LF対談
彩都のライフサイエンスパークには期待しています No.42(2004.5)
大阪府知事
太田 房江 氏
財団法人 千里ライフサイエンス振興財団
岡田善雄 理事長
まさか大阪の知事になるとは思わなかった
岡田 この4月に彩都(国際文化公園都市)の街びらきが開催されるということで、財団の広報誌でも彩都を取り上げようという話になったんですが、これはもうどうしても太田知事と対談させてもらわないといけないということになって、どうもご無理言って申し訳ありませんでした。
太田 いいえ、とんでもないです。
岡田 それで最初にですね。まずは知事がお生まれになったところの話ですね。広島県の呉市とは知っていましたが、つい最近、片山小学校の出身と聞きましてね。実は僕も片山小学校出身なんです。
太田 それは偶然ですね。
岡田 片山小学校は戦災を免れましたからね。知事が通っておられたときも、僕の頃とたぶん一緒の建物だったにちがいないなと。木造の校舎が3つ並んでいましてね。
太田 はい、そうでした。
岡田 それで、低いところに校庭があってですね。知事とは年齢でいえばふた回りほどちがうんですけれど。
太田 じゃあ、私の母と同じくらいですね。岡田先生は昭和3年生まれでいらっしゃるんですよね。うちの母が4年生まれで、やっぱり片山小学校なんです。
岡田 そうですか。小学校の思い出というと、校庭の隅に鉄棒と砂場がありましてね。休み時間になると、よく相撲をとっていました。知事の頃は休み時間の遊びって何でした?
太田 校庭でドッジボールをやったり、縄跳びしたりですね。私の頃もまだすごく貧しい時代でしたね。
岡田 まだ戦後の名残がある時代ですね。知事がお生まれになったのは、ちょうど僕が大学を出て大阪大学の微生物病研究所に入った年です。中学・高校も呉ですか。
太田 それはちがうんです。父は国鉄の職員だったんですけれど、中学1年のときに新幹線ができて豊橋市に移ったので、中学の大半と高校は豊橋なんですよ。あと大学以降は東京だから、多国籍というところでしょうか。
岡田 それでも呉のご出身ということで、えらいご縁があるなと勝手に思っていましてね。
太田 いえ、とても光栄です。
岡田 それで少しお話が聞きたいのは、知事は通産省(現経済産業省)の審議官までやっておられた。それが、大阪府の知事選挙に出てこられた。いろんな縁があったと思うんだけれど、実際、決められたときのご自身の感じはどうだったのかなと思って。
太田 当時はそんな気はまったくなかったんですよ。前知事が突然辞任し、いろんな方のいろんなお考えがあったと思うんですけれど、ともかく私にお話が来たんです。今でも覚えていますよ。平成11年の12月の下旬に、「1日だけ考えろって」言われて。1日考えたってなあと思ったんですけれど。
岡田 考えようもないね。
太田 最後には、大阪府政と太田房江って語呂が似ているからいいやって(笑)。冗談みたいですけれど、もうそれぐらいの勢いで決めちゃいました。岡山県の副知事もやっていましたから、地方行政には関心があったんですよ。こっちで主人も商売やっていましたしね。とにかく中央の官僚というのは夢がどんどんなくなっていた時代でしたから。漠然と先のことは考えることがありましたね。
岡田 通産省というと、世界との対応でいちばん強いところだと思うけれど。
太田 いや、とんでもない。先日もある先輩の方に言ったんですけれど、昔は通産省の建物に入ると、みんながすごくがんばってやっているというのが空気としてスーッと伝わってきたから、私、通産省に入ったんですよ。呉が工業都市だったのも、やっぱり大きかったですね。
岡田 子どもの頃の印象が強かった。
太田 呉市で鉄鋼、造船とか、地場産業と新しい重厚長大産業を目の当たりにして、今にして思うと公害なんですけれど、煙突から煙がモクモク上がっているのを力強いものと感じていました。
岡田 力強く感じられますからね、あれは(笑)。
太田 煙がモクモクしているのが誇りだったんですよ。ちがうホコリだろっていうのに(笑)。とにかくそれで通産省に入ったんですけれど、時代とともに我が国の産業構造も大きく変化して、今は情報や通信といったソフト産業の価値が高まり、まさに隔世の感がありますね。
感染症対策は21世紀の課題
岡田 そして大阪府の知事になられた。今はやる仕事が多すぎるんじゃないかなと。
太田 やればやるほど忙しくなる。もう大変だなと思いますけれど。
岡田 知事のお仕事というのは、横から見ていますと、この間の鳥インフルエンザのように突発的な問題から、関西国際空港の中長期の話から、中小企業をどうしようという話から、長い期間の話と瞬間的な話とありとあらゆるものがあって多様なんですね。
太田 やっぱり自治体のやるべきことっていうのが増えてきているんでしょうね。
岡田 感じとしては三次元なんですね。普通は土俵というものがあって、そこで仕事をしますね。二次元のものだと思うけれど、知事の仕事というのはそれ以上の広がりがあって、その一つひとつに対応していかないといけない。相当ストレスもたまると思うんですね。それもずっとストレスばかりの毎日だから、今日のストレスを次の日に引っ張ったらどうにもならない。たぶんストレス解消というのも、その日のうちにやってしまわないといけないんじゃないかと思いますけれど。
太田 私はまずは睡眠ですね。それとビール(笑)。
岡田 あっ、それでいける。飲んで、熟睡ということで。
太田 私、ストレスがたまりにくい体質だとこの間、言われました。マッサージをしてくれる人なんですけどね。さわるとわかるらしいんですよ。そう言われてみると、3日前のストレスも忘れているなと思って(笑)。いいかげんですね。
岡田 いつもくよくよしていたんじゃ、知事の仕事はつとまりませんからね。
太田 そうですね。自分のためにもならないし、大阪のためにもならない。しんどいときもマスコミに出れば明るく振る舞わないといけなかったりもしますからね。
岡田 あれ、テレビで見ましたよ。鳥インフルエンザの問題が起こったときに卵を食べておられたのを。しかし、まあ隣りの自治体でああいうのが起こると…。
太田 危機管理として、即座に対応しなきゃいけない。
岡田 瞬間的に何らかの対応をしなきゃならないというのは大変ですね。
太田 回転遊具だってそうですしね。一週間に一件くらいはありますよね。社会の動きというのは読みきれないところがありますから、もう日々危機管理ですね。
岡田 確かにね。僕は微生物病研究所にいましたから、感染症というのはいつも気になっているんだけれど、僕が研究所に入った頃は戦後の流れがずっと続いていましてね。感染症とか食中毒とかがいっぱいあってですね。それとの対応でおおわらわでした。ところが、それからずっと安定化してきましてね。だんだん研究所の中でもそういう仕事をする部門が少なくなりました。いわゆるかっこのいいバイオサイエンスというのに置き換わっていく時代になりまして、そんなときに最初に大腸菌のO-157の食中毒が起きて、そのあとBSEや鯉ヘルペスか。人間のほうではSARSですね。そして、今度は鳥インフルエンザ。ずいぶんいっぺんに出てきたなあと思っていましてね。
太田 私は医学については全然くわしくないんですけれど、21世紀は新しい感染症の時代とも言われていますね。だから、感染症対策をきちんとしないといけない。
岡田 昔のことですが、知事は学園紛争にはほとんど引っかかっておられませんね。
太田 もう末期でしてね。何かあると授業がなくなるのがうれしかったくらいです(笑)。
岡田 僕、学園紛争のときは微生物病研究所にいたんだけれど、もし学生が建物を占拠しようとしたときに抵抗するか、明け渡すかで議論が交わされたんですよ。僕はせっかく研究しているものを台無しにされるのはもってのほかだから戦えと言ったけれど、少数派で困っちゃったんですけどね。そのときいちばん心配したのが、研究所にあった病原微生物のことでした。学生が中に入ってきて、知らずにそれを外に出したら、処置のしようがないんですね。けれど、学生もえらいわ。結局、怖いところには来なかったですね(笑)。
太田 そういう心配もされていたんですか。実際、感染症対策については、自治体のレベルでちゃんと対応できるようにしておかないと、えらいことになるなと思いますね。
岡田 瞬間的にそこの自治体でやってもらわないと、広がってからではちょっと手が出ないですからね。
太田 だから、全国一律に筑波の研究所で調べるとかね、そんなことやっていたらダメだと私も思っているんです。
岡田 時間のファクターがいちばんウエイトが高いんですね。こういう問題は。
太田 実際の現場と中央官僚の進み方というのが、あまりにも格差があって。自治体はその狭間にあってほんとに大変な時代になってきたなと思います。
太田 房江 氏
大阪府知事
1975年、東京大学経済学部経済学科卒業、同年4月通商産業省入省。1992年、通商産業省生活産業局住宅産業課長。1994年、近畿通商産業局総務企画部長。1996年、通商産業省産業政策局消費経済課長。1997年、岡山県副知事。1999年、通商産業大臣官房審議官(消費者行政担当)、2000年、大阪府知事。 趣味/音楽鑑賞、ピアノ演奏 好きな言葉/逢う人みな美しき
感染症とライフサイエンスパーク
岡田 昔、感染症の研究に関して問題になったのが関東大震災のときでしてね。その頃、感染症の研究をやっているところは東京にしかなかったんですよ。その東京が大変なことになったでしょ。それで、東京だけというのでは困るということで、阪大に微生物病研究所ができました。昭和9年です。東京と大阪の両方に感染症に関する研究所を作っておきたいという希望が非常に高まったんですね。大阪に微生物病研究所、そして東京には東大に伝染病研究所というのがあったんです。そのうち衛生状態がよくなってきて、先ほども言いましたように、感染症を直接研究する部門が両方ともどんどん減りましてね。伝染病研究所も名前が変わって、医科学研究所になった。そんな時代にこういうことが起こってきたんですね。
太田 ほんと矢継ぎ早ですものね。
岡田 実は、彩都のライフサイエンスパークに今度できる国立の医薬基盤研究所に、厚生省の感染症研究所に対応するような部門を作ろうというプランがありましてね。もちろん基盤研というのは創薬の研究所なんですけれど、研究者にとっては感染症というのは宝庫なわけです。どうしてかと言いますと、病原体と宿主というのがありますでしょ。宿主は病原体をなんとか排除しようとする。病原体はその防御をかいくぐるように進化する。
太田 はい。わかります。
岡田 そこらあたりの実験というのはラクにできましてね。そのメカニズムを知ることで、生き物の仕組みの細かいところがわかってくるんです。具体的にわかってくる。薬を創るといったって、結局、そういう微生物のずるいやり方にどのように対抗するかという工夫をしていかなくてはなりませんのでね。ですから、基盤研で感染症がらみのプランが存在するというのは、創薬にとっても非常に都合がよいし、こんな社会情勢になるとそれとの対応ということでも意味があるものになるんじゃないかと思っています。
太田 彩都の街びらきが目前に迫っています。私が申し上げるまでもなく、彩都は文化・学術・研究機能の集積する北大阪地域に「新しい生命(いのち)の都市」を築こうと、この間、ライフサイエンスパークについては、故・山村雄一先生はじめ、岡田理事長、岸本忠三大阪大学前総長にもご尽力いただきました。これだけ知恵のある方、人材がいらっしゃる地域ですから、この英知を結集し、産学官の連携で、バイオ産業の活性化、ライフサイエンスの発展を図ることで、大阪の都市再生、経済再生のさきがけとなるものと大いに期待しています。
岡田 太田知事が就任されてから、基盤研が設立されることも正式に決まりました。それまでは浮き沈みがありましてね。約20年前に阪大の総長だった山村先生が北大阪を生命科学のメッカにするという「山村構想」を打ち出されて、彩都のライフサイエンスパーク構想が進められてからも、その中核となる国立の研究所ができるかどうか、わからなかったんですよ。それができることが決まって、太田知事が2期目に入ったとたんに彩都の街びらきでしょ。もう逃げるわけにはいきませんよ(笑)。これからもよろしくお願いします。
太田 こちらこそ、よろしくお願いします。
岡田 今日はお忙しいところ、どうもありがとうございました。
EYES
新しい生命(いのち)の都市、彩都が街びらき
彩都ライフサイエンスパークを中心にバイオクラスターを形成
平成16年4月25日、北大阪の丘陵地に広がる新しい都市「彩都」(国際文化公園都市)の西部地区の一部で、街びらきが行われました。記念式典では、太田房江大阪府知事(彩都建設推進協議会会長)などによって、祝辞が述べられ、近隣の公園では大勢の来場者を集めて、記念パレードなどのイベントも開催されました。すでに集合住宅などへの入居や小学校の開校も始まっています。
彩都は、緑豊かな自然環境の中、人と自然の調和を基本として、ライフサイエンス分野の研究開発や国際的な学術研究・文化交流など、特色のある都市づくりをめざして計画されました。その基本方針は、次の7つにまとめられます。
●国際的な文化、学術研究の新しい交流 拠点の形成
●ライフサイエンス(生命科学)研究の新しい研究開発拠点の形成
●定住性豊かな新住宅地の形成
●緑豊かな「公園都市」の形成
●特色ある情報拠点と情報通信基盤の整備
●地域整備への寄与
●民間活力を活かした新市街地の形成
今回、街びらきが行われた彩都の西部地区には、基本方針にあるようにライフサイエンス研究の新しい研究開発拠点の形成をめざして「彩都ライフサイエンスパーク」の建設も進められています。その中核となる施設として国立の「医薬基盤研究所」や「彩都バイオインキュベータ」(仮称)が開設されます。彩都バイオインキュベータには、大学発のバイオベンチャーなどを育成・支援するためのオープンラボ、レンタルオフィスが整備されます。
この彩都ライフサイエンスパークは、今から20年前、大阪大学総長であった故・山村雄一氏によって北大阪を生命科学のメッカにしようと構想されたものです。北大阪は、大阪大学や国立循環器病センターをはじめ、国内有数のライフサイエンス分野の研究機関が集積している地域です。この知的インフラをさらに発展させようという雄大な構想でした。当財団もライフサイエンス分野の情報の受発信基地として建てられた「千里ライフサイエンスセンタービル」を活動拠点として、交流促進、研究助成などの事業を展開しています。かつて山村氏からは「千里ライフサイエンスセンターはソフト、彩都ライフサイエンスパークはハード」とのお言葉もいただきました。
そして今、彩都ライフサイエンスパークを中心として、北大阪におけるライフサイエンス分野の研究を推進し、その成果を産学官が連携して創薬など産業化に結びつける「彩都バイオメディカルクラスター」の形成が進められています。北大阪(彩都)は、国の「都市再生計画」において「大阪圏におけるライフサイエンスの国際拠点の形成」として指定され、また、平成14年度からは、創薬をテーマとするクラスター形成に向け、当財団が実施主体となって、産学官の連携の下、文部科学省の「知的クラスター創成事業」を推進しています。
バイオ産業の活性化については、欧米をはじめ世界各国で戦略的な位置づけがなされ、わが国でも次代の産業振興や雇用創出に大きな期待が寄せられています。生命科学のメッカをめざして、彩都の街づくりがスタートしました。それがどのように豊かな実を結ぶか、今から大いに期待されます。