LF対談
神経幹細胞を再生医療に応用する No.36(2002.5)
慶應義塾大学医学部教授
岡野 栄之 氏
財団法人 千里ライフサイエンス振興財団
岡田善雄 理事長
遺伝子から神経発生に迫る
岡田 岡野先生が阪大から慶大へ帰られて、阪大としてはえらい痛手だったわけですが、林髞、塚田裕三先生と続いてきた慶大の脳研究の伝統を継がれ、いよいよその名を高められているのはすばらしいことだと思います。今日は21世紀の新しい医療分野とされる再生医学の中で、岡野先生が先鞭をつけられ、現在、一番期待されている脳神経疾患の細胞治療のお話を中心にお聞きしたいと思うのですが、まずは神経細胞のもとになる未分化の神経幹細胞の研究に進まれたきっかけというのは何だったんでしょうか。
岡野 私が慶大の医学部を卒業したのは1983年で、ちょうど分子生物学の黎明期でした。その頃、一番華やかだったのがガン遺伝子、免疫の研究で、神経系というのは分子という概念ではまだほとんど理解されていませんでした。私はとにかく遺伝子を使って生命機能を明らかにすることに興味がありましたので、それをやってみたかったんです。特に神経系、それも神経の発生についてはまだ誰もやっていない。これは面白いなと思ったわけです。それで、ミュータント(突然変異体)マウスを使って遺伝子から個体レベルまでつなげて研究されていた阪大の御子柴克彦先生のところで、中枢神経系の髄鞘が遺伝的に作れない変異マウスについて原因遺伝子の解析を始めました。ただ、その頃はまだ遺伝子ノックアウトができない時代でしたから…。
岡田 そうですね。遺伝子操作で作られた変異マウスを使った研究がワーッと動き出したのは90年代ですからね。
岡野 そうすると、自然発症の変異マウスだけを解析しているのでは、遺伝子を網羅的に見ているわけじゃない。神経発生に関するもっと重要な遺伝子があるかもしれない。もっと研究しやすい生物系はないか。それでショウジョウバエの神経発生の研究をしようと考えまして、89年、ジョンス・ホプキンス大学に留学しました。そこで、神経発生に異常をしめす変異体の遺伝子解析を進めまして、かなり重要な遺伝子をとることができました。その一つがムサシで、神経系に強く発現するRNA結合性タンパク質をコードしていることがわかりました。最初は、なんだこれはと思ったほど衝撃的でしたね。
岡田 ムサシという名前はどうして?
岡野 ショウジョウバエの場合、神経前駆細胞は、神経細胞とグリア細胞(アストロサイトなど神経系の支持細胞)を作る細胞と、非神経系の毛穴と毛を作る細胞の2つに分化しますが、ムサシの変異体では神経細胞とグリア細胞になるはずの細胞が作られず、毛穴と毛を作る細胞になる。毛穴と毛の数が増えて、1本の毛穴から2本の毛が出る。で、まあ二刀流ということで、ムサシと名づけました。
岡田 そうでしたか。
岡野 そのムサシについて帰国しましてから、哺乳類でも解析を続けまして、それがほんとに中枢神経系の幹細胞に非常に強く発現していることがわかってきました。これは幹細胞を同定するいいマーカーになるなと。そして、98年にヒトの成人の脳にもムサシを発現している幹細胞がまばらではあるけれど存在するという論文を出したんですが、そこらへんで、これは単に発生の研究だけじゃなくて、医療にも使えるんじゃないかと考えたんです。神経再生の医療というのは、発生の過程を一部再現することですから。それで、そちらの仕事を始めたのがちょうど阪大に戻った頃でしたね。
大人の脳でも神経細胞は増える
岡田 たぶんもう20年近く前になりますが、ある会合で数学者の広中平祐さんから「大人の脳でも神経細胞が増えることがあるのか?」と質問されて困ったことがありましてね。当時、広中さんはロックフェラー大学の大学院生の研究を審査する委員で、オスのカナリアが発情期になってさえずりを始めるのに対応して脳の神経細胞が増えるという発表があったと。それで、そのときは「分裂はしない」と答えたんですが、実際にも分裂するのは幹細胞であって…。
岡野 そうですね。
岡田 神経細胞じゃなかったからウソじゃなかったけれど、僕としては昔から聞いていたとおり、すでに神経のネットワークができあがっているんだから、それを崩したらえらいことになると。けれど、大人の脳でもそんな動きがあるかもしれないということですね。
岡野 まさしくそうでして。そのロックフェラー大学のノッテボーンという人が80年代に「カナリアの歌学習のときにニューロン(神経細胞)新生が起きる。おそらく人間でも同じようなことが起きているに違いない」と言ったときは、誰も相手にしなかった。
岡田 たぶん広中さんはそのことを聞かれたんですね。
岡野 ものすごく先駆的な予言をしたんですが、当時は…。
岡田 誰も信用する気にならなかった。僕らなんかも、ネットワークの話をずーっと聞いていたわけですから、たいへんなんじゃないかと。
岡野 今ほど幹細胞の知識がなかったですからね。カナリアの場合は、前に覚えていた歌を忘れて、新しい歌を覚える。だから、ある程度ネットワークが崩れてもおかしくないわけです。
岡田 新しいことのために使用されたと考えるわけですね。
岡野 けれど、われわれ人間は小学校のとき覚えた九九を大人になってもちゃんと覚えている。リニューアルされて忘れてしまっては困るから、進化の過程でできなくなったと、そういう考えだったんです。ところが、たしかにその割合は低いんですが、ソーク研究所のグループが実際に成人の脳の海馬で新しく神経細胞が作られていると報告しましたし、最近ではそれがちゃんとシナプスを作って電気生理的にも機能しているという発表もありました。やはり人間の脳でも海馬という学習に関わるようなところでは、どうもニューロン新生が起きているようです。
岡田 いったい何をしているんでしょうね。
岡野 たとえばマウスの場合、楽しい環境で飼うと新しく神経細胞が作られ、ストレスのかかる環境だと作られないわけです。人間でそれに近いのは、ストレスによる抑うつ状態です。頭の回転がなんとなく悪くなるのは、誰もが感じていることですが、それを証明するとなると…。
岡田 難しいですね、人間に関しては。
岡野 特に抑うつ状態というのは高度な精神機能で、ほんとにマウスごときの実験が参考になるのかということもありますし(笑)。要するに血液系など他の組織の幹細胞とちょっと違うのは、脳の場合、精神機能に関わっていると。だから、成人の脳でのニューロン新生の機能としては、損傷に対する修復というよりはやはり精神機能の維持にあると考える人が増えてきました。なんとか証明したいですね。
岡田 いやね、発生の途中で残っちゃった幹細胞が、そのまま残っているというわけじゃなかったわけですね。
岡野 神経幹細胞が単に存在するというのと、そこから神経細胞が作られるというのではかなり違いましてね。脊髄なんかにも幹細胞はあるんです。それを取り出してくると試験管の中では神経細胞になるが、生体内ではならない。抑制的な環境であるわけです。ところが、脳のほうでは作ってそうだ。この違いはいったい何か。今、非常に大事なところで、どういった環境の違いかとか、世界中で競争して調べているところです。
岡野 栄之 氏
慶應義塾大学医学部教授
1959年、東京都生まれ。83年慶應義塾大学医学部卒業後、同大学医学部生理学教室助手、大阪大学蛋白質研究所助手を経て、89年米国ジョンス・ホプキンス大学医学部生物化学教室(クレイグ・モンテル博士)に留学。91年大阪大学蛋白質研究所助手、92年東京大学医科学研究所化学研究部助手、94年筑波大学基礎医学系分子神経生物学教授、97年大阪大学医学部神経機能解剖学研究部教授、99年同大学大学院医学系研究科教授。2001年より慶應義塾大学医学部生理学教室教授、現在に至る。88年医学博士(慶應義塾大学)。専門分野は、中枢神経系の発生・分化と再生医学。98年米国コーネル医科大学・ゴールドマン教授との共同研究により、ヒト成人脳における神経幹細胞の存在を論文発表、国際的に高く評価される。2001年脊髄損傷モデルのサルにヒトの神経幹細胞を移植、機能回復に成功したことを学会発表、再生医療の前臨床実験として注目を集める。95年加藤淑裕賞受賞(加藤淑裕記念事業団)、98年北里賞受賞(慶應義塾大学医学部)、2001年塚原仲晃賞受賞(ブレインサイエンス振興財団)。
脊髄損傷のサルに幹細胞移植
岡田 昨年末の日本分子生物学会で発表された、ヒトの神経幹細胞を使ってサルの脊髄損傷を治された話をちょっとしてほしいのですが…。ヒトとサルという組み合わせはどうして考えられた?
岡野 その前に、まず準備段階として頚椎損傷したラットに、胎児期から培養したラットの神経幹細胞を移植して、ある程度機能回復させることに成功したんです。そのとき、一筋縄ではいかなかったのが、幹細胞が生体内で神経細胞になるかどうか。脊髄に内在する幹細胞は生体内では神経細胞にならないという話を先ほどしましたけれど、そこに外から新たに幹細胞を移植しても意味はないんじゃないか? 多くの人がそう思っていたのが、移植するタイミングによって神経細胞になることがわかりました。移植された幹細胞の運命は環境に依存するという仮説のもと、損傷後の内部環境を調べてみると、損傷後24時間以内に炎症性サイトカイン(生理活性物質)が発現されて、内在性の幹細胞はすべてグリア細胞(アストロサイト)になってしまいます。
岡田 それも意味はありそうですね。
岡野 この急性期に神経幹細胞を移植しても、たしかに生着しにくいし、生着してもグリア細胞にしかならない。ちょうどいいのが損傷後9日目あたりでした。炎症性サイトカインの発現が落ちて、しかも一過性にニューロトロフィン(神経栄養因子)が発現される。移植すると見事に神経細胞が作られました。さらに髄鞘を形成するグリア細胞(オリゴデンドロサイト)も作られ、再髄鞘化も起きている。それで、運動機能はどうかというと回復していることがわかりました。
岡田 ずいぶんな準備があったわけですね。すごいな。
岡野 けれど、ラットと人間では脊髄の構造もかなり違うんですね。結局、ラットで治ったからといって、人間で治るかどうかわからない。サルだったら、かなり人間に近そうだ。そのときに移植する神経幹細胞は、将来の臨床への応用を考えてヒトの幹細胞を使おうと考えたわけです。それで、倫理委員会の承認を得て、中絶胎児の脊髄からとった幹細胞の培養を始めました。それを脊髄を損傷させたマーモセットという小型のサル、5匹に移植して、なんとか運動機能の回復というところまでたどりついた。
岡田 いや、よかったですね。
岡野 おかげさまで。こうしたサルの脊髄損傷モデルは世界でも初めてで、アメリカのNIH(国立保健研究所)のディレクターからは「アメリカ人はネズミで成功するとすぐヒトにやりたがるけれど、こういう研究がほしかった」と非常にほめられました。前臨床試験としての意義づけもできましたので、さらに安全性と有効性をブラッシュアップして…。
岡田 そこらへんの関所が相当たいへんだなとも思うけれど…。
岡野 あとはやるしかないかなと思ってるんですけどね。
ヒトのES細胞が使えれば…
岡田 ほんと話を聞かせてもらうと、脊髄損傷による手足のまひなどで困られている方にとっては朗報ですね。今後は、実際に幹細胞を臨床に使えるようにするという問題も解決しないといけないわけですね。
岡野 今、厚生労働省で幹細胞を使った治療のガイドラインを作ろうとしています。臨床への応用へと一日でも早く進みたいですね。
岡田 こうした具体的な実績があると、たとえばES細胞(胚性幹細胞)を使うことにも、一つの大きなプロモーションとなりますね。先生のようなお仕事がないと、生命倫理などの問題にしても非常に抽象的な話になっちゃいますから。
岡野 私の理解では、脊髄損傷がどうして治ったかというと、新しい神経細胞や髄鞘形成によって途切れていた神経ネットワークがつながって情報が伝わるようになったからなんですね。
岡田 橋渡しをしてくれたと。
岡野 けれど、これを進めてもパーキンソン病などの神経変性疾患にはきついかなと思っていまして。ケガによる損傷とはだいぶ病態が違って、神経変性疾患では大きな神経細胞が脱落します。これは、内在性の幹細胞の活性化や、あるいは脳の幹細胞の移植じゃ治らないんじゃないか。どうも介在ニューロンという小さな神経細胞しか作られないようなんです。それに対し、ES細胞というのはかなりパワフルです。私もマウスのES細胞から運動ニューロンとか大きな神経細胞を分化誘導することができました。モデル動物を使って機能回復もめざしています。それがうまくいきますと、ヒトのES細胞を使うことにもかなり説得力が出てくるんじゃないかと。
岡田 日本では使用がなかなか難しいとなると、アメリカに行ってやったほうがいいという流れにもなりますか。そうなるとちょっと残念ですね。
岡野 アメリカでは、すでに樹立したES細胞はどんどん使えということで、NIHのホームページに出ているES細胞だったら、どれを使ってもいい。きちんと情報公開がされています。日本もこれだったら輸入して使ってよいとか、きちんと決めていただきたいのですが…。そういう意味で、ES細胞がなかなかスタートできなかったぶん、サルの脊髄損傷に力を入れたという面もありますね。
岡田 それでも幹細胞を使った治療のガイドラインのほうはなんとか前向きに進みだしたわけですね。
岡野 ちょっと前までは非常に閉塞感を感じていました。こんな基礎研究をやっていても、先に外国で臨床応用をやられたら、ほんとにやってられないと。けれど、だいぶ風向きが変わってきましたね。
岡田 臨床に直接結びつく新しいものというのはいろんな意味で難しい問題を抱えていますが、それで一緒にやっている若い人の元気がなくなるというのが一番困りますね。今日はお忙しいところ、どうもありがとうございました。
EYES
脳ではニューロン新生がたえず起きている?
神経細胞に分化する幹細胞を移植して再生医療に挑む
人間の脳は、多数の神経細胞(ニューロン)とグリア細胞から成り立ちます。ニューロンは脳内の情報伝達の担い手となる細胞で、軸索や樹状突起を伸ばして複雑な神経ネットワークを構成しています。グリア細胞(アストロサイトなど)とはニューロンの活動に必要なエネルギーの供給などをする細胞で、その数はニューロンの10倍もあるといわれます。
これまで、ニューロンは胎児期にそのほとんどが作られ、それ以降は分裂して増えることはない、逆に大人の脳では1日に数万のニューロンが死んでいる、と考えられてきました。年をとるにしたがって頭がボケるのも、そのせいだとされていたのです。しかし近年、脳でニューロンやグリア細胞のもとになる未分化の神経幹細胞の存在が証明され、大人の脳でもニューロン新生が起きていることが明らかになりました。
幹細胞とは、分裂して増えるとともに、特定の細胞に分化する細胞のことです。たとえば血液系では、骨髄に造血幹細胞があり、赤血球や白血球などの細胞をたえず供給しています。神経系でも、胎児期には大量の神経幹細胞があることはわかっていました。それが、大人の脳にもあることを証明したのが、今回、LF対談にご登場いただいた岡野栄之氏(慶應義塾大学医学部教授)です。
岡野氏は、ショウジョウバエの神経の発生過程において、ムサシと名づけた遺伝子が神経前駆細胞の挙動制御に重要な役割を果たしていることを発見。哺乳類では、ムサシが、神経幹細胞を特定するマーカー(標識)になるのではないか、と考えられました。そして、アメリカのコーネル医科大学のゴールドマン教授との共同研究で、てんかんの外科手術によって切除された大人の脳の一部からもムサシの発現を確認するとともに、細胞培養の実験によっても、実際にニューロンへと分化する幹細胞が存在することを証明されたのです。論文発表は、1998年のことでした。
大人の脳に神経幹細胞が存在するからといって、実際にニューロン新生が起きているとはかぎりません。発生の過程の残存物とも、グリア細胞の補給とも考えられます。しかし、その後、海外の研究グループによって脳の海馬という学習や記憶に関わる部位で、ニューロン新生が起きていることが報告されました。その役割については、今後の研究を待たねばなりません。
神経幹細胞の研究は、近年、注目を集める再生医療の分野でも期待されています。脊髄損傷やパーキンソン病など脳神経系の損傷や疾患において、有効な治療法となるのではないか。岡野氏も、脊髄損傷のサルにヒトの胎児の脊髄から培養した幹細胞を移植することによって機能回復に成功されました。さらには、あらゆる細胞に分化する「万能細胞」といわれるES細胞(胚性幹細胞)を使った研究にも取り組まれています。
脳梗塞などでニューロンが大量に死滅することによって起こる痴呆性疾患も、幹細胞の移植などで回復の余地が残されているかもしれません。高齢化社会といわれる現在、今後の一層の研究が待たれます。