LF対談

【理事長インタビュー】
研究者が集まり、情報交換する場、“赤ちょうちん”を提供する。
その基本姿勢は決して変わらない。 No.51(2007.6)

財団法人 千里ライフサイエンス振興財団
岸本忠三 理事長


この4月に財団は、前任の岡田善雄氏(現在・特別顧問)に代わり、岸本忠三氏(前大阪大学総長)を新理事長に迎え、新しい体制がスタートしました。そこで、岸本新理事長に、財団の今後のあり方についてのお考えなどをお聞きしました。

僕の研究はすべて病気の治療につながっている

——まず、岸本理事長のご経歴の話からお聞きしたいと思います。医学部、そして研究者の道に進まれたのはどういうきっかけ、お考えがあったのでしょうか。

岸本 子供のときに母親が買ってきた野口英世の伝記を読んで、自分も医学の研究をするんだと。小学校の作文にもそう書いた覚えがあります。父親は中学校の先生をしていて医者の家庭ではなかったんですけどね。途中、湯川秀樹さんがノーベル賞をもらったときには物理をやろうかなと思ったりしましたけど(笑)。
それで、大阪大学の医学部に入ったんですけど、5年生のときに山村雄一先生が内科の教授として九大から帰ってこられた。その山村先生の講義を聞いて感激して、この先生の教室に入ろうと。したがって、僕は内科を選んだわけではない。先生を選んだわけです。そして数年間、内科をして、やっぱり研究者になろうと思って、70年にはアメリカに留学し、研究者の道をそのまま進んだわけですけど、91年、内科に戻ってくれと言われて、内科の教授に。ですから、20数年たってまた内科の臨床にも戻って、それから総長をしたりと、この道一筋というわけではないんですけど、まあそれぞれのところでユニークな研究はできたと思いますね。

——最初は内科の先生からスタートされたわけですね。

岸本 山村先生の教室に入って、病棟に担当の患者さんを持って走り回っていました。数年間、内科の医者としての勉強はしているわけで、病気の知識というのはたくさんあったわけです。だから、研究に入っても単にDNAをいじくるのではない。僕の研究はすべて治療につながっている。内科で訓練を受けて、研究者になって、そしてその自分の研究の成果をまた臨床へ戻って病気の治療に生かすと。それが今の抗体医薬にもつながっています。

——岸本先生がご研究の抗体医薬というのは、関節リウマチの治療薬のことですね。

岸本 そうです。非常に大きくなるだろうと、ブロックバスターになるといわれています。世界中41カ国でロッシュが臨床試験を進めていて、日本ではたぶん今年の終わりには承認される。基礎的な研究を続けてきて、その成果が薬になって、世界中の多くの人に使われることになるだろう。それはやっぱり最初に医者からスタートしているということからつながってきたんじゃないかと思います。

どうしたら皆が集まるか、その仕組みを再検討する

——山村先生はこの財団の産みの親ともいえる方です。また、前理事長の岡田善雄先生とは細胞工学センターでご一緒されています。お2人のことについてお聞かせください。

岸本 山村先生というのは先ほど話しましたように、その人に惚れ込んで教室に入った生涯の先生ですよね。最初に内科で手ほどきをしていただいて、その後もいろいろなことを経験させていただきました。僕の先生といったら、学問上ではアメリカに行ったときの石坂公成先生もいらっしゃいますけど、山村先生がやっぱり一番密接につながった先生ですね。僕も最後は阪大の総長になったりと同じような道筋を辿りましたけど(笑)。
岡田先生については、細胞融合の研究というのは画期的であって、非常にリスペクトしています。今の世の中でよくいわれる、役に立つとか、産業化であるとか、そういうことではなしに、自然の現象を解明していくことに喜びを見出す純粋の研究者ですよね。したがって、この財団もそういう基礎研究を重視するという基本原理のもとに発展してきたと思うんですよ。ベンチャーだとか、バイオビジネスだとかには安易に立ち入らない、という基本姿勢は貫いてこられたんじゃないかと思います。それが大事であると。

——財団の今後の事業を検討する「将来構想委員会」の第1回会合で、岸本先生は「大事なところは変わらない」とおっしゃっておられました。

岸本 この財団はなぜつくられたか。山村先生からは、北大阪に国際的に通用するライフサイエンスの拠点とともに、そこに集まる研究者が情報交換する場、いわゆる“赤ちょうちん”をつくりたいという話は最初から聞いていました。あそこへ行ったら、面白い論文を出している研究者が集まっている。そしたら、そこへ行って知り合いになろうかと。そういう場所をつくろうというのが最初の趣旨ですよね。それがこの財団の存在意義であると思います。そういう交流の場、研究者の集まる“赤ちょうちん”というのが、変わらない大事なところで。

——具体的には…。

岸本 セミナーやフォーラムなどがそういう場になります。そして、セミナーにしても、市民公開講座にしても、そこで話をすることは名誉なことであると思えるようなものにならないといけない。世界にもそういう伝統のあるセミナー、シンポジウムがあります。そんなふうに発展させていくためにも、どういう仕組みを取り入れなければならないか。それが変わるところになってくるわけでね。しかし、変わらない根本というのはアカデミックな“赤ちょうちん”だと。基礎研究だと。それは底の浅いベンチャーだとか、そんなものとは違うんだと。今はベンチャーだとか、何かの役に立つとか、が最初から言われすぎている。それは元に戻さないと。
基礎的な、本当に真髄を突いた研究というのは、いずれは必ず役に立つんです。先ほどの抗体医薬の話ですけど、今のTNF(腫瘍壊死因子)阻害剤の市場は昨年で6000億円だそうです。それが2010年には1兆円になるだろうという予測もあります。そして、その一部は、僕のIL6阻害剤のほうがよく効く面もあるので、そっちのほうに移っていくだろうと言ってくれる人もいます。それは何も、最初からそんなことを狙って、薬をつくろうと思って研究をしていたわけではない。非常に基礎的な研究、どうして抗体は作られるのか、というような研究からスタートしているわけです。
ですから、変わらないところは、本当に学問の好きな、自然を愛する、いのちの仕組みを知りたいという、そういう人たちの集まりの場を提供するということ。そこに、企業の研究者も加わって、薬の発想を得たりもするでしょう。では、どうしたら、皆がここに集まってくれるか、その仕組みを「将来構想委員会」では主に考えてほしいということです。

——財団の設立時と比べて、財団を取り巻く状況としては何が変わったと思われますか。

岸本 根本は変わっていないと思います。日本のライフサイエンスのレベルは確実に上がりましたし、世界を見てもいくつかの学問分野では日米欧の三極は同じレベルになりました。しかし、根本において基礎的な研究が大事だということは、世界のどこでも同じです。だから、この財団の役割も決して変わってはいない。ただ、学問のレベルは上がったし、学問の分野もどんどん変わってきています。それを15年前と同じ人が扱えないところもあるかもしれません。やっぱり人も変わっていかなければならない。企画委員のメンバーであるとか、そういう体制の見直しも必要かもしれません。

岸本忠三氏

岸本忠三氏

財団法人 千里ライフサイエンス振興財団 理事長

1939年、大阪府生まれ。64年大阪大学医学部卒業後、同大学院医学研究科修了。70~74年米国ジョンス・ホプキンス大学研究員及び客員助教授。79年大阪大学医学部教授(病理病態学)、83年同大学細胞工学センター教授(免疫細胞研究部門)、91年医学部教授(内科学第三講座)、95年医学部長、97年総長。04年退任、名誉教授。総長退任後も同大学院生命機能研究科で研究を続ける。内閣府総合科学技術会議常勤議員(04~06年)などを歴任。07年4月より(財)千里ライフサイエンス振興財団理事長。専門分野は免疫学。免疫に関わる多機能な分子、インターロイキン6(IL6)の発見とその研究で世界的に知られる。IL6の受容体を抗体によってブロックする抗体医薬の研究も進め、関節リウマチ治療薬の開発にも貢献する。受賞は朝日賞、日本学士院賞・恩賜賞、ロベルト・コッホゴールドメダルほか。文化功労者、文化勲章受章。日本学士院会員、米国科学アカデミー外国人会員。

“人は石垣、人は城”科学の世界は、人がすべて「これは絶対にくる」と

——財団は、現在の国際文化公園都市の彩都ライフサイエンスパークを中心としたバイオクラスター形成においても何か役割を果たせないか、という期待を寄せられています。岸本先生は個人的に彩都の形づくりにも関わってこられました。彩都についてはどのようにお考えですか。

岸本 北大阪にライフサイエンスの拠点をつくる。それが、バブルがはじけて途中で止まってしまった。しかし、僕は最初からその話を聞いていましたから、当初計画されたように発展させたいという思いはありましたよね。そのとっかかりをどうするか。岡田先生もいろいろご努力されていましたね。日本人は官が好きですから、国の研究所を中心に持ってくれば、周辺に民の研究所も集まるのではないかとか。そこで、僕も創薬に基盤を置いた研究所を持ってこれないかと、厚労省に働きかけ、その結果、医薬基盤研究所がつくられました。しかし、その後の発展がなかなか進んでいない。
今、僕が言っているのは、基盤研から何かブレークスルーになるような研究が出てくる、あるいは研究者が出てくるのが大事であるということでね。そうすると、それが吸引力になって他の研究所も来るようになるだろうと。神戸の、理化学研究所の発生・再生科学総合研究センターが、なぜ世界でも注目される研究所になったのか。それは竹市(雅俊)さんという細胞接着分子のカドヘリンを発見した世界的な研究者を所長に迎えたことで、一流の研究者が集まり、世界から若手の研究者も留学してきたからで。それが吸引力になって、周辺にもいろいろ集まってきている。そういう役割を基盤研にも果たしてもらわないといけないわけです。

——人が大事ということですね。

岸本 何事でも人です。“人は石垣、人は城”で、人がすべてです。政府の総合科学技術会議でも言いました。『どの分野でも人は大事です。しかし、科学の分野は人がすべてです。突出して優秀な人がいるかいないかによってすべてが決まるんです。そして、若い優秀な人が科学の分野に入ってくるかこないか、それは何によって決まるか。国がどれだけ本腰を入れているか、それを態度で示すことです。これだけお金をかけますということを明言することです』と。
ですから、彩都にしても、大阪府が一つの中心ですから、府がどれだけ本腰を入れているか、態度で示すことです。それがなかったら、いつまでたっても何もできません。神戸は、神戸市がそういう態度を示しているわけですね。そこに違いがある。

——基盤研では、いい研究も出てきていますか。

岸本 いや、まだそうはいきません。吸引力になるような、いい研究をしていかないといけない。ここ5年くらいの間に、何か目玉になるような研究が出てこないといけないと思います。大阪バイオサイエンス研究所が注目されたのは、長田(重一)君のアポトーシスの研究が出たからです。大阪大学でも、最近では審良(静男)君の自然免疫の研究が出てきているから、バイオの研究は西高東低といわれてきた。今まではね。やっぱり彩都からどんな研究が出てくるかということが問われています。

基礎研究の積み重ねによって今の抗体医薬の開発もある

——岸本先生は現在も大阪大学で研究を続けられています。それは、どのようなものですか。

岸本 今、世界で臨床試験を進めている抗体医薬は画期的な効果を発揮します。しかし、なぜ関節リウマチになるのかということは、まだわかっていない。ですから、なぜ効果を発揮したのかということを調べることによって、なぜ病気になるのかわかるかもしれないと。基礎から臨床へ、そして臨床から基礎へと、また元に戻った研究をしています。

——これからのライフサイエンスについてはどうお考えですか。

岸本 20世紀のライフサイエンスは、生命の構成要素を明らかにして、それぞれの働きを調べ、それに基づいて生命を理解するというふうに来ましたよね。DNAの塩基配列を解読するというのは、その一番いい例です。そうすると、次はそれらの構成要素を組み合わせて生命の全体像を理解する。還元から統合へと、僕は言っていますけど、ジグソーパズルを組み立てて、全体の絵柄を見ていく。それは生命を人工的につくり直せるか、ということだともいえます。それが、21世紀のライフサイエンスになる。
薬の世界でいえば、今一番大きくなっているのが、抗体を薬として使うこと。関節リウマチの治療薬以外にも、Bリンパ球の表面分子を認識する抗体は白血病に画期的な効果を発揮します。乳がんの細胞だけを攻撃する抗体とか、特定の細胞だけを攻撃する抗体医薬というのも、次々とつくられていますよね。これからの10年、20年の薬の世界は、たぶん抗体医薬が中心になっていく。
そもそも近代医学において初めて治療に使われたのは、抗毒素だったわけです。抗生物質のなかった19世紀末のヨーロッパで子供の死亡率が一番高かったのはジフテリアでした。それに対して、ジフテリアの毒素を注射した馬の血清を使った抗血清療法で病気を治した。それが第1回のノーベル生理学・医学賞。近代医学が最初に病気の治療に使ったのが抗体なんです。それが100年以上を経て、今の抗体医薬につながっています。
その100年の間に、抗体の構造がわかって、モノクローナル抗体がつくられて、抗体のヒト型化ができてと、医学は進歩してきました。非常に基礎的な研究が積み重なって、抗体医薬につながってきたわけです。90年頃、日本の製薬会社は、抗体、そんな高分子のタンパク質は薬にならないという考え方でした。しかし、その頃から外国では抗体のヒト型化などを進めてきて、今、パーッと花開いている。それはやっぱり情報の交換が大事で、基礎的な研究をする人、病気を知っている人、薬をつくる人が集まって、情報を交換する場があってこそ、そういう流れもできてくるわけです。そういう場をつくるのが、この財団の役割だということですね。

——わかりました。本日はどうもありがとうございました。

 

EYES

財団のこれからの事業を検討する「将来構想委員会」がスタート

財団はこれからどのような事業展開をすべきか

4月19日、当財団の今後の事業について検討する「将来構想委員会」の第1回会合が開かれました。参加者は、山西弘一氏、遠山正彌氏、中西重忠氏、北村惣一郎氏、鷲田清一氏、土屋裕弘氏、横山雄一氏、大江桂子氏、小西禎一氏の9氏で、財団からは岸本忠三理事長、久保建樹専務理事が同席しました。委員会は今後、6月に第2回、8月に第3回会合が開かれ、答申の取りまとめが行われます。

第1回会合では、最初に久保専務理事より委員会設置の経緯、岸本理事長より委員会への期待が述べられました。財団は、大阪北部の北摂地区を生命科学のメッカにするという故山村雄一氏(元大阪大学総長)の構想に基づき設立され、山村氏の“赤ちょうちん”という言葉に象徴されるような、研究者の交流、育成を中心とした事業展開をしてきました。それは、地域の産学官をつなぐ接着剤の役割も果たしてきました。

そうした根幹となる事業の延長上において今般では、山村構想の一環でもある「彩都ライフサイエンスパーク」への関与、さらには財団が本拠とする千里ライフサイエンスセンタービルの売却などの環境変化への対応も求められています。そこで、これを機に、これまでの事業の形式、内容の見直しなど、これから財団はどのような事業展開をすべきか、委員会において検討していただくことになったわけです。

人材育成、交流、研究助成支援、普及啓発が4つの柱

次いで会合では、各委員に配布された資料について財団事務局からの説明が行われました。資料の中には財団のこれまでの事業についてまとめたものもありました。簡単にその内容について記しますと、財団ではこれまで主に4つの事業を実施してきました。1.人材育成(セミナー、技術講習会、新適塾)、2.交流(サロンフォーラム)、3.研究助成支援(研究費助成)、4.普及啓発(市民公開講座、広報誌発行、ネイチャー・カレッジ)です。それぞれの事業はおおむね高い評価をいただいてきました。

しかし、財団設立当時とは異なり、類似のセミナーや市民公開講座が他の団体でも数多く実施されるようになってきました。テーマに関して、基礎的なもの、応用的なものなど、何らかの方針に基づいて独自性を出すべきなのか、検討を要します。また、「千里クラブ」会員を対象とするサロンフォーラムについては、「千里クラブ」を運営していた(株)千里ライフサイエンスセンターの解散に伴い、会員組織のあり方を含めて喫緊の課題となっています(2008年3月までの継続は決定)。以上のようなことも含めて、配布資料にはそれぞれの事業の問題点や改善案についても言及されていました。

変わるものと変わらないもの

大阪府商工労働部の小西委員からは、「彩都ライフサイエンス懇談会」の提言についての説明もありました。彩都ライフサイエンスパークを中心とした国際的なバイオクラスター形成に向けて、財団に何らかの役割を期待したい、司令塔機能の一翼を担っていただきたい、というものです。大阪府が進める彩都事業への財団の役割については、その後のフリートーキングにおいても、さまざまな意見が交わされました。

彩都事業において、府は財団の位置づけをもっと明確にする必要があるという意見には、司令塔として産学官のトップ会議が設けられるが、その事務局の役割を財団に期待したいという返答がありました。神戸のバイオクラスターでは、先端医療振興財団が司令塔的な役割を果たしており、そこに問い合わせれば、すべての事業がわかる。財団にもそうした役割が考えられないかという意見もありました。

フリートーキングでは、その他、財団の資産運用からそれぞれの事業のあり方まで、活発に意見交換がなされましたが、第1回会合はそれぞれの委員の方に、財団の事業の現状や環境変化に対して共通の理解を得ていただくことに意味があったと思われます。その上で、今後の事業をどうすべきか、これ以降の会合において具体的な提案がなされることになります。

岸本理事長は、「変わるものと変わらないものがある」と話されます。時代に応じて事業内容は変えていかなければなりません。しかし、財団設立の端緒となった山村氏の“赤ちょうちん”という考え、そして基礎研究こそがライフサイエンスの発展の原動力であって重視しなくてはならないという基本原理は、「変わらない大事なところ」として守っていかなければならない、とのことです。委員会の今後の提案が期待されます。

LF対談一覧に戻る