LF対談
池(大学etc.)の中に魚(薬のタネ)がおったら釣ります No.53(2008.3)
武田薬品工業株式会社 会長
武田國男 氏
財団法人 千里ライフサイエンス振興財団
岸本忠三 理事長
産と学が一緒になってやるには?
岸本 僕は昨年10月末に心臓のバイパス手術をしましたけど、武田会長も社長のときに膀胱がんの手術をされましたよね。
武田 大変でしたな。私も心配しておりました。お元気そうでよかったです。
岸本 大きな手術をすると人生について考え方が少し変わるでしょ。会長はどうだったですかね。
武田 変わりませんでしたなぁ。岸本先生はどうでしたか。
岸本 やっぱり人生には限りがある、終わりがあるんやと。そうすると残った人生に何を残せるか、最後をどういうふうにまとめていこうかとなりますよね。まさにゆっくりしながら。会長の場合は、そうはいかんかったでしょうけど。
武田 すぐに会社に…。
岸本 それでも少しは変わりましたか。
武田 死ぬなら死ねと思っていました(笑)。自分のことより、死んだ後の家族や会社のことは考えましたなぁ。
岸本 そういうことを経験すると、ちょっとはゆっくりになって、柔らかくなってとなるんですけど、会長の場合はリストラして、何やらしてと(笑)。
武田 手術の後は必死にやってきたんで、もうそろそろゆっくりしたいなと思ってるんですけどね。
岸本 この財団というのは千里中央にありまして、一つの眼目は産と学との交流で、ライフサイエンスの産というのは薬の会社ですから、今日は会長にいろいろお話をうかがいたいと思ってきたんですけど、千里中央やその先の彩都には…。
武田 彩都には一遍行きました。
岸本 行って見てもうあかんわと。ここに研究所を持ってくるのはやめとことなったんですよね(笑)。
武田 予定地はまだ普通の山ですよ。カブトムシでも採りにきたんかなと思って(笑)。それにちょっとイメージと違いましたなぁ。すでに周辺には民家がぎっしり建っていて。先生もよう知ってらっしゃるとおり、アメリカの場合は産学官の研究所が集まったパークになってますよね。
岸本 それでも大阪府はタケダが来るという気持ちになっとって、前の知事さんの一つの痛手になりましたよね。しかし、やっぱり交流が大事やなと思うのは、手術してから、高血圧の「ブロプレス」とか、糖尿病の「アクトス」とか、タケダの薬を愛用させてもらってますけど(笑)、それはタケダの研究所から出てきているわけですよね。ところが、『ビッグ・ファーマ』という本を読むと、アメリカの大きな会社の有名な薬の多くは公的な金によってNIH(国立衛生研究所)や大学でスタートしている。開発のところは会社がやるけど、基本的なところは全部、国の金で研究されてるんやと。確かにアメリカでは、大学とか、そこからスピンアウトしたベンチャーが基礎を作って、会社はそれを探して薬を開発する。みんなそうですよね。タケダもこの頃は、外国のを買いにいってるけど、日本の中にもいい基礎研究はあるのに、なぜもっと産と学が一緒になってやるんだという流れができないんですかね。
武田 私は片側交流でもいいと思うんですね。大学でいいタネを育てていただいたら、我々はいくらでも拾わせていただく。ですけど、薬屋からするとそれほど無いようなんですね。
岸本 それだけ日本の研究の程度が…。
武田 それはわかりませんけど、薬屋を魅了するだけのものは研究されてないんじゃないですか。うちの研究所でも、おおもとの基礎はやっぱりどこかから拾ってはきてるんでしょうけど。
岸本 外国には買いにいっておられるわけでしょ。
武田 日本のは上がってきませんね。しかし、大学との共同研究はかなりやっておりますよ。そこらへんは研究所にまかせてあって、今から出てくるんと違いますか。
ベンチャーがあるともっと見やすい
武田 結局、今のタケダがあるのは、世界的な4品目(リュープリン、タケプロン、ブロプレス、アクトス)のおかげですけど、小西新兵衛(元会長、故人)さんに言わせると、これ全部マネやと。タケプロン(消化性潰瘍治療剤)は、一足先に販売された他社さんの薬と構造式がよう似てます。
岸本 プロトンポンプインヒビター(PPI)としてはオメプラゾールが先ですね。
武田 構造式がちょっと違うだけだったので、社内でも、タケプロンのことをタケプラゾールと言ってましたなぁ(笑)。
岸本 それでも売れるわけ?
武田 だから、私、びっくりしたんです。そこなんですよね。それがアメリカの市場なんです。うちなんか、だいたい3、4番手なんですよ。それでもアメリカでは、マーケティングの力で売れる。私、最初にアメリカに行かせていただいてびっくりしたのは、日本では薬というのは特殊なものと思われてますけど、アメリカではキャンディみたいなもので、ほんとに商売、普通のマーケティングというのが全部通用していく。
岸本 キャンディですか(笑)。
武田 ですから、結局、うちだけからピュッと出てくるというのはありませんね。
岸本 それでも売れるというのは。
武田 マーケティングというのと、やっぱりアメリカで先にというのが。日本で先に出したらダメでしょうな。大きくならない。アメリカは自由薬価ですし、なんせ利益率が違う。向こうの製薬会社はなんでこんなに儲かるのかという感じですよね。だから、私はアメリカから帰ってきて、なんでタケダはこんなに貧乏な会社なんだと思いましてね。もっと儲けないかんと。それで、あの頃から医療費抑制がいわれて、薬屋儲けすぎとえらい反発がありましたけど、商売で儲けんかったら、そんなバカなことはないと、付加価値の少ない事業を全部外していったんですね。
岸本 そうすると、会長が社長になられてタケダの業績が伸びたのは、アメリカでの経験が…。
武田 それは、やっぱり4品目です。私なんかではないですね。先輩方、そういう研究をしておいてくれた人たちのおかげです。薬は非常に研究開発が長くかかりますのでね。それがうまく私が社長のときに回ってきたというだけのことで。
岸本 そんなことはないと思いますけど(笑)。これからはどうですか。
武田 ブロックバスターになるような薬が出て来ないもんですから、今の社長は一生懸命買いあさってます。待っとってもなかなかパチンコみたいに当たりが出てこんから、よそから買ってきて当たりが出るように仕向けとるところなんですけどね。
岸本 日本の中には買うようなものは少ないわけですか。
武田 世界中に網を張ってますから、日本にもあったら釣ってますよ。魚が釣れてこないというのは、魚がおらないのか、釣り方が下手なのか(笑)。どうもこの池には、あんまり魚はおらんのではないかとは思っているんです。しかし、ほんと日本ではあまり釣れませんなぁ。
岸本 それはなぜかと。そういうことにちょっとでも役立つようにと、財団の交流事業もあるんですけどね。
武田 学校同士の交流でもうちょっと我々がわかるようにまでしていただいたら、ありがたいですけどね。ほんとにベーシックな研究のところに薬屋が入っていっても、非常に効率の悪いものになる。私ね、日本の一番ダメなのは、ベンチャービジネスが少ないことじゃないかと。もっと数が増えて何をやってるかがわかったら、こっちは見やすいんですよ。
岸本 この頃は増えてきましたけど、それまでは寄らば大樹、官が尊いというのが染みついていて、大学から出てというふうにはなかなか…。
武田 しかし、たとえばタケダも遅ればせながら抗体医薬に目を向けるようになりましたけど、今からやるといっても、非常に遅れていますからね。買うしかキャッチアップする手段はないですよ。研究所に聞いてみますと、日本ではベンチャーも少ないし、結局はアメリカということになってしまいますよね。
武田 國男 氏
武田薬品工業株式会社 会長
1940年、兵庫県生まれ。武田薬品工業(株)の創業家、6代目武田長兵衞(鋭太郎)の三男。62年甲南大学経済学部卒業後、武田薬品工業(株)に入社。87年同社取締役、89年常務取締役、91年専務取締役、92年代表取締役副社長、93年代表取締役社長、03年代表取締役会長兼最高経営責任者(CEO)に就任(06年最高経営責任者職は廃止)。関西経済連合会副会長、日本経済団体連合会副会長、日本製薬団体連合会会長などを歴任。社長就任後、研究開発型の国際的な製薬企業をめざし、医薬品事業への特化、成果主義による人事評価・報酬制度などを実施。“世界のタケダ”への改革に手腕を発揮する。受賞は、大阪府知事表彰(薬事功労)、名誉大英勲章C.B.E。
誠実に、人や仕事を評価する
岸本 会長の本(『私の履歴書 落ちこぼれタケダを変える』)を読むと、面白いですよね。本来なら、長男の方が後を継ぐはずだったのが亡くなられて…。
武田 大阪町人、道修町では長男が全部継ぎます。だから、私なんか自分が継ぐわけではないから、ブラブラしていたらいいという感じでずっといましたからね。それがある日、そんなことになってしまって。もちろん帝王学も学んでおりませんでした。しかし、今思いますに一番助かったのは、ほんとに物心ついたときから、お祖父さん、親父から大阪町人というものを空気で学んでいたといいますかね。それはタケダの文化というか、空気なんですね。
岸本 人間というのは能力があっても、場が与えられないとそのまま埋もれてしまいかねませんけど、そうならなかった一つの例ですよね。
武田 そうでしょうね。そして4つの品目に恵まれて、優秀な社員がそこにいたおかげで、私は何もせんでも業績がよくなってここまで来ました。
岸本 いや、社長になってからリストラ、医薬品事業に集中するとか、成果主義を取り入れるとか大ナタを振るわれましたよね。
武田 しかし、それは結局、私がそうしたいと思っただけのことで、私だけではようしません。社員みなにそうなるように考えてくれと言っただけでして。
岸本 そして、そういう会長の考え方が今の日本の社会では普通みたいになってきましたけど、今度は逆に競争主義、成果主義が格差を生んどる、けしからんやないかという揺り戻しが来ていますよね。昔流にみんなが仲良く、年功序列、終身雇用でいけばいいんじゃないかと。どう思われますか。
武田 それはダメですよね。きちっとした評価制度、透明でフェアな評価制度というものを作らなくちゃ。その評価の中に好き嫌いとか入ってくるともうめちゃくちゃになる。「誠実」というのを、今のタケダは基本精神として心掛けているんですけど、評価にしても、誠実に人や仕事を評価する。それができていれば、やっぱり成果主義ですよね。昔の派閥を作ったりとか、そういうのはもう絶対ダメです。今のタケダくらいの線でいいんじゃないでしょうか。
岸本 これから日本の製薬会社は、タケダのように世界と競争する大きなビッグファーマと、小さいけれど特色をもった会社、それからジェネリック(後発品)の会社にだいたい分かれていくんですかね。
武田 そうしかないでしょうね。もしくは、その特殊なところもどこかに吸収されるかもしれませんよ。国際的な競争力がなかったら、もう企業としての妙味がなくなってくるんじゃないですか。
最後の目標は、がんの画期的治療薬
岸本 病気になってみると、一番大事なのはやっぱり医療ですよね。高齢者に安心をといったら医療です。それを医療費抑制ということで、あんまり削るのはよくないと思うんですけどね。GDPとの比率とかいってますけど。
武田 医療費のことはなかなかよう言えませんけど、私はお医者さんは、もうちょっと人間的であってほしいなぁと思ってます。検査も大切ですけど、昔の先生のようにバカ話の1つでも聞いてくれる医師がもっと増えてもいいんじゃないかと思います。
岸本 数も足りませんよね。
武田 私、ときどき病院に行きますけど、面白うないんですよ。やっぱり面白い話でもできたら、心もなごんで良くなるのも早いと思います。忙しすぎるんでしょうな。医療の充実というなら、先生も看護師も余裕をもって患者さんのことを考えられるようにしないと。
岸本 そのためには、医療費全体のパイを。この間、医学会総会で2万人ぐらいの一般の人にアンケートをとったときに、日本の医療の水準はどう思っていますかと聞いたら、高いと思いますと。で、医療に満足していますかと聞くと、80%の人が不満足ですと。そこのところのギャップですよね。満足感が得られんという。
武田 しかし、あんまりよくしたら前みたいに、年寄りのサロンになってしまいますなぁ。
岸本 それでも、なんとかトータルのパイをもうちょっと増やす方向にもっていかないと、製薬会社も薬価引き下げとかで疲弊するし、なくなっていくかもしれない。そうなったら大変ですよね。
武田 それはしょうがないですよ。しかし、日本はもっとすべての面で自由化しなくちゃ。そんなかで競争すればいいんですわ。薬価もそうじゃないですかね。そうでないと、これから発展もしなきゃ、国威というものが低下していくばかりじゃないですか。
岸本 外国の製薬会社がみな入り込んできて。
武田 それに勝てるようにしないと。私、それをずっとやってきたんです。日本で残るのはほんの数社かもしれませんよ。
岸本 しかし、残るところが栄えるためには、池の中の魚も増えてこんといけませんよね。大学、学校を外から見てて、どう思われますか。どのように変えたらいいか。
武田 先生に学校、学校と言われたら、私、物心ついたときから勉強が嫌いでしたから、学校と聞いただけで寒イボが出てきて(笑)。だから、あんまり興味をもって学校を見たことがない。しかし、この頃、学生がちょっと小っちゃなったんと違いますか。ヤンチャクレという感じの人が非常に少ないような。皆どれをとっても一緒のような。
岸本 研究志向というか、そういう人も少なくなってきましたね。直接、知らないかもしれませんけど、タケダに入ってくる学生はどうですかね。
武田 ようわかりませんけど、やっぱり小さいときから受験勉強ばっかりやってきてると、他の知識が非常に…。
岸本 それが会長と違うところで。
武田 私はそっち側だけで、ドーナツみたいなもんですけど(笑)。
岸本 しかし、世界と競争してといいますけど、血圧にしろ、コレステロールにしろ、今でもよく効く薬はありますよね。まだ新しいものをそんなに競争して作らないといかんのですかね。パイプライン(新薬候補)、パイプラインと。
武田 企業としてはそうなるんですけど、私みたいに第一線を退いた者は、願望というか夢をもってきましてね。もっと社会貢献したいと。世の中のためといったら、やっぱりがんの薬が一番求められてますから、抗体とかでがんの画期的な治療薬を作ってほしいと、必死で社長や研究所長に頼みました。私もがんになりましたんでね。最後の目標として、がんの薬を出したいと思ってます。幸いしっかりと利益を出せるようになってきましたから、メタボリック領域を中心にした研究開発に加え、社会貢献的ながん領域の研究開発に力を注ぎたいと思ってます。
岸本 抗体医薬は一番それにぴったりですよね。標的をきっちり決めてと。
武田 遅ればせながら、タケダもそちらの方向に進んでくれておりますので、それだけが楽しみです。「世界の英知を集め、標的治療とか、先端医療で世界のトップレベルの会社になる。日本発の先端技術企業として、トヨタの次ぐらいに来る」それが夢なんですよ。それに大阪に研究所があったらもっとよかったんですけどなぁ(笑)。
岸本 現在まだカブトムシを採りにいくような、何も整備されていないところでは、タケダは間に合いませんよね(笑)。今日は、お忙しいところ、どうもありがとうございました。
EYES
日本の製薬企業をリードして国際化を進める“世界のタケダ”
収益性の高い医薬品事業への特化、成果主義の導入で改革に成功
日本の製薬企業の間ではここ数年、合併・経営統合が相次いで行われています。2005年には、山之内製薬と藤沢薬品工業によってアステラス製薬、三共と第一製薬によって第一三共、大日本製薬と住友製薬によって大日本住友製薬が、07年には田辺製薬と三菱ウェルファーマによって田辺三菱製薬が発足しました。90年代半ばから欧米で活発になった製薬企業の吸収・合併による業界再編の動きが、日本でも本格化してきました。
こうした製薬企業の動きは、規模拡大による研究開発力の強化や、海外の販売力増強を狙ってのものです。医療費抑制によって、日本の医療用医薬品の市場は伸び悩みを見せています。企業として成長していくためには新薬開発とともに、海外の市場、とりわけ最大のシェアをもつアメリカ市場への進出が課題となっています。その海外進出を積極的に進めているのが、日本でトップの武田薬品工業(以下、タケダと表記)です。すでに売上高の4割近くを海外が占め、その大半がアメリカ市場となっています。
タケダは、90年代以降、リュープリン(前立腺がん・子宮内膜症)、タケプロン(消化性潰瘍)、ブロプレス(高血圧症)、アクトス(糖尿病)といった4つの主要品目と、海外拠点の整備など積極的な国際戦略で“世界のタケダ”の名にふさわしい成長を遂げました。02年3月期には、日本の製薬企業で初めて売上高1兆円を達成しています。そうしたタケダの躍進に手腕を発揮されたのが、今回、LF対談にご登場いただいた武田國男氏(武田薬品工業(株)会長)です。
國男氏は、タケダの創業家の三男として生まれ、後継者と目されていた長兄の突然の死、アメリカの合弁会社での経験などを経て、93年に社長に就任されました。以来、食品、化学品など多角化していた事業構造の見直し、収益性の高い医薬品事業への集中投資、人事・評価制度への成果主義の導入など、タケダの改革に取り組まれました。業績が悪化していたわけではないのになぜ改革なのかと、社内、OBからは反発もあったといいますが、國男氏は国内トップの座に安住することなく、日本発の世界企業をめざして精力的に改革を実行されました。
タケダ改革の成功の要因として國男氏は、講演で以下のポイントを挙げられています。①4つの国際的な製品に恵まれたこと。②一度打ち立てた方針は変えなかったこと。③その方針をわかりやすく翻訳して組織に徹底してくれる人に恵まれたこと。④「事業構造の改革」を、「仕組み・制度」「意識」の改革も含めて三位一体で進めたこと。⑤業績がそこそこ黒字で、早めに改革に手をつけたこと。社長就任後の96年には膀胱がんの手術も受けられましたが、病気も乗り越え、改革を成功に導かれました。
現在、タケダが注目しているのが抗体医薬の開発です。今年2月、抗体医薬の技術開発で先行する、アメリカのアムジェン日本法人の買収を発表し、同社医薬品を日本向けに開発・販売することになりました。抗体医薬は、免疫で大きな役割を果たす抗体を利用して、特定の細胞だけを攻撃するもので、治療効果が高いとされ、関節リウマチの治療薬などが開発されています。タケダは昨年、サンフランシスコに抗体医薬専門の研究子会社も設立しています。
当財団の設立や事業においても、タケダには多大なご協力をいただいてきました。産学官の連携促進、それを通じての医薬品産業の振興も当財団の役割の1つです。当財団の活動が、新薬の研究開発などで、タケダを始めとする製薬企業、さらには医療の発展や健康の増進にお役に立てるよう、今後も一層努力していきたいと考えています。