LF対談
運動中枢・小脳の回路理論を実証 No.39(2003.5)
理化学研究所脳科学総合研究センター特別顧問
伊藤 正男 氏
財団法人 千里ライフサイエンス振興財団
岡田善雄 理事長
小脳回路で長期抑圧を見つける
岡田 伊藤先生は日本学術会議会長の時代、「21世紀は脳の世紀」という非常に大きなキャンペーンをされ、また現在も脳研究のリーダーとしてご活躍ということでずいぶんお忙しい毎日と思いますが、先生のご経歴をちょっと拝見させていただくと、東大医学部の学生のときから脳とか神経生理学に興味をもたれてらっしゃった…。
伊藤 医学部に間違って入ったんですよ。医学の講義がちっとも面白くなかった(笑)。
岡田 そのあと、オーストラリアのエックルス先生のところへ行かれた。それは相当早い時期に行かれたんですか。
伊藤 30歳のときです。
岡田 先生は小脳の運動学習のパイオニアだと思っていますけれど、小脳はオーストラリアから帰ってこられてから?
伊藤 エックルス先生は脊髄の仕事で有名になった人です。抑制性のシナプスを見つけて、ノーベル賞をもらった。僕もオーストラリアでは脊髄ばかりやってたんです。だから、1962年に帰ってきて何をしようかと考えたとき、脊髄ではもうやることがないと。それで延髄に移って、ダイテルス細胞という大きな神経細胞を調べたら、小脳のプルキンエ細胞から抑制性の信号が来ていることが見つかった。
岡田 ダイテルス細胞とのシナプスで…。
伊藤 それを63年に見つけて、それ以来、小脳にはまりこんで足が抜けなくなっちゃった(笑)。
岡田 先生のプルキンエ細胞を中心とした運動学習に関するお話というのは、たぶん今の脳生理の中でいちばんわかっているところなんでしょうね。
伊藤 脳の神経回路がどう働くか、よく考えてみると小脳しかわかってないという感じでね。他のところもいろんな神経細胞がつながっていることはわかっているけれど、それがどう働くのかになるとさっぱりわかっていない。
岡田 そのメカニズムについてちょっとお話しいただけませんか。
伊藤 プルキンエ細胞はだいたい10万本の平行線維とつながっていますが、それと全く対照的に登上線維とも1対1でつながっている。1本だけやってきて名前のとおりプルキンエ細胞をよじ登っている。すごく面白い。その登上線維が延髄の下オリーブから来ていることを60年代にハンガリーのセンタゴタイという人が見つけた。それと、小脳から出てくる信号はすべてプルキンエ細胞からなんですね。他の細胞からは出てこない。
岡田 とにかくこれは小脳の親分だと。
伊藤 最初は抑制性の信号を出すというんで一生懸命調べていたんですが、そのうち平行線維と登上線維、この2つの信号がプルキンエ細胞に入っているのはどうしてなのかということが問題になってきたんですね。いろんな解釈があったのだけれど、これがシナプス可塑性、一種のメモリー装置ではないかという説が理論家から出てきたんです。67年に、抑制だとか興奮だとか小脳の神経回路について、エックルス先生とセンタゴタイと僕の3人で『神経機械としての小脳』という本を出したら、コンピュータ工学とか理論家がみんな興味をもってね。この回路は何を意味しているか。世界的に大きなシンポジウムも開かれた。理論家にとって大事なことは、この回路にメモリー素子があるかないか。メモリー素子があればコンピュータができる。学習機能も生まれる。それが、70年頃、大問題になったんですね。
岡田 そうですか。
伊藤 それで、ケンブリッジにいた応用数学のデビッド・マーという若い人が最初に出した理論が非常に有名になった。そのあとアメリカのコンピュータ会社にいたアルブスという人が出した理論も有名で、実際はそっちのほうが合っていたんですが、実験と理論の接点ができて、世界的にすごく面白い時期でした。それならほんとにメモリー素子があるかないか、世界中で実験しだしたわけ。
岡田 メモリー素子と言われても、僕らなんか具体的にどういうことなのかというと、さっぱりなんですが…。
伊藤 それは、2つの信号がぶつかるとどうなるか。登上線維からは強い信号が入る。からみついていますからね。そのとき、平行線維から入る信号の接続の仕方が変わるんじゃないかって。
岡田 どう変わるかが問題だった?
伊藤 マーは2つの神経細胞が同時に興奮するとつながりが強くなるというヘッブの理論を基にぶつかると強くなると考えたけれど、アルブスは逆に弱くなるって言ったんですよ。それでエックルス先生はじめ世界中がほんとにそうかって、調べだした。たいしたもんですよ、理論家は。メモリーの働きがあることを見抜いた。僕はそれから理論家を尊敬しています。理論家の予見力は偉いものだと。ところが、世界中で調べたけれど、みんな失敗しちゃってね。当時は技術が悪かったんですよ。
岡田 裏づけがなかなかとれない。
伊藤 とれない。エックルス先生もマーを呼んで、自分のそばに座らせて実験をやったけれど、両方いっぺんに刺激しても「何も起こらないじゃないか」と。そして、1980年になってやっと弱くなることを僕が見つけた。精度の悪い方法じゃダメなんで、ちょっと手の込んだ方法を使ってね。
岡田 執念やったわけですね。
伊藤 82年に発表したけれど、世界中で全然認めてくれなくてね。みんな失敗してるもんだから。それで結局、90年近くまでかかったけれど、やっぱり弱くなるということがわかって、長期抑圧という名前もついた。だから、僕が自分らでやったと言えるのは、プルキンエ細胞の抑制信号と長期抑圧を見つけたと、それだけですよ。
岡田 いや、それがすごいですよ。
伊藤 そのあとは、小脳の神経回路がどう働くか、いろんな制御理論の考え方を使ったりして組み立ててきました。まだいろいろ、異論はありますけどね。
小脳では成功した回路だけ残る
岡田 小脳の働きについては、それでだいたい基本は固まったということですか。
伊藤 なんでこれ抑圧かっていうと、運動の学習というのは練習して失敗すると、登上線維から誤差信号が入ってくる。そのとき平行線維から信号が入っていると、その間違いに責任があるというんでその回路を切っちゃう。だから、成功したとき働いている回路だけが残る。
岡田 不思議なもんだけど、長期抑圧によってあるパターン化ができていると。子どものときに自転車に乗れるようになったら、年をとってからも乗れる。そういうのは、このパターン化が残っていると考えるわけ?
伊藤 僕はそう信じているんですけどね。小脳が最初に覚えてどこかに移すという説もないことはなくて論争をしてはいますが…。
岡田 しかし、身体の筋肉というのはいっぱいあるなと思ってね。それぞれに対応しているのはすごいですね。平行線維とか脳の神経がどこにつながっているか、一つひとつ調べていたら何のことかわからんようにならんかと思うんだけれど。
伊藤 脳は複雑ですから、細部に入り込むとそんな気がする。最近、若い人に話を聞いたんだけれど、大脳の神経細胞を一生懸命調べて結局、何がなんだかわからなくなった。「これやって何かわかるんでしょうか」と、泣きそうになってる(笑)。正直だなと思ったけれど。
岡田 長期抑圧の他に、海馬のところには長期増強というのがあるでしょ。これは、記憶との関係ではキーポイントになるわけですか。
伊藤 記憶は、認知記憶と非認知記憶に分けられる。認知記憶は中身を言えるんですね。今朝、何を食べたとか。ところが、非認知記憶というのは中身が言えない。自転車の乗り方とか、身体で覚えた記憶なんです。運動の学習ですね。で、認知記憶は大脳、特に海馬が中核になる。非認知記憶のほうは小脳とたぶん大脳基底核も担っている。海馬の長期増強というのは、信号が続けて来ると信号の通り方がよくなる。これは見て覚え、聞いて覚えというときに働く。小脳のほうは習って習って制限していくわけね。余分なものを削り落としていく。その違いがあるんですね。
岡田 年をとると記憶力が悪くなりますよね。そういうのも長期増強とかに関わっているわけですか。
伊藤 年をとったネズミは長期増強が起こりにくくなるのは確かなんですよ。だから、人間でも悪くはなっているだろう。新しいことを覚えるのは不得意になる。だから、年をとった人にいきなりパソコンを使えとかね。それは絶対に不利だけれど、でも高齢者は大局的な判断においては若い人よりずっといいといわれているんですよ、心理学的にね。
岡田 それはありがたいですな(笑)。
伊藤 そういうのが今、ものすごく見直されている。それをちゃんと理解して活用しないと高齢化社会はもたないと。高齢者に若返れ、若返れって、体操させたり、若いのがなんでもいいという考え方はもうダメなんで…。
岡田 それ、ぜひもっとキャンペーンしてください(笑)。
伊藤 だけど年をとると、なんか思い出しは悪くなるでしょ。あることを思い出そうとするときになかなか出てこない。
岡田 いやたしかに。
伊藤 あれは結局、海馬の出口にある組織の問題だっていわれているんですよね。何かを覚えるときは海馬を通って大脳に固定するんだけれど、大脳の情報を呼び出すときにやっぱり海馬が働くといわれているんです。
伊藤 正男 氏
理化学研究所脳科学総合研究センター特別顧問
1928年、愛知県生まれ。53年東京大学医学部卒業。熊本大学医学部助手、東大医学部助手、助教授を経て、70年同教授。59~62年オーストラリア国立大学(J.C.エックルス教室)に留学。89年理化学研究所国際フロンティア研究システムに移り、97年同研究所脳科学総合研究センター所長、2003年4月より特別顧問。94~97年日本学術会議会長。東京大学名誉教授。日本学士院会員。藤原賞、日本学士院賞・恩賜賞、日本国際賞、文化勲章、ロバート・ダウ神経科学賞(米国)、レジョン・ドヌール勲章など数多くの栄誉を受賞。国際脳研究機構会長、同名誉会長、国際学術連合会議総務委員、王立スウェーデン科学アカデミー外国人会員、英国ロイヤルソサイエティ外国人会員、フランス科学アカデミー外国人会員として国際的に活躍。研究テーマは、小脳の機能原理と神経機構。小脳研究の世界的な権威。著書・編著も『脳と思考』『脳の不思議』など一般書も含め多数。
理論の大きな飛躍が待たれる
岡田 今、大脳の話が出たけれど以前、佐々木和夫先生と対談をしたことがあって、大脳の前頭葉について、これは脳の階層性からいえば構造的にも機能的にも最上位だと思ってたんだけれど。
伊藤 進化の上から見ても最上位ですよね。霊長類になってうんと発達してきて、人間だと大脳皮質全体の4分の1ぐらいを占める。今、画像法を使う人たちがいちばんのターゲットにしています。何かをやろうとすると、やるなと頭の中で制止がかかる、佐々木先生の「ゴー・ノーゴー学習」。あれは人間とサルで同じところが働いている。
岡田 そんな意味からいうと、やっぱり機能的にも最上位かなという感じがするんですね。
伊藤 フロイトのいう超自我ですね。心の最高位。モラルとか規範でもって本能とか自我を抑圧している。
岡田 僕、高知県の教育委員を8年ほどやらせてもらってね。その前頭葉の知的な抑制が外れてしまうという意味での非行というのがありそうだなと考えたりもしたんですけれど。
伊藤 脳と教育の関わりがだいぶ大きな問題になってきました。やっぱり前頭葉の問題が大きい。8歳前後というのは前頭葉がまだ成熟してなくて、画像法で調べると情動を抑える働きが十分ではない。12歳ぐらいになると完成してくる。キレルというのは、前頭葉が情動を抑えられないで、爆発させてしまうことだろうといわれています。教育と育児については、いろんな国が困っているんですよね。何かちゃんとした科学的な拠りどころが欲しいということで、脳研究からの助言が求められている。
岡田 前頭葉をはじめ脳研究というのは、これから先、何がどうなればホッとするのかと。
伊藤 う~ん、今のサイエンスのアプローチでいくと、脳の各部分の働きはわかってきてますよね。だけど、脳全体の働きをまとめたり、最初の指令を出すところがわからない。動物では外からの刺激が反応を起こしますが、人間では、こころのなかから最初の指令が出ると感ずるときがありますよね。脳の統合性とか、自律性、自発性というものの生まれる仕組みがわかると、脳とこころの問題も大きく前進しますね。
岡田 非侵襲性のいろんな画像装置がいっぱいできてきていますよね。
伊藤 まだサルでわかったことを確認している仕事が多いですね。やっぱり理論がないとつながらない。今、事実の蓄積がものすごくて理論がちっとも進まないんですよ。理論のほうの大きなジャンプはだいたい20年ごとに起こってきた。だから、ニューロコンピュータが出て20年たってるから、何か出なくちゃいかん時期なんですけどね。今の脳の研究でいちばん期待できるのは、脳神経系のいろいろな病気の原因の解明と、それを基にした新しい治療法の開発です。アルツハイマー病など、あと5年たてば必ず薬ができると豪語する人がいます。今まで手の付けられなかった精神病の研究にシフトしている人も少なくありません、世界的に。
岡田 僕はときどき音楽会に行くんですけれど、ピアニストの指の動きを見てると、リズムからタッチの強さから、ほんとに脳というのはよく記憶してるもんだといつも感心しながら聞かせてもらっています。
伊藤 あれ意識しないで弾いてますでしょ。無意識のとき動いているのは小脳ですよ。それと小脳は運動中枢といわれてきたけれど、運動だけじゃないということになってきました。いちばんのヒントは人間になると小脳の脇のほうが大きくなる。それを損傷しても運動障害が起こらない。画像法でも、運動を全然していない、頭を使っているときに反応が出る。メンタルな活動にも運動と共通項はありますよね。何もかもいちいちはじめから考えていたら何も考えられない。練習で身につけるのと同じように、繰り返し考えたことが自動的に出てくることがある。
岡田 たしかにそうですね。
伊藤 言葉なんかもそうですね。アルツハイマー病のほんとにボケちゃった人というのは、すぐ忘れちゃうし、目の前にいる人もわからないけれど、日常のことはやれるんですね。トイレにも行くし、ごはんも食べる。画像法で見ると大脳の連合野はもうほとんど働いていない。小脳は強いんですよ、アルツハイマー病に。全然やられない。
岡田 小脳がやられないかぎりなんとか生活はしていけるということですね。今日はお忙しいところ、どうもありがとうございました。
EYES
小脳が運動を学習するメカニズムとは?
長期抑圧型シナプスによって不要な回路が切断される
人間の脳では、約1000億個の神経細胞(ニューロン)が「樹状突起」や「軸索突起」という神経線維を伸ばして複雑かつ精妙なネットワークを作っています。細胞と細胞の間はシナプスと呼ばれる接続部分によって信号のやりとりをしています。木の枝のように分かれた樹状突起や細胞体に作られた多くのシナプスで信号を入力し、長く伸びた1本の軸索突起の末端にあるシナプスで出力しています。
そのシナプスでの信号の伝達効率が変化することで特定の回路パターンが作られ、そのために記憶や学習が可能になるのではないかと19世紀以来、多くの人によって考えられてきました。これを「シナプス可塑性」といいますが、可塑性とは弾性の対の言葉で、力を加えて形を変えると、そのあと力を除いてもその変化が残るという意味です。
1973年に大脳の辺縁系にある海馬で実際に信号の伝達効率がよくなる「長期増強型シナプス」が見つかりました。海馬は障害を受けると何も覚えられなくなり、昔から記憶にとって重要な場所だといわれていたところです。一方、80年に小脳で伝達効率が悪くなる「長期抑圧型シナプス」を見つけられたのが、今回、LF対談にご登場いただいた伊藤正男氏(理化学研究所脳科学総合研究センター特別顧問)です。
小脳皮質にはプルキンエ細胞という大きな神経細胞を中心として、5種類の神経細胞がきれいに配列された神経回路が作られています。小脳皮質から出力される信号はすべてプルキンエ細胞からです。そのプルキンエ細胞1個1個は約10万本の平行線維と1本の登上線維から入力信号を受けていますが、両方からの信号をほぼ同時に受けると平行線維のシナプスでの伝達効率が低下します。これが「長期抑圧」と呼ばれる現象です。平行線維のシナプスのうち、あるものは信号を通さなくしてしまうのです。
小脳に病変があると、運動が不正確でぎこちなくなります。そのために小脳は運動の制御や学習に関与していると考えられていました。運動をなめらかに、そして正確にする働きがあるのです。実際、運動を練習するときは、何度も間違えながら繰り返し練習することによって正確な動きができるようになります。これは登上線維からの「誤差信号」によって、間違えたときの平行線維とプルキンエ細胞の回路が切られることで達成されるのではないかと説明できるのです。
伊藤氏は、その後84年に出版された『小脳と神経制御』で小脳の機能について一般的な原理をまとめられ、小脳を学習機能のある運動制御器として位置づけられました。また、長期抑圧がどのように起きるのか、分子レベルでの研究も続けられています。理化学研究所脳科学総合研究センターでは所長としても手腕を発揮され、脳に関するさまざまな研究の後押しをされています。
現在、小脳は運動の制御や学習だけでなく、精神活動への関与も注目されています。小脳をはじめ脳に関してはまだわからないことが多いとはいえ、着実に研究の成果は上がっています。アルツハイマー病やパーキンソン病などの疾患に関しても、いずれ治療への道が開かれるでしょう。ニューロコンピュータなど工学分野への応用も重要です。今後の脳研究の進展が期待されます。