LF対談

LH-RHの構造決定から未知のホルモン探索へ No.49(2006.9)

国立循環器病センター研究所名誉所長
松尾 壽之 氏

公益財団法人 千里ライフサイエンス振興財団
岡田善雄 理事長

謎のホルモンのアミノ酸配列決定

岡田 松尾先生は、旧制中学の呉一中で僕の1年後輩でした。阪大の蛋白質研究所に移ってこられたときはそれを知ってびっくりしたものです。今日の対談の少し前、「その時歴史が動いた」というNHKTVの番組で、荻野久作先生が新潟の或る病院の産婦人科医を勤めながら示された荻野学説「卵巣から排卵の後、黄体ができ、それから2週間後に月経は始まる」に到達されるまでの苦労話がありました。それから50年ほどたった1971年に松尾さんが脳下垂体から黄体形成ホルモン(LH)を分泌させる視床下部ホルモン(LH-RH)の分子構造を完璧に決めるという金字塔をうちたてられた。観ていて、相当大きな流れだと思いましたね。

松尾 そうですね。

岡田 そのポイントのところに日本の先生が2人存在しているんだなと思って、感慨がありましたね。

松尾 若い頃、荻野先生のお仕事については荻野式みたいなところでしか理解していなかった。ところが、LH-RH研究に携わってから、初めて荻野先生の偉大さに気がついたと思います。50年も前に、臨床の立場から、性周期という生物時計の存在を提唱されたわけですね。脳下垂体がそうした性周期の中心であるという仮説はストレス説のセリエによって指摘されていましたが、脳下垂体の機能をさらにコントロールしているものが視床下部にあるということですね。視床下部からのシグナルを受けて脳下垂体からLHと卵胞刺激ホルモン(FSH)が出る。そのシグナルの本体は何か。その本体を探していた1人がソーク研究所のギルマンで、もう1人が僕が一緒に仕事をしたチューレン大学のシャリーでした。2人は69年にほぼ同時に視床下部ホルモンのTRH(甲状腺刺激ホルモン放出ホルモン)の構造を決定していた。シャリーはもとはギルマンの共同研究者で、純粋に分離精製の仕事をやっていた内分泌学者です。16万5000頭のブタの視床下部をすりつぶしてLHを分泌させる能力のある分画を精製していくわけですね。

岡田 それも大変なんでしょうね。

松尾 大変です。なにしろ、現在のような微量の分離・精製技術がない時代ですから。僕がこの研究に参加したのは、シャリーもギルマンもほぼ精製ができたといっていた頃でした。ギルマンのほうはヒツジ200万頭の視床下部を集めたという。だけど、あるところまで精製が進むと、ホルモン活性の本体が消えてしまって、誰も追試できない。あいつらウソをついている。ヒマラヤの雪男とかネス湖のネッシーを探すようなもので、捕まえもしていないのに、捕まえたといっているとさえいわれていた。

岡田 そういうことが一般にはいわれていた時代だったの。

松尾 70年にシャリーから手紙が来ましてね。僕がペプチド(数十個のアミノ酸から成る小さなタンパク質)のC末端のアミノ酸決定法、微量のサンプルで分析できる方法を発表したのを人づてに聞いて。ただ、手紙にはどこまで精製が進んでいるのかとか肝心のサンプルの話はほとんど書いていない。ギルマンの悪口ばかり。当時はタンパクやペプチドも、グラム単位の精製品がなかったら構造、そのアミノ酸配列はわからんという時代でしょ。それなのにサンプルは0.5mlぐらいの水溶液が凍らせてあるというだけで。あとからわかったのは、ペプチドとして、わずか200マイクログラムくらいの量しかなかった。

岡田 それでよく引き受けましたね(笑)。

松尾 自分が開発したC末端分析法で、これまでわからなかった構造を決定できたらという思いがあったのでしょう。当時、僕は視床下部や脳下垂体の何たるかも知らなくて、ただ有機化学の対象としてだけペプチドを扱っていましたからね。とにかく半年の約束でやろうと。

岡田 だけど、よくやりましたね。松尾さんがその時の経緯を書かれたのを読ませてもらって思ったのは、世界の第一流の研究者の迫力みたいなものでしたね。

松尾 そういわれると恥ずかしいですけれど、どこかでもしかするとできるかなという予感みたいなものはありましたね。アミノ酸組成分析でもサンプルの10分の1くらいを使っても、ポツポツポツと8種類のかすかなアミノ酸らしい手がかりが見つかっただけで、これではホルモンの正体はペプチドではないのではないか。あるいは、アミノ酸の数が非常に少ないペプチドかもしれないと。TRHもアミノ酸3個のペプチドでした。いいことだけ考えないとできませんからね。結果的には9種のアミノ酸で、そのうちの1種類だけが2個。合計10個のアミノ酸からなるペプチドの配列を決められるか。

岡田 そうか。考えてみたら、最初はどれくらいの大きさなのかもわからなかったわけね。

松尾 何しろ超微量(当時では)のサンプルしかないので、サンプルをできるだけ消費しないで、情報を見つけなければいけないわけです。あるペプチド分解酵素で処理するとホルモン活性がなくなる。やっぱりペプチドかもしれない。すると、配列がなんとなく浮かんでくるんですよ。どこまでが確かか。ずっと影を追っているような仕事ですけどね。たとえば、キモトリプシンで酵素処理するとホルモン活性が消失します。チロシンなど芳香族アミノ酸の後ろでペプチドの鎖が切れたに違いない。チロシンが新しいC末端として検出できた。だけど、新しいN末端にはセリンとグリシンの2つが出現した。ペプチドの鎖が2箇所で切断されたことを示している。アミノ酸分析では芳香族アミノ酸はチロシン1つだけだった。おかしいなと。そのうち、アミノ酸分析をするときは塩酸で加熱処理する。そのときトリプトファンという芳香族アミノ酸だけは壊れてしまう。だから、アルカリ分解で別途分析にかけるのが常法である。C末端分析にも塩酸を使う。それに気がついた。塩酸で壊れるもので、キモトリプシンで切れるものはトリプトファンしかない。チロシンの他にトリプトファンが含まれている。これはいけるぞと。

岡田 ああ、そういうかっこうで考えていくわけ。

松尾 それでアルカリで分解するとちゃんとトリプトファンが検出されました。これがギルマンたちが見つけていなかったものでした。影を追うような頼りなさの中から、初めて推論が証明できた最初のデータでした。自分たちの攻め方はこれでいいのだと、少し自信がもてました。そして、アミノ酸6個の部分配列がわかってきた。そうしたら、シャリーがそれをすぐにも発表しようというわけです。われわれがここまで来ているなら、ギルマンも来ているはずだと。

岡田 えらい弱気やったんやね。自分でやってないから、弱気になるんやね(笑)。

松尾 そうなんです。僕としては、部分構造では発表なんかできない。そんなにいうのだったら、このデータは破って捨てる。オレは国に帰ると。

岡田 いったわけ(笑)。

松尾 結局、71年6月のアメリカ内分泌学会までは待つ。それまでに進展がなければ、この状態のまま発表することになった。

岡田 それで妥協したわけね。

松尾 そうです。もとは彼が精魂こめて精製したものですからね。そして、間もなく、2つの配列候補にしぼられた。この2つのペプチドを実際に化学合成して、その生理活性を確かめればよい。固相法によるペプチド合成は、日本にいたときにやってみたことがあったんですよ。まる10日間徹夜のようにして最初の候補を合成、精製し、その生理活性の結果が出るまでに、第2のペプチドの合成を始める。そうしたら、家で一寝入りしているとき、第1候補に、明らかにLH-RHの生理活性が出ましたという電話があった。

岡田 うれしかったでしょうね。だけど、完璧にやったんやね、あなた。

松尾 そうですね、あのときばかりは。というのは、アミノ酸10個のペプチドだから2週間足らずで合成できたんですね。ラッキーでしたね。

ブレークスルーは泥くさいもの

岡田 それもあなたの迫力でそういうものだとわかったわけだから、すごいわ。発表のあとは、もうすぐに日本に帰ってこられたわけ。

松尾 はい。そして内分泌関係のセミナーに呼ばれ、質問の嵐でした。

岡田 そりゃ、そうでしょうね。

松尾 そんな何十マイクログラムの量しかなかったらアミノ酸分析でわかるわけがないとか。サイエンスのレベルを逸脱しているというわけ。この野郎と思うような質問もありました。

岡田 逸脱するつもりはなかったわけね。材料がなかっただけで(笑)。

松尾 内分泌とはまったく縁のない松尾でしたしね。結局、一つのペプチドの構造が決まって、視床下部の内分泌系に対する新しい視点が物質ベースで明らかになった。僕は自分の分析法がそれに役立ったということで満足して、帰国してからは蛋白研の元の仕事に戻ったんですね。そこに院生でいたのが寒川(賢治)や南野(直人)とかで、そのあとオピオイド・ペプチドとか脳の未知のホルモンを探す仕事に参加してくれたメンバーでした。そのホルモン探しは、76年阪大医学部第二薬理でスタートし、78年に宮崎医科大で本格的に始まりました。日本に帰ってきたとき、LH-RHの仕事はアメリカでしかできない仕事ですねとある人にいわれた。だけど、実際に向こうでは設備もないし、金があるわけでもなかった。200万頭のヒツジとかそんなスケールの仕事はできないけれど、普通の研究室レベルで脳ペプチドをやれないだろうか。シャリーのところでの経験を徹底的に再検討することから始めました。たとえば脳をすりつぶすときに、脳内にある分解酵素で、そんなにたくさんないペプチドがズタズタに切れちゃうんですよ。そのために量がどんどん減る。だったら、すりつぶす前に分解酵素を熱で失活させてやったら、もっと効率よく精製できないかとか。短いホルモンだったら、熱を上げたってわりに失活しない。新しいメンバーと議論したものです。

岡田 しかし、ちょうどいいグループができたわけですね。もう松尾一家だと思うんだけど。宮崎医科大は得をしましたね、あなたが行って。

松尾 若い連中がなんで宮崎についてきてくれたのかと思うことがあります。やっぱり何か打ち込めるものを探していたんですね。

岡田 泥くさいことを話せるようなグループであったことがすごいね。かっこうのいい話だけじゃなかったわけでしょ。

松尾 岡田先生の細胞融合にしたってそうですけれど、あとから考えるともっと器用な方法はたくさんあるわけですよ。だけど、最初のブレークスルーはやっぱりものすごく泥くさい。

岡田 ほんとにそういうものですね。

松尾 阪大の蛋白研は僕自身を育ててもくれたし、そういうメンバーと出会えた場所でした。日本に帰ってからは群馬大学の産婦人科の五十嵐正雄先生との出会いもありました。五十嵐先生は、LH-RHはFSHも分泌させるといわれているけれど、LH-RHとFSH-RHは違うという二元説を唱えていました。非常に熱心な先生で、生理活性の試験は自分のところでするから、阪大医学部で分離したサンプルを送ってくれということになったんですよ。仕事は少しずつ進むんですが、あるとき有機溶媒が十分除かれていないサンプルがあって、それを細胞にかけると細胞が死んじゃうということがあった。そうしたら、五十嵐先生がこれはいい経験だったと。共同研究はやっぱり同じ場所にいることが大事なんじゃないかと。それで宮本(薫)君に群馬大学に行ってもらったんです。

岡田 そうですか。

松尾 それでわかったのは、人間とか高等哺乳類ではLH-RHとFSH-RHはやはり同一のものである。だけど、LHとFSHは分泌される時期がずれていますよね。これにはインヒビンという別のホルモンが関わっている。このインヒビンの仕事、五十嵐先生のところで宮本君が立ち上げたんです。臨床の部屋で化学者として1人で仕事をするのは、なかなかしんどかったと思うんですけれどね。

 

松尾 壽之 氏

松尾 壽之 氏

国立循環器病センター研究所名誉所長

1928年、東京都生まれ。54年東京大学医学部卒業後、同大学大学院、理化学研究所研究員、大阪大学蛋白質研究所等を経て、75年大阪大学医学部助教授に就任。78年宮崎医科大学教授、89年国立循環器病センター研究所長に就任。97年退官。02~03年宮崎医科大学学長、04年からはヒューマンサイエンス振興財団特別参与、創薬プロテオームファクトリー・プロジェクトリーダーも務めた。59年薬学博士。71年米国においてLH-RH(黄体形成ホルモン放出ホルモン)の構造決定に貢献。その後は脳内生理活性ペプチドの探索に着手、ANP(心房性ナトリウム利尿ホルモン)の構造決定や機能研究等に成果をあげる。受賞歴は、武田医学賞、朝日賞、日本学士院賞。

薬の開発には発想を変えることも

岡田 その当時は、そういう臨床と、基礎でタンパクやホルモンをやっている人との結びつきとかはあんまり…。

松尾 なかったですね。

岡田 1つの部屋に呼び込んでやるというくらいの迫力というのは、臨床にはほとんどなかったでしょうね。

松尾 ただ、当時のタンパクやペプチドの精製はね。ほんとの専門家でたたき上げの腕をもっていなきゃできなかったと思うんですよ。それが分子生物学であれだけのきちんとしたルーティンの方法が確立されると、むしろテーマをもっていれば医学部の臨床の先生もできるようになる。

岡田 確かにあなたがLH-RHの仕事をやられた時代から考えると、テクノロジーも含めて大きく違ってきましたね。

松尾 今の連中にこういう話をすると、松尾さんの頃はマイクログラムも使ったんですか(笑)、今はピコグラムですよといわれる。一つひとつのテクノロジーのレベルが上がって、今まで苦労したことの大部分はものすごくスピードアップされている。ところが、次のブレークスルーをやるときはやっぱりもう一回泥くさいことをやらないとできませんからね。

岡田 今の研究所というと機械がズラッと並んでいて、オートマチックですごいなと感心しますね。たけど、機械のほうに引っ張られると思考がそこで止まってしまうこともあるでしょうね。松尾さんの書いたものを読むと、脳からいっぱいペプチドホルモンらしいものを採ったけれど、生理作用がわからないものがいっぱいあると書いてあった(笑)。

松尾 ボロクソにいわれたこともありますよ。

岡田 それなんかもどう調べるか。オートマチックにはいきませんね。ところで、短いペプチドという話を聞くと、僕なんかすぐ頭に浮かぶのは合成できる、薬になるぞという感じがするんだけれど、そのあたりのことも少し話してよ。

松尾 LH-RHはリュープリンという名前で前立腺がんの治療薬になっています。ただ、ペプチドというのは体の中にある分解酵素で…。

岡田 すぐに壊れますね。

松尾 壊れるから、持続性がなくて使い物にならないというのが基本にある考え方ですね。それでも、最初はLH-RHが精力増強剤にならないかと。というのは、LH-RHは脳下垂体に働いてLHとFSHを分泌させる。これらのゴナドトロピンはさらに生殖腺に働いて性ホルモンを分泌させますからね。だから、まずは分解しにくくしようと、武田薬品の藤野政彦さんが考えたのは、アミノ酸の置換です。

岡田 活性は残るわけですか。

松尾 多くの場合活性が失われますが、残るものもある。分解を遅くすることによって、天然物の70倍に活性が上がったスーパーアゴニストの合成に成功されました。だけど、そのうちダウンレギュレーションが起こって逆に効かなくなる。ケミカルな去勢が起こるのです。藤野さんも自分で自分の首を締めたようなものだといっていました。それが75年頃に外科的に去勢すると前立腺がんの進展が抑えられることが、ハギンスによって明らかにされていた。それならこれを使えば前立腺がんの治療薬が開発できるはずだと気づいて。当時は日本ではまだ前立腺がんは多くなかったけれど、アメリカで大きく取り上げられました。

岡田 松尾さんはそれにはどう関わったの。

松尾 僕は構造を決めただけで、あとは藤野さんが…。アボットとの共同開発ですね。だけど、心房性ナトリウム利尿ペプチド(ANP)では薬の開発にも関わりました。

岡田 これはあなたが構造も機能も見つけられたものですね。

松尾 ANPもペプチドだからダメだという話が圧倒的だったんです。しかも、降圧剤として売り出そうとしても、既存の合成医薬品には太刀打ちできない。そのときに非常に地道な心不全の仕事をやっていた臨床の先生方から強い支援がありました。ANPは動脈、静脈とも血管を拡張し、心臓に対する負荷を減らすことができる。心臓の保護薬になるといわれて。それで、いろんな救命センターで点滴の中に入れて使われています。これなんかも血圧降下剤じゃダメだと放り出していたら、それで終わっていたけれど、ひとつ物の見方を変えることで薬として開発できました。

岡田 それには製薬企業と臨床の先生とのうまい対応がないといけませんね。今日はどうもありがとうございました。

 

EYES

脳下垂体のホルモン分泌に働く視床下部ホルモンの構造を決定

未知のホルモン探索の試みは新しい情報伝達系の発見をめざす

女性の月経は約28日の周期で起こり、これは性周期ともいわれます。脳下垂体から分泌されたFSH(卵胞刺激ホルモン)によって卵巣にある卵胞が成熟し、女性ホルモンのエストロゲンが分泌され、子宮内膜が発達します。そのエストロゲンの濃度が高まると、脳下垂体から多量のLH(黄体形成ホルモン)が分泌され、成熟した卵胞が破裂して排卵が起こります。排卵後に卵胞は黄体となり、女性ホルモンのプロゲステロンを分泌します。受精・着床すると黄体は発達しつづけますが、そうでない場合は退化し、子宮内膜がはがれて月経が起こります。

この性周期において脳下垂体から分泌されるFSHとLHは生殖腺刺激ホルモン(GTH)と総称されます。そして、これらのGTHの分泌を促しているのが、視床下部から分泌されるGnRH(生殖腺刺激ホルモン放出ホルモン)です。自律神経系の中枢である視床下部は、この性周期の例のように内分泌系の中枢としても働いており、視床下部ホルモンによる脳下垂体ホルモン分泌の調節作用は、すでに1950年代から指摘されていました。しかし、実際に視床下部ホルモンの1種であるTRH(甲状腺刺激ホルモン放出ホルモン)が同定されたのは69年で、アメリカのギルマンとシャリーがほぼ同時にその構造を決定しました。続いて71年にシャリーがギルマンより2か月早く、その構造を発表したのがGnRHで、そのときはLH-RH(黄体形成ホルモン刺激ホルモン)と名づけられました(現在はGnRHと呼ばれることが多くなっています)。ギルマンとシャリーはこれらの業績により、77年にノーベル生理学・医学賞を受賞しています。

そして、シャリーが発表したLH-RHの構造決定に大きく貢献されたのが、今回、LF対談にご登場いただいた松尾壽之氏(国立循環器病センター研究所名誉所長)です。LH-RHはアミノ酸10個から成るペプチドホルモンでした。ペプチドとは、比較的少数のアミノ酸がペプチド結合によってつながったもので、多数のアミノ酸から成る場合にはタンパク質と呼びます。その構造を決定するとは、どんな種類のアミノ酸がどのような配列でつながっているかを明らかにすることです。松尾氏はご自身で開発されたトリチウム標識法という微量の試料でペプチドのC末端(ペプチド鎖の両端をそれぞれN末端、C末端と呼びます)のアミノ酸を調べる方法などを用いて、そのアミノ酸配列を明らかにされました。

その後、松尾氏は78年に大阪大学から宮崎医科大学に移られると、本格的に未知の脳ホルモンの探索に着手されました。微量の試料からペプチドを検索する方法を確立するとともに、血圧や平滑筋などに対する生理活性を仮のマーカーとして検索を進め、ネオ・エンドルフィンやニューロメジンといった新しいペプチドを数多く同定されました。しかし、体の中における実際の生理機能はその多くが未解明のまま残されています。一方、松尾氏の脳ペプチド検索法は80年代初めに報告された心房のナトリウム利尿因子の検索に生かされ、84年にANP(心房性ナトリウム利尿ペプチド)が分離・同定されました。心臓も血圧調節などに働くホルモンを分泌する内分泌器官であることが明らかにされたのです。ANPとよく似た構造をもつBNPやCNPも心房や脳で見つけられました。

未知のホルモンの探索は、その生理機能の解明さえ進めば、LH-RHのようにホルモンを介した体内の新しい情報伝達系の発見にもつながります。また、医薬品の開発も期待され、実際に松尾氏が同定されたLH-RHやANPなどからは、前立腺がんや心不全の治療薬などが開発されています。

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