LF対談

新しい薬づくりは 必ずどこかでつまずく。
社外の応援団が力になる No.61(2010.10)

東京農工大学特別栄誉教授
遠藤 章 氏

公益財団法人 千里ライフサイエンス振興財団
岸本忠三 理事長

コレステロールを下げるスタチンを最初に発見

岸本 コレステロールを下げる薬というのは、世界中で売上げが3兆円ぐらいといわれていますよね。一番大きなファイザーの薬は1兆円ぐらいと。しかし、最初にその薬の開発を手がけられた遠藤先生の名前を我々が認識するようになったのはここ数年のことで、実際いうと僕も知らなかったんです。コレステロールの代謝が大事やということは知っていました。1985年にノーベル賞をもらったゴールドスタイン、ブラウンの話は、アメリカンサクセスストーリーといわれ、2人は何をやればインパクトがあるか、やっぱりアメリカで一番大きな死因は心臓病、心筋梗塞で、それはなんで起こるんやと考えた。家族性の高コレステロール血症では若くして心筋梗塞になる。だから、コレステロールがどのように代謝されるかを研究すればインパクトがあるはずやと。先生はそうしたコレステロールの研究の流れの中ではどのように関わっておられるんですか。

遠藤 コレステロールの生合成経路が解明されたのは1950年代ですね。そのあと60年代の半ばぐらいにかけて経路の中のHMG-CoA還元酵素がカギになる酵素とわかって、みなさんそれに注目していました。私はその頃にアメリカに留学して、そこではコレステロールの仕事はできませんでしたが、興味はあったものですから、コレステロールに詳しい仲間から、いい薬がないという話などを聞いていました。それで68年に日本に帰って何をやろうかというときに、三共(現・第一三共)に入社してから7、8年していたカビの酵素の研究とコレステロール低下剤をドッキングさせてHMG-CoA還元酵素阻害剤をカビから探してみようかとなったんです。そして73年にコンパクチンを発見したんですけど、会社ですからすぐに発表はできませんでした。同じ年にゴールドスタインとブラウンが家族性高コレステロール血症の患者さんの皮膚の細胞を培養して最初の論文を出しています。

岸本 そのコンパクチンがスタチンと総称されるコレステロール低下剤の最初の発見で、ものすごい貢献をしたわけですよね。僕も毎日、薬を飲んでいてそりゃ何兆円になるやろなあと(笑)。しかし、最初に手をつけたのは三共だったのに、薬はメルクが一番先に出した。その間、ラットでは効かないとか、イヌに腫瘍ができたとかいろいろあったんですね。それは日本の会社の限界ですか。

遠藤 73年に発見して、74年にラットで試験してだめだった。私は承知しなかったので、それから2年間ねばって76年にイヌによく効くとわかりました。その結果を77年にフィラデルフィアの国際会議で発表したんですけど、私の番になったらそれまで満員だったのがみんなゾロゾロと帰っていく(笑)。そういう時代です。HMG-CoA還元酵素阻害剤がコレステロールを下げるということはなかなか認められなかった。ラットで効かなかったものですから、イヌやサルによく効くと言っても誰も信用しない。コンパクチンが薬になるかもしれないと最初に気づいたのはやっぱりゴールドスタインとブラウンで、企業ではメルクでした。

岸本 そのあと2人はノーベル賞をもらった。もし先生がアメリカ人で、アメリカでそういう仕事をしていたら、コレステロールを制御することによって病気を治すということで、3人でノーベル賞になったのと違いますか。

遠藤 そのように言われる方もいらっしゃいますけど、私はそういうふうには理解していないんです。三共がコンパクチンの開発を中止したのが80年。臨床試験のフェーズⅡまでいっていたのを止めて、“Statin would never come back ! ”という噂が世界中に広まりました。やっぱりそんな大事な酵素を阻害するのは危険じゃないかと逆戻りしたんですね。それを盛り返して、メルクが87年に最初のスタチンを発売した。その2年前に2人はノーベル賞をもらっています。その頃にはまだスタチンの評価は定まっていなかったんです。

岸本 彼らはLDL受容体の発見が一番大きな仕事ですか。家族性高コレステロール血症の患者さんにはそこに異常があるという。

遠藤 スタチンの仕事もやっていますけど、それを抜きにしてもノーベル賞をもらっていたんじゃないでしょうか。

岸本 それでメルクがやりだしたら、三共もまたあわててやりだしたわけですか。

遠藤 誰かが先鞭をつけてくれますと、だめだと思っていたものもやりやすくなる。

岸本 薬というのは自転車競技と一緒で、先に行くもののちょっと後から風よけしてついていくのが一番得だともいいますね(笑)。

遠藤 当時はやっぱり規模が違いました。メルクは世界で一番大きかった。日米の製薬会社にはかなり大きな力の差を感じましたですね。トップランナーで走り続けるのは難しかった。

臨床試験は順調だったのに開発中止に

岸本 循環器病センターにおられた山本章先生は、僕の高等学校からの先輩なんですけど、山本先生が最初に高コレステロール血症の患者さんに使われたわけですよね。それはコンパクチンですか。

遠藤 そうです。

岸本 それはいつ頃ですか。

遠藤 76年でしたか、ゴールドスタイン、ブラウンの仕事を日本で初めて私が雑誌に紹介したんですね。それを山本先生がお読みになって、私を訪ねてこられたんです。そのときに高コレステロール血症の重症の患者さんを診ているとおっしゃった。実際に患者さんの治療に使われたのは78年の2月からです。

岸本 そこで効果を発揮したわけですよね。

遠藤 いろいろありましてですね。なにしろ使う量がわからない。後でわかったんですけど、普通の投与量の5~10倍くらい使ってしまい、効くには効きましたけど、筋障害の副作用が出たりして。でも、投与を止めたらすぐ回復しました。そこで、もう1ランク下の重症患者の治療に使われた。78年の夏にかけてかれこれ10名くらいの患者さんに使ったところ非常によく下がる。

岸本 それで三共もやろうということになった。

遠藤 なったんですね。78年11月にフェーズⅠが始まり、79年の夏にフェーズⅡに進んだ。それからすこぶる順調だったんですけど、先ほど話しましたように80年の8月に中止になった。

岸本 イヌに腫瘍ができたとか。

遠藤 私はその1年半ぐらい前に会社を辞めていましたから真相はわかりませんけど、イヌの長期毒性試験でリンパ腫が出たということでした。

岸本 それでも人には効いていたわけですよね。

遠藤 臨床試験ではものすごく調子がよかった。世界中ですごいものができたといわれていました。そこへバタンときた。

岸本 それでもメルクはやったわけですよね。

遠藤 メルクもやはり一度は止めました。76年に三共の特許に興味を示して関係を結んでから、密かにコンパクチンよりメチル基が1個多いだけの、特許では別のものを開発して80年にはフェーズⅠに入っていました。でも、止めてからまた盛り返しまして、大変な人手とお金をかけて徹底的に安全性を調べて、臨床試験を再開したのが84年です。その間、ゴールドスタイン、ブラウンなど社外の応援団が大丈夫だからやるように、と後押ししたようです。

岸本 三共はいつから再開するんですか。今のメバロチンはコンパクチンとは別なんですよね。

遠藤 ええ、酸素が1個付いただけですが。

岸本 なぜコンパクチンにせずにそっちにいったわけですか。

遠藤 1つはコンパクチンよりも1.5倍から2倍くらい活性が強かったことと、もう1つは一度だめだったものをまた盛り返すというのはやっぱり大変なことだったろうと思います。

岸本 今、一番売れているのはファイザーのリピトールですよね。それは、その他のスタチンとは何が違うんですか。

遠藤 構造は一番大事な、人間の体に例えれば、頭と首の部分はみんな同じです。HMG-CoA還元酵素を阻害するという作用機構もまったく同じで、その強さが違う。

岸本 あとは売るのが上手やということですか(笑)。

遠藤 営業の力もあると思います。

岸本 僕が総合科学技術会議の議員をしているときに、いかに基礎的な研究が大きな産業につながるかということで、スタチンの例を出してゴールドスタイン、ブラウンのストーリーを話したんですけど、そのちょっと後かな、山本先生から電話をもらって、遠藤先生が最初のスタチンの発見者なんですよ、と教えてもらいました。それをちゃんと言うようにと(笑)。コンパクチンは、金沢大学の馬淵宏先生も患者さんに使われたわけですよね。

遠藤 三共が開発を中止した1年後、絵に描いたようにコレステロールが下がっているデータを示した馬淵先生の論文が『New England Journal of Medicine』に掲載されたんです。しかも、HDLが善玉コレステロール、LDLが悪玉コレステロールと言われはじめた時期に、HDLのほうは減らない、少し上がるというデータを出された。それはもう世界中の新聞、テレビのニュースになりまして、それがメルクの再挑戦にも力になった。そういう意味では非常に大きな仕事をされました。

遠藤 章 氏

遠藤 章 氏

東京農工大学特別栄誉教授

1933年、秋田県生まれ。57年東北大学農学部卒業後、三共(株)(現・第一三共(株))に入社。62年同社中央研究所研究員。66年から2年間、米国アルバート・アインシュタイン医科大学に留学。75年三共(株)発酵研究所研究室長。79年東京農工大学農学部農芸化学科助教授、86年教授、97年定年退官、名誉教授。同年(株)バイオファーム研究所を設立し、代表取締役所長。03年金沢大学客員教授。07年東北大学特任教授。09年早稲田大学特命教授、一橋大学イノベーション研究センター客員教授。専門分野は応用微生物学、生化学。73年、現在スタチンと総称されるコレステロール低下剤の元祖、コンパクチンを青カビから発見し(当初はML-236Bと命名)、新薬開発に向けて尽力。スタチン開発のパイオニアとして世界的に知られる。受賞は、東レ科学技術賞、ウォーレン・アルバート賞、日本国際賞、シャウル・マスリー賞、ラスカー臨床医学研究賞ほか。

新卒100人うちの5人には好きなことをやらせる

岸本 先生は三共を辞めて東京農工大学に移られます。そもそもどうして大学へ。

遠藤 私が三共でコンパクチンの研究をやったのは1970年代で、当時は今と違ってのんびりしていました。研究者に好きなことをやらせてくれるような雰囲気がまだあったんですね。そのおかげでコンパクチンの研究ができたわけで、その仕事が一区切りついたら大学の先生をやりたいと。大学の先生というのは若い頃からの夢だったし、友達も先輩も「キミは会社向きじゃない」と言っていましたから(笑)。私もそう思っていました。コンパクチンがフェーズⅠに入って、もう私の役目は終わる。年齢も40代の半ばでしたから、第二の人生といいますか、切り替えるなら今だろうと。

岸本 コンパクチンはカビから見つけられているわけですけど、その後の研究もまたカビから新しいものを見つけるという研究を展開されたわけですか。

遠藤 そうですね。私はずっと50年間カビとキノコだけ。79年に大学に移って最初にやったのが、当時は研究費もそれほどない時代でしたから、お金のかからない、設備のいらない簡単な仕事をやろうということで虫歯の予防剤、歯垢形成阻害剤をカビから発見しました。合同酒精という会社と提携して大量生産できるようになり、86年にロッテから虫歯予防ガムとして発売されました。あと目ぼしいものとしては、カビの仲間の酵母からメバロン酸、コレステロール合成の中間体ですけど、それを大量生産する酵母を見つけまして、カネボウからそれを使った化粧品が出ました。

岸本 それで今も研究は続けておられるわけですよね。

遠藤 だんだん先細ってまいりましたけど(笑)、なんだかんだこじつけて今は白神山地、あそこは普通の人は入れない区域があって、そこに入らせてもらって。

岸本 そうすると、新しいカビが…。

遠藤 人が入るとやっぱり土も変わってきますから、そういうところに行けば未発見の微生物がいるだろうと。

岸本 日本は我々免疫学の分野もそうですけど、基礎的な研究は相当レベルの高いところにあるのに、なかなか薬にはつながっていきませんよね。それはやっぱりいろいろ問題があると思うんですけど、先生は企業と大学、両方を見てこられてどのように思われますか。

遠藤 私はコンパクチンの開発でメルクとしばらく関係がありましたから、メルクを通してアメリカの製薬会社を観察できました。社外に、大学のメディカルスクールに強力な応援団がいましたね。何の計画もそうでしょうけど、最初に計画したとおりに進まずに必ずどこかでつまずきます。そのときに退却するか、前に進むか、その選択に社外の応援団が非常に大きな力となる。それは日本と違うなと感じました。企業だけじゃできない、大学と一緒になってやらないと、画期的な研究、前例のない新しいジャンルの薬はなかなかできないという感じがします。

岸本 ゴールドスタイン、ブラウンもいろんな計画のコンサルタントをやっていますよね。

遠藤 メルクと強い協力関係がありました。日本は、最近は変わってきていると思いますけど、やっぱりどこかに見えない壁がありましたね。当時はアメリカのコピーのような仕事をしていた時代で、新薬の開発というのはめったになかったんですけど、いよいよフェーズⅠに入るというときに初めて大学の臨床の先生とコンタクトしていました。アメリカは最初から一緒にやっていた。

岸本 大きな薬の元はみんな大学の研究の成果からで、それを企業が使ってということですからね。

遠藤 そういうことじゃないでしょうか。

岸本 それから、日本の製薬会社も大きくなればなるほど官僚的な機構になって、下のほうに優秀な者がおって何か発想したってなかなか上へつながらないということもありますよね。思い切ったことをして失敗したら具合悪い、言われたとおりにしていたほうが出世するとか、違いますかね。

遠藤 それは私もずっと感じながらやっていましたけど、今は少し変わってきているんじゃないですか。

岸本 ほんとに優秀なのはそんなのアホらしくてやってられんと。僕は先生もそういうことだったのかと(笑)。

遠藤 それは長い明治以来の歴史において実績がなかったということも背景にあると思います。やっぱり西洋崇拝があるんじゃないでしょうか。

岸本 組織がだんだん固定化して、優秀なやつがおっても好きにようにやれない。それが僕は日本からユニークなものが出てこない理由かと思いますけど。

遠藤 今は競争が熾烈で、しかも非常にスピードが速い時代で、企業も切羽つまった感じになってゆとりがなくなっています。私は三共を辞めるときに何か一言と言われましたのでこんなことを話しました。「新卒で会社に入ってきたら、100人のうちの5人でいいから好きなことをやらせる。だけど、定年で辞める前に何か1つ薬を作ってもらう」と。そういうことがあってもいいんじゃないかと思います。

岸本 それから、上がだめやったらみんなだめになりますよね。大阪大学の内科の教室にはかつては100人ぐらいおって、これでは一番上がアホやったら100人がアホになる(笑)。それでこれを分けよと、そしたらどこか突出したところが出てくるかもわからんと言って、今はそれぞれ専門科ごとに分かれて小さくなりました。そういうふうに体制を変えていく。もっと自由度を持たせていくというのも大事かもしれませんね。

遠藤 そうですね。

岸本 今日はお忙しいところ、どうもありがとうございました。

 

EYES

コレステロールの合成を阻害するスタチンの第1号「コンパクチン」を発見

約6000株のカビ、キノコから
コレステロールの合成で重要な酵素を阻害する物質を探索

コレステロールを下げる薬として、世界で最も使用されているのが「スタチン」と総称される7種のコレステロール合成阻害剤です(日本では6種)。血管へのコレステロールの沈着からなる動脈硬化や、それから生じる心筋梗塞などの予防薬、高コレステロール血症の治療薬として、その市場規模は約3兆円に上ります。

細胞膜の構成成分や胆汁酸などに使われるコレステロールは食物からも摂取されますが、体内でも主に肝臓で酢酸から合成されます。スタチンは、その合成の調節で重要な役割を果たすHMG-CoA還元酵素の働きを阻害し、その合成を抑制します。不足したコレステロールは血中から肝臓の細胞に取り込まれ、その結果、血中のコレステロールの量を下げることができます。このスタチンの第1号ともいえるコンパクチン(一般名メバスタチン)を発見されたのが、今回、LF対談にご登場いただいた遠藤章氏(東京農工大学特別栄誉教授)です。

当時、三共(現・第一三共)の研究者だった遠藤氏は、1966年から2年間、アメリカへ留学した際に心臓疾患の原因としてコレステロールが問題視されていることを知り、帰国後、コレステロール低下剤の開発に取り組まれます。約6000株のカビ、キノコからHMG-CoA還元酵素を阻害する物質を探索し、1973年に青カビからML-236Bを発見されました。コンパクチンという名称は、76年にイギリスのビーチャム社(現・グラクソ・スミスクライン)の研究者が発表した抗生物質の名称で、ML-236Bと同じ物質でした。ビーチャムは抗菌剤としての開発は中止しましたが、コンパクチンという名称が広く使われるようになりました。

結局、コンパクチンはコレステロール低下剤としても製品化されることはありませんでした。ラットには効かないなど動物実験で問題が生じた際も、遠藤氏はその原因などを粘り強く探究し、78年には人に対する臨床試験がスタートして順調でした。しかし80年、三共から開発の中止が発表されます。イヌの長期毒性試験で発がん性の疑いが出たといわれます。

遠藤氏は、79年に東京農工大学に移られていました。開発の中止は残念だったでしょうが、そのコンパクチン開発に対する努力は無駄にはなりませんでした。80年にスタートしていったん中止されていた、アメリカのメルク社が発見したスタチン第2号のメビノリン(一般名ロバスタチン)の臨床試験が84年に再開し、87年に新薬として認められたのです。メルク社は、76年以降、三共からコンパクチンのデータなどを提供されていました。

メビノリンもカビから見つけられ、その構造はコンパクチンにメチル基を1個付け加えただけで、やはりHMG-CoA還元酵素を阻害します。メルク社に続いて、三共もコンパクチンの代謝物から見つけられたメバロチン(一般名ブラバスタチン)の臨床試験をスタートし、89年に発売されました。その後、他の製薬会社からも構造を少し変えた合成スタチンが次々と生まれていきます(天然スタチンは、コンパクチンとロバスタチンのみ)。今では、遠藤氏はそうしたスタチン開発のパイオニアとして世界で認められ、2000年にはテキサス大学のゴールドスタイン、ブラウンとともに、がんや心臓病など重要な疾患の予防と治療に貢献した研究者を対象としたアルバート賞を受賞されました。

ゴールドスタインとブラウンは85年にLDL(低比重リボタンパク)受容体の発見などコレステロールの代謝の研究でノーベル医学・生理学賞を受賞しました。コレステロールは、血中ではタンパク質やリン脂質にくるまれた形で運ばれます。LDLは肝臓から全身へ、HDL(高比重リボタンパク)は全身から余分なコレステロールを肝臓へ運びます。2人は、遺伝性の高コレステロール血症ではLDLを細胞内に取り込む受容体が欠けていることも明らかにしました。遠藤氏は、コンパクチンのサンプルを送るなど、2人と交流し、その研究の手助けもされています。

スタチンはその第1号が日本で生まれた画期的な新薬でした。製品化は、アメリカに後れをとりましたが、日本発の薬であることは間違いありません。世界を驚かす、こうした新薬がまた日本から生まれることが期待されます。

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