LF対談
医療に役立つ実験動物をめざして No.37(2002.9)
財団法人実験動物中央研究所所長
野村 達次 氏
財団法人 千里ライフサイエンス振興財団
岡田善雄 理事長
ヒト疾患モデル動物の開発
岡田 前号の対談で慶大の岡野栄之教授に、ヒト胎児由来の神経幹細胞で、脊髄を損傷したマーモセットという小型のサルを部分的に機能回復させた実験のマーモセットは野村先生にお世話になったという話を聞きましてね。80年代からの遺伝子操作をしたマウスなど、いわゆるヒト疾患モデル動物の作成に、日本中の研究者が実験動物中央研究所(実中研)にお世話になったことを思い出して、彼もそうだったか、とあらためて実中研の有り難さを感じました。
野村 実中研を設立して50年、夢中でやってまいりましたけれど、ずっと考えてきましたのは、実験動物は何のためにあるかなんですね。基礎研究、新薬の開発や安全性の検定…結局、人間の健康、医療に役立つためにある。アレルギーの原因となるIgE抗体を見つけられた石坂公成さんとかつてボストンで一夜を共にして語り合ったことがありますが、石坂さんは「IgEを見つけたことによってアレルギーが治ったら、自分がIgEを見つけたことを評価してもらっていい」とおっしゃっていました。
岡田 ああ、そう言われていましたか。
野村 やはり少しでも医療に、臨床につながる研究を念頭においていなかったら、医学を学んだ者として本流をはずれたことになってしまいます。
岡田 ほんとに研究者は80年代の遺伝子導入マウスにしても、90年代のノックアウトマウスにしても、まず実中研にとにかく相談しようということでした。
野村 実中研は民間なので、私が決定すればすむことですからね。ややこしい手続きは必要ありません。実中研を始める前に、私が現在の医科研(東大医科学研究所)にいたとき、あてがいぶちの研究費でしかやれなかったら、自分の研究は世界の後を追うしかないと思った。そのときの夢で、どうしてもインディペンデントでありたいと。財団法人というのは普通、大企業とか国とか自治体とかたいていスポンサーがいますが、実中研にはスポンサーはいない。だから、経営的には大変だけれど、やりたいことができるんです。
岡田 僕のほうの歴史から言いますと、戦後の一番大きなブレークスルーは50年代に細胞培養ができるようになったことです。そして、70年代の中頃から遺伝子操作などのバイオテクノロジーが開発され、遺伝子の表現型を動物個体レベルで観察しようとなった。ある意味で細胞から個体への回帰現象が起こり、いよいよヒトにより近づいてきたわけですね。そのあたりから、それまでの先生のモデル動物開発のご努力に気づき、先生のところしかないぞとなった。
野村 68年に患者さんをいくら研究しても病因がわからないので、筋ジストロフィー症のモデル動物をやってくれないかという話が沖中重雄先生からありました。アメリカのジャクソン研究所が筋ジストロフィーを起こすマウスを維持していたんですね。実はその頃、世界では50年代に始まった実験動物の近代化において研究者が世代交代して、人間の病気が見えない学者ばかりになっていた。実中研も医学からのダイレクトな要求に応えないといけないと思っていたときだったので、繁殖技術的に難しいけれど、こんなことができないようでは実中研の存在価値はないとモデル動物の開発をお引き受けしました。結局、繁殖・飼育には成功したんですが、自然発症のマウスでは病因解明の役に立たなくて、行き詰まってしまいました。80年に日本医学会総会で「モデル動物による病因の解明」というテーマをやれと言われましたが、モデル動物で人間の病気を解明したという例は、ほとんどありませんでした。そんなときに遺伝子導入技術の成功を聞いて、これだということで82年に発生工学研究室を作り、遺伝子操作によるモデル動物の開発を始めたんです。
岡田 ほんとによく展開されてきたなと思います。経営を考えただけでもぞっとするなと。
ヌードマウスからNOGマウスへ
岡田 実験動物の開発、品質管理、大量供給は日本では実中研のみが成功し、結局、国が主導した計画はどれもうまくいきませんでした。無菌動物なども先生のところで実用化されたんですね。
野村 はい。無菌動物の実験動物化が大事だと思いました。この技術は、その後の免疫不全動物の開発成功の基となり、その代表例がヌードマウスです。遺伝的に胸腺をもたないT細胞を欠いた免疫不全動物で、ヒトのがんを移植できますからがん研究の貴重な実験動物にもなりました。しかし、免疫不全ですから、73年に導入したときはそれこそみんな感染して大変でした。無菌動物の飼育技術が役立ち、現在日本では20万匹のヌードマウスを生産してヒトのがんを用いた、抗がん剤のスクリーニングなどに使われております。アメリカの使用数は10分の1といわれています。このヌードマウスは、医者が使いたいと頭を下げて実中研に来た最初の例です。
岡田 そうか。ヒトの病気を研究できるということですね。
野村 それまで実験動物はあくまで補助的なものでしたが、重要な役割をもつようになりました。ヌードマウスによってヒトのがんの研究があらゆる領域で進みました。
岡田 そうでしたね。
野村 さらに83年に導入したSCIDマウスは、B細胞、T細胞を欠くマウスです。しかし、どうしてもヒトのがんが50%ぐらいしか移植できない。NK細胞等が働いて残りのものを拒絶するからではないか。それで、さらに進めて「ヒューマウス」ヒトの正常な組織も移植できるマウスができないかと考えて開発を続け、去年、ついにNOGマウス、NK細胞も欠いたマウスができました。驚いたことに、これはヒトの造血幹細胞を入れましたら、数週間後に70%の血液がヒトのものに変わり、リンパ球もヒト型となり、エイズの感染も成立する。そういうとてつもないものができたんです。まだ遺伝的に不完全なところがあるので、あと2年間は市販しませんが、現在このマウスの有用性と限界を検証しているところです。これもヌードマウスからつながっていることなんです。
日本発の世界の安全性基準第一号
野村 実中研のやったことを整理してみますと、第一は、「生きた物差し」として実験動物の品質規格という概念を確立したこと。実験動物というのは集団(群)として同じ品質のものがいつどこでも使えないと役に立ちませんからね。さらにその品質が変化していないことを保証するモニタリングシステムや受精卵の凍結保存を含め、すべての技術をシステム化しました。これは世界でも後世に残る大きな仕事だと確信しています。その次はモデル動物の開発。遺伝子操作によって作られたマウスをモデル動物として使えるように実用化したことです。
岡田 1つはポリオマウスですね。
野村 普通のマウスはポリオ(小児マヒ)ウイルスに感染しませんが、ポリオウイルスのレセプター(受容体)遺伝子を導入したポリオマウスだと感染し、生ワクチンの安全性の検定に使えます。2000年にWHO(世界保健機関)はこの検定系を認めて、今までサルを使っていた検定をポリオマウスに切り替えることになりました。なぜポリオマウスの実用化を行ったかというと、遺伝子操作マウスができるようになって、これで飛躍的に薬の開発も進むだろうと、みんな期待をもってそれに飛び込んだんですが、結局、実用化されず、創薬には関係ないと評価されていましたから、そうじゃないんだ、ちゃんとできるんだということを見せたかったんです。ポリオマウスはそのよいエクササイズになりました。
岡田 しかし、よいところに着眼された。
野村 WHOが現行の検定法を少しでも早くサルからマウスに変えられるように、われわれは、全部で6万2000匹のポリオマウスを無償で確認実験をする世界の10の研究機関に配りました。
岡田 迫力ですな(笑)。
野村 品質規格もすごく厳しくやった。計10か所、1つのワクチン(検体)について3か月2~3か所ずつ同じものをダブルチェックして、全部同じ結果になりました。きちんと再現性が確認された。日本から発信して、世界の安全性の基準になった第一号です。
岡田 すばらしいですね。
野村 達次 氏
財団法人実験動物中央研究所所長
1922年、東京都生まれ。45年9月慶應義塾大学医学部卒業後、東京大学伝染病研究所研究員として勤務(45~51年)、東京大学大学院特別研究生(51~54年)。52年には実験動物中央研究所を創立(54年財団法人実験動物中央研究所に改組)、副所長(65~66年)を経て66年から同所長を努める傍ら、71年より慶應義塾大学医学客員教授を努める。実験動物の開発・研究の功績が国内外から認められ、65年 小島三郎記念文化賞、75年 日本医師会最高優功賞、84年 紫綬褒章、88年 ICLASミュールブック記念賞、92年 吉川英治文化賞、97年 文化功労者顕彰、98年 勲二等瑞宝章、98年 アメリカFDA(食品医薬品局)医薬品評価研究センター、(TgrasH2マウス実用化)特別功労賞、2000年 アメリカFDA(食品医薬品局)生物製剤評価研究センター、(TgPVR21 Poliomouse実用化)特別功労賞等を受賞。01年 タイ・マヒドン大学Doctor of Veterinary Medicine(Honoris Causa) から名誉学位が贈られる。
日本の実験動物は世界最高の品質
岡田 発がんの安全性の検定に使う動物開発についてもちょっとお話いただけませんか。
野村 がん遺伝子とされるras遺伝子の活性化されていないのをマウスに入れた。それに発がん物質をやりますと、26週でがんができるんです。普通のマウスではできない。
岡田 それのスタートはどんなところから?
野村 最初はなんでもかんでもやってみようと。実中研では何か新しい実験動物ができると、すぐ専門の医者が集まって、それが使いものになるか議論して、いいものを引っ張り出してくる。そういうシステムができています。医療につながっている医者でないかぎりは、その動物の評価もできないですからね。ところが、世界を見ると実験動物界は世代交代でほとんど病気を知らない人によるまさに道具の研究になってしまっている。
岡田 日本でもだいたい似てるんですけどね(笑)。
野村 いや、実中研がありますから。今、実中研のバックには実験動物の研究に取り組んでいる医者が100人以上います。驚くことにアメリカはですね、実験動物の開発研究に1人も医者が関わっていないように思われます。新聞記者に世界で実験動物の研究はどこが進んでいるかと聞くと、アメリカって言うんですよ。アメリカはいちばん遺伝子操作にマウスを使っているからと。しかし、使っている数はいちばん多いかもしれないけれど、医療のためのモデル動物として独立して研究していませんし、品質規格検査のセンターもありません。もうひとつは、その国の実験動物を支える最大のニーズである製薬企業がアメリカでは実験動物について関心がないことです。日本の製薬企業は安全性というものに非常に熱心ですが、さらに日本の製薬企業や研究所には、世界最高の品質の実験動物を使っていることを認識してほしいと思いますね。
岡田 僕も今日はちょっと認識を変えないといけないと思っていますけれど、発がん性の動物開発に戻ってもらうと、これは世界でも認定された?
野村 医薬品承認審査の国際協調会議で新薬の発がん性評価が見直され、マウスの2年間の長期試験では、マウスそのもののがんか、薬によるがんかわからないからやめましょうとなったときに、今のras遺伝子を入れたマウスのほかいくつかの遺伝子操作動物が候補になって、世界51か所の研究機関が40億の巨費を投じて共同評価試験を行いました。その結果、日本のras導入マウスを含む2種類が、FDA(アメリカ食品医薬品局)とヨーロッパEUの規制当局で認められました。そうすると、2年もかかったがん原性試験が6か月でできることになります。
岡田 それは食品にしても環境物質にしても安全性の検定では、どんどん広がっていきますね。
野村 今後、実中研が何かするときの財政的な基盤になればいいと思っていますね。
世界のどこもやっていないこと
岡田 先生のお話を聞いていたら、とても研究者では発想できないことまで考えられている。やはり独立した財団法人のプレッシャーのようなものもあったんでしょうね。
野村 研究者1人ひとりが危機感をもって、自立の精神をもっていないとつぶれちゃうわけですからね。いつも私が言っていたのは、世界のどこもやっていないようなことをやらなくちゃいけないということです。二番煎じではいけない。実験動物の品質規格にしても、それまで世界にはなかった。要するにメートル法のような共通の尺度がなかったんです。しかし、きちんと保証された物差しとして実験動物がなければ、動物実験は再現性を得られない。再現性を得られなかったら、それはサイエンスじゃない。
岡田 大変だったろうな。僕は文部省の学術審議会の委員をしている頃、research resourcesの問題になるとどうしても先生にお出まし願いたいということがありまして、しょっちゅうご無理願ってたんだけれど、そのときいつも思っていたのが、実中研は野村先生でもっているということです。将来、つぶれると困るなあと気になっていました。今日、お話を聞いて、そのへんのところもお考えになっている。ちょっと安心しましたね。
野村 今、ゲノム解析にたくさんのお金がつぎ込まれているわけですけれど、いったいゲノムは医療にどうつながっているか。アメリカのジャクソン研究所で聞いたんですよ。いったいいくつ病気が治ったか。いくつ薬ができたか。ところが、全然ない。
岡田 ないですね。遺伝子治療でも現在のところヒトで本当に成功したといえるものは1つもない。
野村 遺伝子治療で成功しなかった1つの大きな理由は、動物実験をしていないからです。そういう意味で楽しみなのは、ようやく人間と同じX染色体上のデストロフィン欠損の犬が見つかったんです。その遺伝子を実験動物のビーグル犬に入れまして、犬の遺伝子治療ができましたら、そのまま人間のデュシェンヌ型筋ジスにもあてはめられる。そうした遺伝子治療の実験ができる動物実験システムというのは初めてなんですね。
岡田 そうですか。楽しみですね。最近の若い人は実験動物を使うのを嫌がって、すぐ遺伝子のほうにいく面があります。そういう意味でも、今後も野村先生のご活躍を期待しております。今日はお忙しいところ、ありがとうございました。
EYES
遺伝子操作によって有益な実験動物を開発
ワクチンの安全性試験用の遺伝子導入マウスを実用化
中枢神経系や免疫、発がんの仕組みの解明…ライフサイエンスのさまざまな領域では、基礎的な研究にマウスやラットなどの実験動物が欠かせません。バイオテクノロジーの発展により、特定の遺伝子を導入したり、欠損させたりすることによって、その遺伝子の生体内での働きを調べる遺伝子操作動物も多数作られるようになりました。
一方、医薬品や化学物質などの安全性を調べるための「生きた秤(はかり)」としても、実験動物は用いられています。こうした新薬開発など実用的な分野で実験動物として用いられるようになった遺伝子操作動物の第一号が「ポリオマウス」です。ポリオ(小児マヒ)経口生ワクチンの安全性試験において従来のサルから切り替えることが、2000年にWHO(世界保健機関)で認められました。
このポリオマウスの実用化に大きな役割を果たしたのが、今回、LF対談にご登場いただいた野村達次氏が所長を務められる実験動物中央研究所(実中研)です。ワクチンの安全性試験などでは品質の均一な実験動物を計画的に量産できることが必要となります。実中研は、野本明男氏(現東大教授)らによって作られた、ポリオウイルスのレセプター(受容体)遺伝子を導入したマウスの実用化の過程において、品質規格化・量産化、評価システムの開発に成功したのです。
実中研では、ポリオマウスのほか、発がんの安全性試験に用いられる遺伝子導入マウスやその評価システムの開発、高血圧モデルのマウスなど「ヒト疾患モデル動物」の開発において、世界に先駆けて遺伝子操作による実験動物の実用化を進めています。
実中研が動物実験の精度向上をめざして設立されたのは1952年でした。世界で初めて実験動物に品質規格の概念を導入し、遺伝的、微生物的品質の国際規格や、その品質規格を保証する「モニタリングシステム」を確立。80年には、国際実験動物会議が実中研のモニタリングセンターを世界で唯一の「ICLASモニタリングセンター」として公認。実験動物のモニタリングを専門に行うセンターは、現在もアメリカやヨーロッパにはありません。高品質の実験動物の受精卵を半永久的に維持する凍結保存システムも確立しました。
実中研は、ヒトの病気の原因解明や治療に役立つモデル動物の開発も進めてきました。筋ジストロフィー症モデルのマウスに始まり、免疫不全のためにヒトのがん細胞などが移植できるヌードマウスやSCIDマウスの開発などを経て、先の例のような遺伝子操作によるモデル動物の開発にも取り組んでいます。
ポリオワクチンの安全性試験では、毎年、多くの野生ザルが実験動物として用いられていました。それがポリオマウスに切り替わることは、野生生物の保護の観点からも望ましいことです。これまで実験動物が人間の代役を務めてくれることによって、私たちの健康な生活は守られてきたともいえます。今後も有益な実験動物の開発、合理的な生産利用の進展が期待されます。