LF対談

チンパンジーはこの世界をどう見ているか
誰もやっていない研究をする No.56(2009.2)

京都大学霊長類研究所所長
松沢哲郎 氏

財団法人 千里ライフサイエンス振興財団
岸本忠三 理事長

チンパンジーのほうが優る知性もある

岸本 僕はチンパンジーのことはサルよりちょっと賢いんかなと思っていたぐらいでしたけど、松沢先生の本を読むと全然違うようですね。

松沢 まず普通のサルには尻尾がありますけど、チンパンジーにはありません。我々にも尻尾はないですよね。チンパンジーと人間は尻尾がないサルという意味では同じ仲間で、たとえば尻尾があるニホンザルが別ものなんですね。一般の方はチンパンジーとニホンザルが似ていて、人間だけ特別だと思いがちですけど、実はチンパンジーは生物分類学上、ヒト科なんです。ヒト科には4属あって、ヒト属、チンパンジー属、ゴリラ属、オランウータン属です。共通するのは尻尾がない大きなサルということです。

岸本 ゴリラとチンパンジーはどうですか。

松沢 近いですけど、これまたチンパンジーとゴリラが似ていて人間は違うと思いがちですよね。でも、2001年にヒトゲノムの全塩基配列が解読され、2005年にはチンパンジーのゲノムも解読されましたけど、ヒトとチンパンジーが似ていてゴリラが違うんです。

岸本 ヒトとチンパンジーは1%ぐらいの違いですよね。

松沢 はい。共通祖先からまずゴリラが分かれて、500万年前ぐらいにヒトとチンパンジーが分かれた。でも、一般の方はどうしても人間中心の世界観の中に生きているから…。

岸本 みんなチンパンジーはサルやと思っていますよね。ところが先生は、チンパンジーは人間に近いと思っておられるから、1人、2人と言っておられる。それは先生だけですか。

松沢 チンパンジーを研究している人はみんな言いますね。今、中学2年生の国語の教科書に「文化を伝えるチンパンジー」という文章が載っているんですけど、その中では1人、2人と書いてあるんです。ですから、今の中学生が大人になる頃には、皆さん違和感がなくなるようになるかもしれない。

岸本 僕はものすごく違和感がありますけど(笑)。京都大学の霊長類研究所は、今西錦司、伊谷純一郎とニホンザルの研究から始まっていますよね。だから、僕はチンパンジーも同じようなものなのかなと思っていました。

松沢 2つ申し上げたいことがあって、1つは2008年はちょうど霊長類学がスタートして60年目にあたる年なんです。1948年12月3日に今西先生が宮崎県の幸島に行って初めて野生のニホンザルの研究を始めました。伊谷先生は当時、京大の学生で今西先生について行かれた。そして2つ目は、58年に今西先生と伊谷先生が初めてアフリカに行ってゴリラ、チンパンジーの研究を始められた。それが50年前です。

岸本 チンパンジーはアフリカにしかいないんですか。

松沢 野生のチンパンジーはアフリカだけですね。

岸本 人間は世界中にいますよね。そして農耕だとか文明を生み出しました。それはやっぱり賢いわけですよね。チンパンジーより賢いと言ったら、先生に怒られるかもしれんけど(笑)、脳の大きさも違うんですか。

松沢 人間の脳はだいたい1250ccくらいですよね。1リットルの牛乳のパックより少し大きいくらい。チンパンジーはその半分の500ccくらいです。1つ興味深い報告がありましてね。人間の脳は赤ちゃんから大人になるまでに3.2倍になりますけど、チンパンジーも同じなんです。人間と同じように、その脳が大きくなる過程で、大人のやっている様子を見て、これは食べられるとか1つひとつ覚えていくわけですね。

岸本 だけど、頭の良さと言ったらまた怒られますけど、全然違いますよね。ちょっと数字を覚えたっていうんで、えらいなと我々は感心したりしていますけど(笑)。

松沢 でも、たとえば数字を一瞬5つ見せて、0.2秒で消したのを覚えられますか。先生、できますか。

岸本 できないですね。

松沢 うちの大学院生もできません。誰もできない。07年にそれを発表してみんなが驚いたのは、素朴に知性の面では人間が一番賢いとみんな思っているわけですよね。それがいわゆる科学の一例反証で、そうじゃないとわかった。少なくとも数字を一瞬見て記憶する課題では、チンパンジーの子供のほうが人間の大人よりよくできるわけです。チンパンジーのほうが優っている知性もあると。じゃあ人間はどういう部分で優っているかと、ようやく対等なところで(笑)比較できるようになったと思うんですね。
チンパンジーの子供は確かに数字の一瞬の記憶はすごい。でも、それは目の前にあるものを覚えているわけですよね。それがわかり始めると、チンパンジーはこの目の前の世界に生きていて、人間は目の前だけじゃなくて、遠い10年先のことを考えたり、そのために計画を立てたりできる。まさに農耕がそうだったわけですね。

岸本 非常に即物的というのと、将来を考えるというか哲学的というか、大阪大学と京都大学みたいなものですな(笑)。

この世界を理解するとはどういうことか?

岸本 ところで先生は京都大学でどうしてチンパンジーを研究されようと思われたんですか。

松沢 僕は1969年の入学なんですけど、それは東大の入試がなかった年なんですね。それで高校まで東京でしたけど、京大へ。そして京大へ行くなら、西田幾多郎、田辺元の伝統もあるから哲学をしようかと。

岸本 それがどうしてチンパンジーに…。

松沢 高校から兄の影響で山登りをしていたんで山岳部に入ったんですよ。それが今西先生につながるご縁なわけですけど、京大の山岳部は1年の3分の1、120日は山に行くんですね。だから、学部はどちらですかと聞かれたら、山岳部です(笑)と、そういう暮らしをしていました。その山岳部の先輩の一番先に今西錦司、桑原武夫、西堀栄三郎がいて、3人は京大の同級生なんですね。桑原先生はフランス文学で学際的な共同研究を始め、西堀先生は南極越冬隊の隊長を務めたり、東芝で真空管を作った人です。それらの人を見ていると、要は人と違うことをしなきゃいけないと。今西の前に今西がいたかと言うといないですよね。山を登りながら考えたということだと思うんです。先輩たちの後ろ姿を見て、どこに自分の場所があるかと考えたときに、哲学ではなかった。
そのときに出会ったのが実験心理学でした。この世界はすべて我々の目や耳を通して脳が理解しているわけですよね。この世界を理解する、わかるということはどういうことなのか、それを研究すると面白いんじゃないかと。当時、心理学は哲学科にあったので、まず人間の目の仕組みの研究を始めました。でも、やっぱり脳の研究がしたい。それで大学院の修士課程では生理学的心理学ということでネズミの脳の研究をしましたけど、人間の脳がそれでわかるようになるわけじゃない。そのときにちょうど霊長類研究所で心理学専攻の助手を公募していて、サルがこの世界をどう見ているか、に取り組むことになりました。

岸本 もっと人間に近い対象だと。

松沢 人間がこの世界をどう見ているかは、認知科学ですとかたくさんの人がやっていますよね。

岸本 人と違うことをせなあかんと。

松沢 はい。サルがこの世界をどう見ているかは、誰もやっていない。そして、入所して1年後の77年にアイという1歳のチンパンジーがアフリカからやってきて、室伏靖子先生のもとで「アイ・プロジェクト」が始まりました。ニホンザルよりもさらに人間に近いチンパンジーを対象に研究できる、きっとユニークなものになるんじゃないかと思ったわけです。

松沢哲郎 氏

松沢哲郎 氏

京都大学霊長類研究所所長

1950年、愛媛県生まれ。74年京都大学文学部哲学科(心理学専攻)卒業後、同大学院文学研究科を経て、76年同大学霊長類研究所助手に就任。87年同研究所助教授、93年教授、06年所長。02年より中部学院大学客員教授兼任。専門分野は比較認知科学、霊長類学。78年よりアイという名前のチンパンジーを主な対象として、チンパンジーの知性を探る「アイ・プロジェクト」に参加、アイに数字や図形文字を学習させる。86年からはアフリカの野生チンパンジーの調査も続けている。受賞は秩父宮記念学術賞、中山賞特別賞、ジェーン・グドール賞、日本神経科学会時実利彦記念賞、紫綬褒章ほか。『進化の隣人ヒトとチンパンジー』など著書多数。

チンパンジーと比較して人間の人間らしい特徴を考える

岸本 それからアイちゃんというサルとずっと一緒に…。

松沢 チンパンジーと言ってください(笑)。もう31年になります。

岸本 チンパンジーというのはいくつぐらいまで生きるんですか。

松沢 50歳くらいです。

岸本 そうすると、もういい年になりますね。変わってきましたか。

松沢 やっぱり穏やかになりました。きりっとした感じの子だったんですけど、2000年に子供を産んでからはとてもいいお母さんだし、人格的にいうとすごく丸くなった感じがしますね。

岸本 チンパンジーは子供を抱いて育てる。それが大事やということらしいですね。人間もそうですよね。それがだんだんなくなってきたから親子関係の問題も起こってくるんでしょうかね、人間でも。

松沢 そういう考え方もできるかもしれませんけど、人間の人間らしい特徴は生まれながらにして離れていることなんです。人間も含めたサルの仲間は、お母さんは子供を抱くし、子供はお母さんにしがみつきます。抱きしめる、しがみつくというのは霊長類的な基盤です。でも、人間の母子関係の特徴は、生まれながらにして横に寝かせる、添い寝の形になることなんです。人間の赤ちゃんは仰向けで寝ていても安定していますよね。チンパンジーの赤ちゃんは仰向けにされるとモゾモゾしている。人間はしがみつかないのが本性なんですね。
実はこの仰向けの姿勢がとても重要で、お母さんやお父さんと顔と顔が接するわけでしょ。相手の目を見てにっこり微笑む。それから仰向けというのは手が自由になっているんですね。人間の赤ちゃんだけです。あんなに手でいろんなものを握っているのは。仰向けで安定して離れているから対面のコミュニケーションも発達するし、手も自由になる。音声でやりとりもします。夜泣きするのは人間だけですよ。チンパンジーはお母さんにしがみついているから、夜泣きする必要がない。

岸本 目は口ほどにものを言うというのは人間だけに言えることであって、他の動物にはないと。

松沢 大阪の箕面に野生のサルがいますけど、サルの目を見ないでくださいと看板に書かれています。一般的に動物の世界では「見る」ということは、これから飛びかかって食べるぞという意味ですよね。人間、それにチンパンジーだけです。相手の目をじっと見て、ニコッと笑う表情をするのは。だから、母子関係を考えるときも、抱くとか、しがみつくという霊長類的な基盤の部分と、人間やチンパンジー、特に人間にしかない対面のコミュニケーションや声のやりとりという、人間の人間らしい部分とを切り分けて考えたほうがいいでしょうね。チンパンジーを真似すればいいというわけじゃなくて。

岸本 人間とよく似ているチンパンジーを研究することによって、人間はどういうものか、そのあるべき姿もわかってくるわけですね。

松沢 人間は本来どういう生き物か、あるいは自然界における位置がわかって初めて対処法も考えられるんじゃないでしょうか。たとえば、チンパンジーの平均出産間隔は5、6年です。だいたい4歳まで授乳していて、やめるとホルモンの関係で性周期が戻ってくる。この初期の母子関係で人間と決定的に違うのは、子供からいえば5年間お母さんを独り占めにしていることです。逆にいうと、お母さんは5年間その子1人を大事に育てるんですね。人間だと、シングルワーキングマザーに似ています。で、人間はチンパンジーとの共通祖先から分かれて人間が人間になる過程で、この子育ての仕方を変えたんですよ。人間の場合、年子とかもいますよね。要は子供をどんどん産んで…。

岸本 そんなに世話しない(笑)。

松沢 そんなにしない。でも、1人じゃ育てられないから、パートナー、夫というものを必要とした。一夫一婦の関係が非常に強いサルなんですよ、人間は。どうしてそうなったのか、女性が排卵を隠すようになったからです。チンパンジーは排卵のときにお尻がピンクに腫れます。ところが人間はいつ排卵しているかわからない。男性にしてみれば、自分の子供を産ませるには常に配偶者を見守っていないといけない。それによって初めて男性と女性が強い結びつきをもって自分たちの子供を育てるようになったんじゃないかと。

岸本 面白いですね。

世界をリードする京都大学の霊長類研究所

岸本 京都大学には霊長類研究所であるとか、京都大学でなきゃないようなものがありますよね。

松沢 霊長類学って講座、他に全国に1つもないですからね。

岸本 それがどうですかね。最近は、これは何の役に立ちますか、という風潮になってきてやっぱり大変ですかね。

松沢 大学全体のことはなかなか言えないですけど、僕自身は学問というのを信じて疑わない、基礎的な学問こそ大学の使命なんだという考えを色濃く残している大学だと思います。今のような時代、たとえば15世紀のペルシャの詩をペルシャ語で読めるような人も必要ですよね。そうでなかったら、イスラムの国といい関係を取り結べるはずがないじゃないですか。

岸本 僕が阪大の総長のときに「そりゃ心臓外科というのは大事です。しかしインド哲学も非常に大事なんです」といつも言っていると、インド哲学の先生から「なんか役に立たないものの代表のようですから、もう言わんようにしてください」(笑)と言われました。だけど、霊長類研究所があるというのは非常に京都大学らしいですね。若い人はそれに興味を持ってたくさん来ますか。どうですか。

松沢 来ます。日本では他にないから全国から来るし、世界からも。大学院生、ポスドクの2割が外国人です。

岸本 ユニークなんですな。それが大事ですね。

松沢 世界でもかつては京大の霊長類研究所とアメリカのヤーキース霊長類研究所だけでした。それが10年前にドイツにマックスプランク進化人類学研究所ができ、2年前にイギリスのケンブリッジ大学に人類進化科学研究所ができて日米英独の大競争時代になっていますけど、霊長類学は間違いなく日本が60年前に始めた学問であり、日本が世界の第一線であることは揺らいでいません。インターナショナルセンターですね。京都大学ではいろんな部局でそういうものを目指していて、山中伸弥先生のiPS細胞研究センターもそうだと思いますけど、やっぱり新しい学問、まだ誰もやっていないことをやるんだというパイオニアスピリットは、今西、桑原、西堀の時代から我々が受け継いでいるものだと思います。すみません。京都大学の宣伝みたいになっちゃって(笑)。

岸本 いや、京都大学の一番ユニークなところだと思って、今回は松沢先生に対談をお願いしたわけですから。どうもありがとうございました。

 

EYES

チンパンジーの知性を探るアイ・プロジェクトに取り組む

コンピュータを使った課題によってチンパンジーの数や色などの認識に迫る

数や色を理解するチンパンジーの存在を報告した日本発の論文が『Nature』に掲載され、世界的に注目されたのは1985年のことでした。そのチンパンジーの名前は「アイ」。京都大学の霊長類研究所で飼育されている8歳のメスのチンパンジーでした。たとえばアイは、5本の赤い鉛筆を見せられると、それが赤い色の鉛筆で、5本あることを図形文字やアラビア数字で示すことができました。

アフリカから京大の霊長類研究所にアイがやってきたのは1977年、1歳のときでした。その翌年から霊長類研究所では、アイを主な被験者としてチンパンジーの知性を探る「アイ・プロジェクト」がスタートします。人間にもっとも近い存在とされるチンパンジーはこの世界をどう見ているか。その認識のレベルを、コンピュータを使った課題を通してできるだけ客観的・実証的に探ろうという試みでした。それまで欧米の研究者によって、手話サインを介してチンパンジーとコミュニケーションをとる研究事例などは報告されていました。しかし、チンパンジーには数の概念があるのかなど、その認識レベルの科学的な証明には至っていませんでした。

その「アイ・プロジェクト」にスタート時から参加され、アイを担当して数々の報告をされてきたのが、今回、LF対談にご登場いただいた松沢哲郎氏(京都大学霊長類研究所所長)です。松沢氏は京都大学で心理学を専攻された後、76年に霊長類研究所に助手として入所。「アイ・プロジェクト」では、まずアイに数字や図形文字を学習させることに取り組まれました。図形文字とは、直線や丸、四角などを組み合わせた人工的な文字で、それによって鉛筆なら鉛筆と見せられたものが何であるかを表現することができます。現在、アイはアラビア数字の0から10までを覚え、その大小関係も理解しています。また、11の色を区別し、それを漢字と図形文字で示すことができます。約120の図形文字を記憶しているともいいます。

覚えた数字を使った実験に、数字の短期記憶を調べるものがあります。5つの数字を小さい順に選ぶという課題(マスキング課題)で、スタートの白い丸を押すとコンピュータの画面上に0から9までの数字が5つ毎回バラバラの位置に表示されます。その中の一番小さい数字を選ぶと、他の数字は白い四角に置き換わります。それでも数字を覚えていて小さい順に選んでいけば正解になります。この課題を、アイはだいたい7割の正答率で答えられるといいます。その際、最初の数字を選ぶまでの時間(数字を記憶する時間)は0.7秒で、この時間だと人間の大人は、アイと同じような正答率をあげることは難しいそうです。

2000年にアイは人工授精で「アユム」という息子を出産しました。世代を通して、アイが学んだ知識がどのように伝えられるか、また子育てや子供の成長の様子などが観察されています。07年には、アユムが前記の課題を応用した「時間制限つきマスキング課題」に取り組んだ実験結果が『Current Biology』に報告されました。アユムは0.21秒という短い時間で5つの数字を覚える課題で、およそ8割の正答率をあげることができました。人間の大人(大学生9人)は4割以下、アイは2割以下の正答率でした。見たものを瞬間的に記憶する高い能力が子供のチンパンジーに備わっていることを証明する実験となりました。

松沢氏は86年から毎年アフリカに出かけて野生チンパンジーのフィールド調査も続けられています。チンパンジーの知性や認識へのアプローチは、人間の“心の進化”を探る試みでもあります。04年から霊長類研究所では、ドイツのマックスプランク進化人類学研究所と共同で人間の進化の霊長類的起源を探る「HOPEプロジェクト」も進められています。霊長類学は今西錦司氏に始まり、日本が世界をリードしてきた学問分野です。人間の由来を解明する研究の今後の一層の進展が期待されます。

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