LF対談

研究に終わりはないけれど、若い人の邪魔になるのは避けたい No.55(2008.10)

京都大学大学院医学研究科 教授
本庶 佑 氏

財団法人 千里ライフサイエンス振興財団
岸本忠三 理事長

抗体のクラススイッチの原理を解明

岸本 本庶先生との最初の出会いはボルチモアから日本に帰ってこられて、東京大学で抗体のクラススイッチの欠失モデルを提唱された頃ですよね。僕はそこに訪ねて行って、この人やと思って、大阪大学に呼んでくださいと当時医学部長だった山村(雄一)先生に頼んだんですよ。それで、大阪大学に来ていただいた。東大には何年ぐらいおられましたかね。

本庶 5年ですね。正確に言うと、ボルチモアのカーネギー研究所からNIH(国立衛生研究所)に移ったので、ワシントンD.C.から東大へと。

岸本 ちょうど同じ頃に僕もボルチモアにおったんやけど、全然知らなかった。日本に帰ってきたのも1974年と同じ年なんですけどね。それで、大阪大学には5年でしたかね。

本庶 大阪大学もほぼ5年です。

岸本 それから出身の京都大学に戻られた。そういうふうに、東大、阪大、京大と立場は違うにしても3つの大学を知っておられるわけで、どうですか。それぞれの大学を比べてみたら(笑)。

本庶 それはときどき聞かれますけど、東大のときは助手だったでしょ。だから、大学全体を眺めるという余裕はもちろんなかったけれど、東大の先生は、東大は日本一やと思っているなというのはときどき感じましたね。阪大の人はそういうことはあまり気にしない。実質主義でいくと。それから進取の気性に富むというか、新しいものをどんどん取り入れようとする。京大は、よく言えば独創的というか。要するに他と違うということが一番重要やと。奇人変人も出ますけど(笑)、非常に面白い人も出てくる。そんな感じですかね。

岸本 阪大に来られた頃は、毎月のように『Cell』や『Nature』に論文が出ましたよね。研究室では新しい器械がピカピカ光って、僕のところにいた審良(静男)君が先生のところに習いに行ったとき、「川を渡ったら全然違う世界がある。まったくレベルが違う」(笑)と、えらい感心していました。僕ら病院の側におりましたから、医学部との間に堂島川がありましたよね。あの頃はどうでしたか。

本庶 阪大の最初の印象は、基礎の古い建物ね。正直言って、あまりきれいじゃなかったでしょ。

岸本 真っ暗でね。そこに突如として新しい器械がたくさん入って変わるわけ。みんなびっくりしてもうてね。しかも、論文が毎月のように出るでしょ。

本庶 それはすぐというわけにはいかなかったけれど、阪大ではみんなが非常にサポートしてくれているなというのは感じました。論文については、ちょうど東大にいた5年間がインキュベーションタイム(揺籃期)でしてね。

岸本 クラススイッチの欠失モデルというのはものすごくエキサイティングだったですよね。

本庶 78年に論文を出して、それを分子レベルで証明するためにNIHにまた3カ月くらい行ってクローニングの技術を習って、ようやく遺伝子のクローニングにも成功した。ちょうどそのときに阪大に来いという話があった。ですから、阪大に行ってからがちょうどピークになって、先生方に呼んでもらった恩返しができたかなと。

岸本 クラススイッチの研究は日本に帰ってきてからですよね。NIHでは抗体のL鎖の遺伝子の研究をしておられて、それは利根川(進)さんもやっとったし、みんな競争していた。

本庶 NIHでやっていたことは、もちろん私にとって土台といいますか、あの頃から本格的に分子遺伝学というものにも取り組みました。ただ、当時は抗体の多様性が最大の課題でしたし、先生がおっしゃるようにみんなL鎖をやっていた。それを日本に持ち帰っても、とても勝ち目はないなと。何をしたらいいかと考えると、幸いH鎖はあの頃まだ誰も手をつけていなかった。難しかったんです。分子の大きさが倍ぐらいありますから。それをやってみようかなと。調べてみたら、H鎖にはL鎖にないクラススイッチという固有の問題がある。それが発端ですね。

岸本 マスメディアは好敵手とか、人を比べてみるのが好きやから、常に利根川、本庶と出てきましたよね。どういう感じでしたか。

本庶 利根川さんはむしろNIHで私の師匠であったフィリップ・レーダーとか、そういう人たちと競争していたので、直接の競争相手という感じではなかったですね。実は利根川さんもちょっとクラススイッチをやられたけれど、彼にとっての主要な関心ではなかったですから。

しつこく、あきらめずに研究を続ける

岸本 クラススイッチの欠失モデルを証明されて、そうすると当然、それはどういうメカニズムでそうなるのかというのが、次の問いかけになりますよね。それをAIDという分子である程度解決されました。だいぶ時間はかかりましたけれど。

本庶 すごくかかりましたね。遺伝子の構造にどういう変化が起こっているかというのは、82年をピークとして、84年ぐらいにはだいたい一段落ついた。その頃、京大から早石(修)先生の後任として帰ってこいという話があった。京大では正直、次は何をすべきかとずいぶん考えた時期もあったんですが、遺伝子の構造がどう変化したか、その最初と最後がわかっても、その間がどうなっているかは全然わかっていない。それをきちっとやらないかんと。遺伝子の変化を起こすものは何なのかと。それで最初にやったのがサイトカイン(液性因子)。岸本先生のご専門ですけど、そのときはむしろ先生と私が激しい競争をしていると言われた(笑)。

岸本 なんでこんなところに入ってくるんやと思いましたけどね。

本庶 私の場合は、クラススイッチを制御するサイトカインに興味があって、そこをやっただけなんですけどね。結局、最後の課題はDNAを切ったり、つないだりする、そこのところのメカニズムで、そのとっかかりが見つかったのが99年です。15年くらいかかったわけで、大変難しかった。世界中の人がやったけれど、なかなかわからなかった。私もしつこく、あきらめずにやった。そして、AIDにたどり着いた。

岸本 クラススイッチが起こらない高IgM血症の患者さん、あるいは高アフィニティ(親和性)の抗体がつくれない患者さんにAID遺伝子の突然変異があるというフランスの報告が先生の研究を後押ししましたよね。ノックアウトマウスで見つかったことが、ちゃんと人の病気にもあったと。先生の論文は2000年でしたかね。

本庶 ちょうど2000年です。実はその報告をしたアラン・フィッシャーとは、99年に日本で開かれた日仏免疫の会でたまたま会いましてね。「人にクラススイッチ欠損の病気がある。自分たちはその原因遺伝子の場所をある程度絞ることができた。何かそれらしい遺伝子がおまえのところで見つかったら共同研究しよう」と言われていたんです。その頃、AID遺伝子のクローニングには成功していたけれど、それが本物かどうかは自信がなかったので、はっきりしたら必ず共同研究しようと約束しました。その後、99年の夏頃から研究がどんどん進みまして、2000年5月に『Cell』に論文を投稿しました。

岸本 クラススイッチの欠失モデルから、それがどうして起こるか、その原因遺伝子の解明ということでライフワークがつながってきたわけですね。しかし、その後、AIDがクラススイッチや高アフィニティにどう関わるかということで、いろいろありましたね。

本庶 まだ解決していません。

岸本 大部分の人はAIDがDNAのCをUに脱アミノ化する、そういう突然変異を引き起こすから、そこが切れるんやと考えていますよね。先生が言われているmRNAを編集してというよりも。しかし、先生はRNA説にこだわっておられる。どうですか。

本庶 両方の可能性があるというのは最初の論文に書いています。なぜRNA説をとったのかというと、AID遺伝子の構造はAPOBEC-1というRNAを編集する酵素と最も似ている。進化的に考えると、その点がやっぱり重要じゃないかというのが出発点です。私どもはそれを検証する実験をだいぶやりました。DNA説の人の一番大きな根拠は、試験管の中でDNAとAIDを混ぜるとDNAの脱アミノ化が起こることです。しかし、それが生体内でも起こっているかどうか。RNA編集酵素のAPOBEC-1とDNAを試験管の中で混ぜても同じことが起こるんです。新しい論文では、AIDのミュータントを作りまして、試験管の中でDNAの脱アミノ化活性がほとんどないものでも、細胞の中に持っていくとクラススイッチの活性があることを証明しました。RNA編集の直接の証拠はまだ持っていませんけど、たぶん間違いないと思います。こだわるというよりは、実験的にそうとしか考えられない事実が次々に出ている。

岸本 そやけど、先生のところだけですからね(笑)。

本庶 世界中の大部分の人がDNA説を信じているかどうかわかりませんが、その前提で仕事をしています。しかし、直接的な証拠を示すことができた人はまだいないですね。

岸本 APOBEC-1のファミリーは、ウイルス感染や、がんにおいても重要なんじゃないかと言われだしましたよね。

本庶 DNAに傷を入れながら体の防御をするわけですから、当然、がんのリスクも増える。がんのリスクよりも感染防御のほうがはるかに重要だったんでしょうね。思いがけない展開ですけど、私自身は非常に楽しんではいます。

本庶 佑 氏

本庶 佑 氏

京都大学大学院医学研究科 教授

1942年、京都市生まれ。66年京都大学医学部卒業、71年同大学院医学研究科修了。米国カーネギー研究所、NIHの客員研究員を経て、74年東京大学医学部助手。79年大阪大学医学部教授(遺伝学教室)。84年京都大学医学部教授(医化学教室)、95年同大学院医学研究科教授(分子生物学)。05年に退官後も同研究科の寄附講座(免疫ゲノム医学)で研究を続ける。04年より日本学術振興会学術システム研究センター所長、06年より内閣府総合科学技術会議議員を併任。専門分野は分子生物学。クラススイッチにおける抗体遺伝子の欠失モデルを提唱し、それを証明。その後、クラススイッチの分子機構の研究で世界をリードし、クラススイッチに必須の分子AIDなどを発見。受賞は、朝日賞、武田医学賞、日本学士院賞・恩賜賞、文化功労者ほか。日本学士院会員、米国科学アカデミー外国人会員、ドイツ自然科学者アカデミー・レオポルディナ会員。趣味はゴルフ、絵画。

若い人が出てくるようにするには?

岸本 そういうふうに研究を展開してこられて、定年後も続けておられる(笑)。まだまだやることがあるし、やりたいという気持ちもあるということですか。

本庶 そうですね。AIDのターゲットがDNAなのか、RNAなのか、この問題だけは明らかにしたい。あと数年はかかるかなと。その次、どうするかですね。私としては何か新しいことを若い人とやるとか、むしろ若い人を盛り立てるようなことをやってみたいなという気持ちを持っています。まあそれを全部入れたとしてもあと5、6年で区切りをつけようかと思っていますけどね。

岸本 その頃になったら、またもう少しと(笑)。この前、利根川さんに会ったら、一部は日本の理研に移るけれど、アメリカの研究室はそのままであと10年は脳の研究を続けるんやと言っていましたからね。いつまでもやめられんものですな。そんなことを言っている僕も、大阪大学では最年長の教授になっとる(笑)。

本庶 研究というのは終わりがないですからね。何をやっていても。ただ、1つ注意していることは、自分がいることが若い人の邪魔になると(笑)、それだけは避けたいと。

岸本 そうそう。プラスになっているか、邪魔になっているか、そこのところの判断が難しいなと自分も思っとるんですわ。若い人は背中を見て育っていきますからね。プラスになっているんやと自分では言い聞かせて(笑)。で、今は総合科学技術会議の議員もしてもらっているわけですけど、そっちのほうはどうですか。

本庶 岸本先生から急に後をやってくれと言われたときは、まさに晴天の霹靂でしたね。

岸本 してもらってなかったら、僕は心臓で大変なことになっていたかもしれませんよ。

本庶 そうすると、僕は先生の命の恩人ですか(笑)。

岸本 そうそう。

本庶 正直言って総合科学技術会議で最初に戸惑ったのは、総理大臣の諮問に答えるというけれど、何をするところかはっきりしないということでしてね。自分で最低、これだけはやると決めないといかんなと思いました。それで自分の課題としたのがまず基礎研究。科研費を増やしていかないとダメだと。もう1つは、ライフサイエンスに対する認識がまだ日本の社会では必ずしもメジャーではない。しかし、先行投資すべき重要な分野であることは間違いないと。その2つを大きな課題にしています。

岸本 僕がやっとった頃は、科学技術にものすごく国も力を入れているという感じがしたんです。最近は担当大臣もわからんくらい、重要視してないんやないかと。そういうことから、総合科学技術会議も見えにくくなっとるんやないかと、外から見ていて感じるんですけどね。

本庶 それは政治の問題でしてね。科学技術の重要度は変わっていないけれど、当面の課題が次から次へと出てきて、政治家の目もそっちの方向に向いている。しかし、逆にそういう時期だからこそ、先を見据えて先行投資しておかないといかんと思うんですけどね。

岸本 日本のライフサイエンスのレベルはどうですかね。

本庶 それは先生もご承知のように悪くはない。ヨーロッパとは互角の戦いをしている。ただ、アメリカの力が圧倒的なので、全体として世界をリードするのは難しい。しかし、一部の分野ではiPS細胞のようにリードする局面もあるわけですから、もっと先行投資して若い人がインセンティブを持つようにする必要があるなと。

岸本 北京オリンピックでもアテネで活躍した人がそのまま出ているとか、日本ではなかなか新陳代謝が進んでいませんよね。若い人が次々と出てきてというふうには、我々の分野でもなっていない。それは何でですかね。研究費の面でも若い人を掘り出しえないのか。

本庶 ライフサイエンスというのは総合的な学問ですよね。テクノロジーもあらゆるものを使うし、いろんな分野がお互いにインタラクションしながら発展していく。免疫学にしても大きな発展があったときには必ず異分野から人が入ってきました。組み換えDNAの技術を持った人ですとかね。そういう時期が若い人を引きつけて学問全体が活性化されるわけで、やはりそういう局面を作っていく必要があるんじゃないかと。免疫学会もなるべくオープンにして、他の学会と合同開催をやったらどうかと話したこともあります。クローズでやっていると、結局、自分の先生を超えられない(笑)。

岸本 科研費にしてもなかなか若い人にお金を出すという仕組みがうまく機能しないですよね。

本庶 そうですね。今年、努力しているのは、ハイリスクというか、当たるか当たらんかわからんけれど、非常に面白いことを提案している人にお金を出すという仕組みで、そういう新しい枠を作って全体の金額も増やしていこうと。そういうことを来年の概算要求に向けて言っているところです。

岸本 週の真ん中は総合科学技術会議で東京でしょ。それから京都へ帰ってきて研究をする。先生は心臓が強いから、僕みたいなことにはならんと思いますけど、体にはくれぐれも気をつけて。

本庶 そうですね。先生の貴重な体験を生かして(笑)、なるべく体のチェックはしてもらうようにしています。幸い今のところ健康上は問題ないようです。

岸本 今日はお忙しいところ、どうもありがとうございました。

 

EYES

抗体のクラススイッチはどのようにして起こるのか?

クラススイッチの遺伝子再構成の仕組みやそれに必須の分子AIDを発見

細菌やウイルスなどから、私たちの体を守ってくれる免疫のシステムにおいては、マクロファージや樹状細胞、Tリンパ球などの免疫細胞がお互いに情報をやりとりしながら役割分担をして働いています。たとえばBリンパ球では、抗体というタンパク質がつくられます。抗体はウイルスや毒素などの異物(抗原)と“鍵と鍵穴”のように特異的に結合することによって、その働きを失わせたり、マクロファージに貪食させたりします。これらの働きを利用して感染症を防ぐワクチンは、医学の最も大きな人類への貢献の1つです。

しかし、外来の抗原というのは多種多様に存在します。それと特異的に結合するためには、抗体自身もまた多様性を持たなければなりません。抗体はまずBリンパ球の分化過程で多様なレパートリーを生み出します。その仕組みを解明されたのがノーベル医学・生理学賞を受賞された利根川進氏でした。抗体分子は分子量の小さなL鎖と大きなH鎖という分子2本ずつから構成され、L鎖とH鎖、どちらにも可変部と定常部があります。抗原と結合するのは可変部ですが、その多様性は遺伝子の再構成(DNAの組み換え)によって生み出されることを1976年に明らかにされました。

一方、成熟したBリンパ球がワクチンなどの抗原に出会うと、さらに2種類の遺伝子の再編が起こり、抗体記憶を生じます。その1つはクラススイッチであり、もう1つは体細胞突然変異です。抗体はH鎖の定常部の違いによって、IgM、IgG、IgA、IgEなど8つの種類(クラス)に分かれます。最初にBリンパ球はIgMを細胞表面に出します。それが抗原に結合すると分裂・増殖してIgMを細胞外に分泌するようになりますが、その後、抗原との結合能力の高いIgGなど異なるクラスの抗体をつくるように変化します。これをクラススイッチと呼んでいます。このクラススイッチにおける遺伝子の再構成を解明されたのが、今回、LF対談にご登場いただいた本庶佑氏(京都大学大学院医学研究科教授)です。

本庶氏は、東京大学医学部の助手であった78年、抗体のH鎖の定常部においては、一列に並んだ複数の遺伝子のうち、上流の遺伝子が除かれることによってクラススイッチが起こるという「欠失モデル」を提唱されました。79年、大阪大学医学部教授に就任されてからはその証明に傾注され、82年、欠失モデル通りに遺伝子の再構成が起こっていることを明らかにされました。84年に京都大学に移られてからは、抗体のクラススイッチがどのようなメカニズムで起こるのか、その分子機構の解明に取り組まれ、99年にクラススイッチに必須の分子としてAID(Activation-Induced Cytidine Deaminase)を発見されました。AIDという名称は、本庶氏の佑(たすく)という名前からつけられたとのことです。

AID遺伝子を欠損させたノックアウトマウスでは、クラススイッチが起こらなくなります。人の場合でも、IgGがほとんどつくられないために感染症に対して脆弱な高IgM血症Ⅱ型の患者さんには、AID遺伝子に変異があることがわかりました。また、クラススイッチに並行して、抗体の可変部の遺伝子に突然変異が起こり(前述の体細胞突然変異)、抗原との結合能力が他よりも高くなった抗体が選択的に増えるようになる「親和性成熟」と呼ばれる現象があります。この抗体のチューンアップともいうべき突然変異にも、AIDは必須の役割を果たしていることもわかりました。

一度、抗原と親和性の高い抗体がつくられるようになると、その抗体をつくるBリンパ球の一部は記憶細胞として体内に留まります。これを利用したのがワクチンですが、AIDはこの「免疫記憶」を司る分子ともいえるでしょう。本庶氏の研究グループは、AIDの他にも、免疫に関わる重要な分子を見つけられています。たとえばPD-1は、自己に対する免疫反応を抑制する分子で、がん細胞やウイルス感染細胞はそれによって免疫を逃れているともいいます。そこで、PD-1を阻害する薬剤の開発も進めているとのことです。今後の研究の進展が期待されます。

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