および利用研究。受賞は紫綬褒章、勲二等瑞宝章ほか。

岸本忠三 氏

岸本忠三 氏

大阪大学総長(現在は同大学名誉教授)

1939年、大阪府生まれ。64年大阪大学医学部卒業後、同大学院医学研究科修了。70〜74年米国ジョンズ・ホプキンス大字研究員及び客員助教授。79年大阪大学医学部教授、83年同大学細胞工学センター教授、91年同大学医学部第三内科教授、95年医学部長、97年総長、04年退官。専門分野は免疫学。受賞は日本学士院賞・恩賜賞、文化勲章ほか。日本学士院会員、米国科学アカデミー外国人会員。

尾前照雄 氏

尾前照雄 氏

国立循環器病センター名誉総長

1926年、韓国生まれ。50年九州大学医学部卒業。71年九州大学教授。79年九州大学医学部附属病院長。83年国立循環器病センター病院長。90年同センター総長、95年より名誉総長。専門分野は高血圧とその合併症。受賞は西日本文化賞、勲一等瑞宝章。所属学会は日本高血圧学会、日本老年学会、日本循環器学会、日本内科学会など。

北大阪におけるライフサイエンスの進展に果たす財団の役割

 

岸本 10年の間にここは学会とかいろいろな会議の会場としてもよく使われるようになりましたね。それが千里ライフサイエンスという名前を定着させました。ライフサイエンスをやっている人はみんな1回は来たことがある。ただ、年1回あるシンポジウムというのはあんまり印象に残ってない。

岡田 定款どおりやっとるいうことで。

岸本 このへんにはたくさんライフサイエンスに関する機関もあるわけですから、研究者にとってプレステージとなるような国際的なシンポジウムを考えてみてはどうですか。外国からも人を呼んで、毎年1回その時期になったら千里ライフサイエンスのシンポジウムがあるぞというようにする。

岡田 確かにシンポジウムがセミナーとの差別化という面でもあまり特徴がないということはありますね。少し幅を広げて大々的なものが一つあってもいいかなと。

岸本 それに、最初に財団をつくるときの話としては国際文化公園都市におけるライフサイエンスパークのオルガナイザー的な役割を担うということがありましたよね。やっと国際文化公園都市も動きはじめました。学と産をつないだり、ベンチャービジネスのコーディネートをするなど、そういう意味での役割はこれから出てくるんじゃないですか。それがもう一つの大きな役割ですね。

千畑 そうでしたね。そのための“赤ちょうちん”もつくるということでした。

岸本 ベンチャーでは、何をやるかよりも誰がやるかということでアメリカでも資金が集まる。あの人がやる、あの人がサイエンティフィックアドバイザーになるということが大事で、財団が誰かに声をかけたりとかそういうことのコーディネーターになれれば。

千畑 ベンチャーには評価の問題があります。企業でも必ずしも正当に評価できるとは限らない。その評価をテーマに応じて財団でできるようになればいいですね。

岸本 ベンチャーキャピタルはそのサイエンティフィックアドバイザーリポートによって評価しますよね。

森田 ただ、ベンチャーの評価についてはみんながね、これは面白いと言ったって成功するか、僕は逆やと思いますね。そういうもんじゃない、ベンチャーは。難しいですね。

岡田 そうでしょうね。国際文化公園都市について、関西のライフサイエンスの拠点づくりということからどうすればいいか、岸本先生、ちょっと話してください。

岸本 ライフサイエンスパークの特徴としては、阪大病院とモノレールでつながれば非常に近い距離になる。ライフサイエンスというかぎり病気と直接つながっていなければインパクトがない。そういう意味からも立地条件はいいでしょう。さらに、何か核になるような国立の研究所があって、しかもそれはゲノム解析を基盤に薬をつくるようなものであれば一番特徴が出せます。そうすると、その周辺にそれに関わるベンチャーもできてくるでしょう。そこは大学院を出た若い人の働く場所にもなって、そこからまた大学の先生になってという流動性ができてくれば発展していくのではないか。アメリカはみなそうですね。ベンチャーにいって、また大学にいいポジションを見つけてと。そのときにそのへんをコーディネートするというか調整する役割を財団が担っていく。

千畑 関西というのはもともと産学官の敷居が低いという気風がありますよね。企業もあまり官に頼らずにやろうという気もあります。

岸本 大学の先生も別にえらいと思ってないし(笑)。自分らも思ってない。

千畑 それほどリジッドなタテ割りになっていない。

岸本 その相互乗り入れをちゃんとできるようにするのが財団の役割と考えたらいいんと違いますか。

千畑 やはり、同質のものばかり集まってもだめですね。学問にしろ企業にしろ、異なるものが混ざってくれないと、いい仕事というか発展は期待できません。

岸本 “赤ちょうちん”にはそういう意味があって、会って話し合うのも非常に大事なんですね。

千畑 いくらEメールでやりとりしたってね、会って話をするのとはやっぱり違う。

尾前 会って話したら、腹立ってたんがすぐ直ったりする(笑)。会わないと一生、腹立ったまま。そんなもんですわ、ほんと。

岸本 そうやって人や情報が集まって、大きな集積効果が見込めますよね。

森田 集積効果といったら戦後、千里でこんだけの集積効果をつくったのは素晴らしい業績やと思いますよ。これを支えたのは関西特有の人の和でね。財団がバリアの少ない、医療、ライフサイエンスのセンターになっていければ将来は大きな地域の発展に貢献すると思いますね。

千里の地域特性をどのように生かすか

森田 ただ、今は経済的なインパクトからいったら、どうひいきめに見てもITですよ。ライフサイエンスは時間がかかりますわ。倫理の問題もあります。ITのほうは経済原理だけでいきよるからね。次の10年を考えたら間違いなく日本の産業をリードするのはITやと思う。

千畑 そうであってもIT産業はね、他の科学技術とか他の産業と結びついて大きくなるんですね。現実にゲノム解析にしたってコンピュータがなかったらどうしようもないわけですから。どこかとくっついて大きくなるという性格があるんですね。

森田 そうですね。僕はね、バイオ対ITやなくて、バイオプラスITやと思うんですよ。バイオはITと結びつくことによって効果は何倍にもなる。対比するんじゃなくてね。

千畑 いかに一緒になって効率を上げるかですね。

尾前 僕はライフサイエンスというのは人間生存の基盤だと考えています。

岸本 今のライフサイエンスは、DNAとコンピュータの結婚やと言われてますよね。

千畑 どちらが花婿やろ(笑)。

岸本 ただ、この千里あたりの特徴をどう出すか。DNAとかコンピュータとかいうと日本中全部やし、バイオの中でもゲノムは東京がたぶん中心でしょう。それに対して阪大の微生物病研究所だとかそういう今までの流れを考えると、やっぱり感染症とか免疫学とか生化学とかいう伝統が大阪にはありますね。その特徴を出していくといいんじゃないですかね。日本中、均一にならないで。特に感染症ですね。死んでいく人の八割は感染症によってですよ。産業としては儲からんのですけどね。ワクチンいうたって儲からないから。ですけど、これから先の何十年ということを考えたら、非常に大事な分野やと思いますよ。

岡田 日本全体のことを見ても、特徴がほとんどなくなっていくほうに動いていることは確かなんですね。微研そのものもそうなんです。少しもったいないところがあってね。だけど、流れとしては、これ難しいね。特徴を出すというのは。

尾前 いろんな分野の人たちが協力してやれる基盤は関西は東京よりずっと強いと思いますよ。ライフサイエンスについて財団がコーディネーターの役割をするというのが一番地域特性を生かすいい方法じゃないでしょうか。東京では真似のできないレベルのことがやれたらいいですね。

岡田 結局、感染症では若い人が入ってこれるような面白さを出してくれんと難しい。それが悩みなんですよ。

岸本 逆にコンピュータでゲノム解析というのはやさしいわけで。

尾前 お年寄りの死因の一番は肺炎と言ってよいと思いますよ。

森田 僕は感染症ほど怖い病気はないと思うな。

岸本 アメリカは儲かることしか産業にしません。そういうことは儲からん分野やからね。日本はアメリカを真似しますから、なかなか若い人も入ってこない。だからこそ、大阪がやる。それでリードすればまた10年先には中心になってくるんやないかと。

森田 日本で感染症の研究がある時期、世界を席巻したのは、やっぱり梅沢浜夫先生のおかげやと思いますよ。抗生物質ですね。抗ガン剤まで派生して出てきよったからね。日本人でこれから感染症のリーダーが出てこなあかんね。

千畑 他人のしてない、特徴のある研究をしないといけませんね。

森田 やることはまだいっぱいありますわ。

千畑 そら、わかっていないことのほうがずっと多いんですから。ゲノムもシーケンスの解析だけ終わってもね、機能の解析はまだまだこれからの話でしょ。その中で発症とか発病に関与する遺伝子、さらにそれがつくっているタンパク質、現実に役立つ医療につなぐとなると、しなければならないことはたくさんある。

岡田 やることがたくさんあるのはいいことですわ(笑)。ただ、特徴となると。

森田 それが一番大事ですね。

岡田 今までのお話を含めてもう一度みんなで見直して特徴をどこで出すかですな、要は。

岸本 一般の人に向けて啓発活動をやっていくことと、国際的なシンポジウムを年1回必ずやる、またそこに呼ばれることは名誉なことやでとなったら、次の10年は成功やと思いますよ。

尾前 だから、底辺とトップと、中間レベルのものは僕いらんと思いますよ(笑)。

岡田 今日はみなさん、お忙しいところどうもありがとうございました。

 

EYES

“いのちの科学”を語って10年、 そして21世紀へ ―

当財団は今年で創立10周年を迎えました。無事この10年を歩んで来れましたのは、ひとえに産官学の絶大なご援助の賜物によるもので、心から御礼申し上げます。

財団の発起人総会が開かれたのが1990年7月25日、天神祭の日でした。その当時の日記を読み返してみると、この年は年明けから産みの苦労の連続で、病床にあった故山村雄一先生にの随分ご心労をかけています。先生は6月10日にお亡くなりになりました。ご存命中になんとか発起人総会を、という希望が諸般の都合で適わず申し訳ない思いが募りましたが、山村先生を信頼されている多数の方々の発起人総会へのご支援は誠に有り難いものでした。それ以来、産官学のご援助を受け続けてきた事になります。これ程多方面から実質的なご援助を受けている財団というのは、日本では珍しい存在ではないかと思います。

山村先生は阪大総長就任後、北摂地区を生命科学のメッカにする、所謂「山村構想」を打ち出されました。私も関与した細胞工学センターの新設に続いて、医学部の吹田キャンパスへの移転を文部省に確約させ、次いで千里ライフサイエンスセンター設立と大阪府の開発計画である国際文化公園都市(現在の彩都)にライフサイエンスパークを建設するという長期構想でした。私の手元にある或る雑誌の1988年11月号に、この山村構想を取材した記事が「産官に学を取り込む関西らしい巧みな方法」として14頁にわたって書かれています。この記事を改めて読んでみますと、これを記事にした科学ジャーナリストの言う通りの展開が、少し時間がかかり過ぎた感はありますが、今まさに進行中です。ご存命中、山村先生からは、千里ライフサイエンスセンターはソフト、彩都のサイエンスパークはハード、と言われていましたが、私共の財団はその言葉通り、この10年、皆様方のご援助を受けながら、第三セクターのビル会社と車の両輪となって、各種事業を展開して参りました。その事業の殆どは、故山村先生のご存命中に策定した計画にのっとったもので、その後、幾つかの新しい事業を加え今日に至っています。どの事業も予想以上の成果を挙げており、嬉しい限りです。

財団はこの10周年を一つの区切りとして、次の10年に向かって、その歩みを始める事になります。今までの事業はどれも有意義なものですので、継続していきたいと思っています。事業を継続するというのは、事業を立ち上げる時とは又違った努力が要求されるものです。今後共のご支援をよろしくお願い申し上げます。更に、21世紀の財団としての存在意義をもう一度考えてみる必要があります。その事を含めて、今回のLF対談は、財団創設以来、財団の運営に絶大なご支援を賜っている方々にお集まり願って財団の将来への展望を座談会の形でお話願う事にしました。

日本政府は21世紀を科学技術立国と位置づけていますが、科学技術の更なる発展の為には、一般社会のサポートを如何に得るか、得られるか、という問題をクリアーする必要があります。例えば、先端医学の新しい提案を一般の人達に、感情に走らず、出来るだけ理性的に、過不足なく理解してもらう、というのはそれほどたやすい事ではありません。提案者と一般社会との間を橋渡しする歯車が必要でしょう。その歯車としての意味合いが21世紀の財団にあるのではないか、とも思ったりしています。

当財団の将来を暖かく見守ってくださる事を念願しています。

財団法人 千里ライフサイエンス振興財団
理事長
岡田善雄

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