LF対談
「がんで亡くなる人を減らしたい。なくしたい」と思いつづけてきました。 No.98(2023.2)
国立研究開発法人 医薬基盤・健康・栄養研究所 理事長
東京大学名誉教授/シカゴ大学名誉教授
中村祐輔 氏
公益財団法人 千里ライフサイエンス振興財団
審良静男 理事長
「外科医で遺伝子研究」は
初めてだったかもしれない
審良 当財団の理事長に就いてからは初となる「LF対談」に臨みます。初回に対談いただく方として、まっさきに思い浮かんだのが中村祐輔先生でした。業績としてはもちろんですが、先生と共通点も多くあります。ともに大阪出身で阪大医学部時代の同級生。医師として歩みはじめて、基礎研究者になるという点もとても似ています。こうしたことでお願いしました。
中村 よろしくお願いします。
審良 先生は、大阪大学の医学部に入学し、第二外科に進まれました。そもそもなぜ外科の道に進まれたのですか。
中村 まず医学については、中学2年生のときスキーで脚の骨を3本も折りまして、それ以降なんとなく関心をもつようになりました。外科については、審良先生も覚えておられると思いますが、高校生のころに出版された山崎豊子さんの小説『白い巨塔』に憧れてのことです。
審良 私も影響、受けましたよ。
中村 それで阪大医学部の第二外科では神前五郎先生の下につきました。『白い巨塔』の主人公「財前五郎」と一字ちがい。運命的なものも感じました。性格的にも内科よりも外科が向いているなと思いまして。
審良 それで外科医になられたのですね。
中村 ええ。勤務先は、国立では阪大病院、府立では大阪府立病院、町立では小豆島の内海病院、市立では堺病院と、各行政レベルで勤める機会がありました。小豆島では離島医療も体験して勉強になりました。
審良 外科医であり、かつ基礎研究をすることになったのはどういうきっかけですか。
中村 臨床で外科医をしていると、おなじ薬を使っても、よく効く人がいる一方、あまり効かず副作用で苦しまれる人もいます。「どうして個人差は生じるのか」「どうしてがんになるのか」という問いが大きくなっていったのです。
この問いとも関わることですが、外科医のとき若いがん患者の方を亡くした経験もありました。私とおなじ27歳だった胃がんの女性患者の死を看取ったのです。がんの告知をしていなかった時代、「良性です」と伝えながらも、その方の身体は日に日に弱っていく。ある日、「私のお腹のなかのかたまりを取ってください」と涙ながらに言われたのです。がんと言えないなかそう言われ、心の準備ができておらず、自分も涙をこらえるのが精一杯でした。
おなじ年に、36歳の大腸がん患者の男性に死の宣告をしなければならないこともありました。奥さんは号泣し、父親の死を理解できない2人の子ははしゃいでいる。そのギャップに、若くしてお亡くなりになるというのは医者として耐えがたいものがありました。
審良 そうでしたか……。
中村遺伝性がんは若い年齢で発症しやすいということを知っていて、遺伝子を研究して原因をあきらかにしたいと思うようになりました。堺病院に勤めたあと、阪大病院に戻ることになり、神前先生からも「帰ってくるなら遺伝子の研究をしてみたら」と言っていただきました。
外科医で遺伝子研究に携わるのは、世界でも初だったのではと思います。
審良 阪大での遺伝子の研究では、分子遺伝学教室の松原謙一先生の下で取り組まれましたね。どういった研究をされましたか。
中村 アミラーゼを大量に産生するがん細胞があり、アミラーゼ関連遺伝子をクローニングする過程で、遺伝子操作の技術を学びました。最初はイヌの膵臓からメッセンジャーRNA(mRNA)をとることをしていました。
審良 膵臓はRNaseが多いので、そこからmRNAをとるのはむずかしいのでは。
中村 イヌに限っては膵臓でRNaseをつくらないのです。イヌでは簡単にできたことが人ではうまくいかず苦労しましたが、半年ぐらい後、グアニジンを利用した方法を試してみるとmRNAをとれるようになり研究が進みました。「研究は簡単ではないが、ブレークスルーの先に新たな世界が待っている」と実感できましたね。
世界の研究者たちが頼りにした
遺伝的多型マーカーを開発
審良 その後、中村先生は1984年からアメリカに留学されました。論文を多く出され、大活躍の時代を迎えられましたね。私も、よく覚えています。ユタ大学の研究室に所属されましたが、どういった経緯で……。
中村 留学前、遺伝性がんのひとつである家族性大腸腺腫症の論文に目がとまりました。その論文の著者が、ユタ大学ハワード・ヒューズ医学研究所のレイ・ホワイト先生だったのです。ユタ州にはモルモン教の本部があり、教会に家系図が残っています。モルモン教信者は研究に協力的でもあります。当地でなら、家族性大腸腺腫症の遺伝子を見つけることができるのではないかと考え、ホワイト先生に手紙を出したのです。
審良 伝手もなく、ですか。
中村 ええ。手紙には医者として若い患者をがんで亡くした体験も綴りました。ホワイト先生からすぐに返事があり、研究員として所属することになりました。
審良 どんなことから着手しましたか。
中村 ホワイト先生から、「両親の染色体を区別できるマーカーを得るように」といった指示がありました。家系図を使って病気の遺伝子を見つけようとするとき、着目している遺伝子が両親どちらの染色体からのものであるか区別しなければなりません。区別できれば、家系図における病気の伝わり方の情報と重ね合わせて、病気の遺伝子を突きとめることができます。そのため、両親どちらの遺伝子であるかを特定する目印となる遺伝的多型マーカーを得ることが課題だったのです。
審良 中村先生はこの一連の研究で、そのマーカーの主要なひとつとなった、VNTRマーカーを発見されたのですね。
中村 はい。染色体のうちどこの遺伝子を受け継いだかと、受け継いだ病気の相関性を求めることを連鎖解析といいますが、病気の家系の人などの協力も相まって連鎖解析という手法が1980年代後半から始まりました。そのきっかけとなったのがVNTRマーカーなどの遺伝的多型マーカーでした。
審良 留学前に遺伝子クローニングなどで磨いておられた分子生物学的な研究手法が、ホワイト先生の遺伝学的な研究といわば融合したわけですかね。
中村 ホワイト研究室は分子生物学はさほど強くなかったので、そういえますね。
審良 このマーカーは「ナカムラ・ホワイトマーカー」ともよばれました。当時、私もなんだか誇らしかったですよ。
中村 1980年代後半、両親の染色体を区別するために使われた遺伝的多型マーカーの7〜8割はこのマーカーでした。
審良 マーカーが研究に使われるようになってからは、がんなどの病気に関わる遺伝子が、本当にさまざまな研究者から発表されるようになりましたね。
中村 ええ。病気の研究と、遺伝的多型マーカーの開発など、いろいろなタイミングが合わないとそうならなかったと思うので、幸運だったと思います。
審良 がんなどの病気を引き起こす遺伝子だけでなく、がんを抑制する遺伝子のはたらきも中村先生はその後に解明されました。
中村 p53遺伝子ですね。1989年、『Science』に、ヒトのがん抑制遺伝子として初めて発表しました。その後、大腸がんとの関連では、家族性大腸腺腫症の原因となるAPC遺伝子を帰国後の1991年に発見しました。これにより以前から研究していた、多段階発がんのしくみを詳しく説明できるようになったのです。APC遺伝子に異常があるとポリープが生じ、KRASとよばれる別の遺伝子に異常があるとポリープが大きくなり、さらにp53に異常があるとがんになるといったものです。
審良 ユタ大学時代の研究の充実ぶりが大きかったのですね。
中村 当時のことで余談ですが、1985年、ユタ大学のある州都ソルトレークシティで米国人類遺伝学会が行われ、私は会場の照明係をしていました。係をつとめながら聞いていた発表のなかで、いまや新型コロナウイルス感染症(COVID-19)でだれもが知るようになった「PCR」つまりポリメラーゼ連鎖反応についての世界初となる発表に立ち会うことができたのです。のちにノーベル化学賞を受賞したキャリー・マリスの部下ランドル・サイキによる発表でした。論文発表2か月前のことで、内容に唖然としながら聞いていました。もともとPCRは病気の遺伝子を簡便に判定するために開発されたものでしたが、私も利用し、だれもが知ることになる技術にこう出合えたことに、なにか運命めいたものも感じます。
人種間に大きな差
免疫関連の遺伝子を研究
審良 先生はその後、免疫の遺伝子の研究にとりわけ力を入れるようになられました。どういう理由からですか。
中村 2000年代、遺伝子多型の地図づくりをしているなかで、免疫に関係する遺伝子には人種間の大きな差があるとわかったのです。免疫は、暑い地域とか寒い地域とか、さまざまな環境に応じるように進化し、多様性をもつようになったのだろうと考えました。そして、「がんのことを知るには、免疫のことを知ることが必要だ」と考えたのです。
すこしさかのぼると、2002年から始まった「国際ハップマップ計画」という、約100万か所の遺伝子多型をアジア人、アフリカ人、白人の3人種で調べ、カタログ化する国際プロジェクトに日本代表として参加しました。全データ中24.2%が日本の理化学研究所から貢献したものです。病気に関係する遺伝子や、薬の副反応に関係する遺伝子などの解析がさらに進みましたが、このプロジェクトでも免疫関連の遺伝子に人種差が大きいとわかりました。
審良 免疫系でいったら、ヒト白血球抗原(HLA)とかにも差がありましたか。
中村 とても差がありましたね。
審良 2022年のノーベル医学生理学賞をとったスバンテ・ペーボ博士のネアンデルタール人の研究は、私たち現代人との差異や共通性を考えさせるものでしたが、現代人にも個々を捉えればまた人種ごとに大きな差はあるということですね。
こうした人種ごとの遺伝子の差異といった話が、中村先生がさかんに取り組んでおられる「オーダーメイド医療」の考え方にもつながってくるのですね。
中村 その通りです。
審良 2003年からは国際ハップマップ計画と並行して、文部科学省の「オーダーメイド医療実現化プロジェクト」を牽引されました。これはどういった取り組みですか。
中村 体質や家系といったものを、遺伝子のちがいで科学的に解明するプロジェクトです。日本の20万人規模の方々に協力していただき、DNAや血清などを保管する「バイオバンクジャパン」を構築できました。
審良 成果としては、どんなことが。
中村 たとえば、長期的に見てみると、糖尿病をもっていた方々は、がんで亡くなる割合が約1.5倍、高いといったことがわかりました。
この遺伝子の型をもっているとこの病気になりやすいといった傾向がわかる全ゲノム相関解析の成果を伝える論文を『Nature』や『Nature Genetics』にこれまでに70本ほど出せています。プロジェクト自体は2013年に終わりましたが、バイオバンクジャパンは引きつづき利用され、遺伝子解析などの国際共同研究ではもっぱら日本での受け入れ担当となっています。
中村祐輔 氏
国立研究開発法人 医薬基盤・健康・栄養研究所 理事長
東京大学名誉教授/シカゴ大学名誉教授
1952年、大阪府生まれ。77年大阪大学医学部を卒業。同大学医学部附属病院(第二外科)。81年大阪大学医学部附属分子遺伝学教室研究生。84年ユタ大学ハワード・ヒューズ医学研究所研究員。87年同大学人類遺伝学教室助教授。89年(財)癌研究会癌研究所生化学部部長。94年東京大学医科学研究所分子病態研究施設教授。95〜2011年1月東京大学医科学研究所ヒトゲノム解析センター長。05〜10年3月理化学研究所ゲノム医科学研究センター長(併任)。11〜11年12月内閣官房参与・内閣官房医療イノベーション推進室長。12〜18年6月シカゴ大学医学部内科・外科教授/個別化医療センター副センター長。18年〜内閣府本府プログラムディレクター「AIホスピタルによる高度診断・診療システム」、18年がん研究会 がんプレシジョン医療研究センター所長。19年東京医科歯科大学特命教授。22年から現職。遺伝子の反復配列VNTRを遺伝的多型マーカーに活用し、家族性大腸腺腫症の原因遺伝子としてAPC遺伝子を単離・同定。ゲノム情報に基づき個々の患者に最適な診療をするオーダーメイド医療(プレシジョン医療)を提唱。おもな受賞歴は武田医学賞、慶應医学賞、紫綬褒章、クラリベイト・アナリティクス引用栄誉賞、文化功労者。
がん免疫療法の
パラダイムシフトを感じる
審良 中村先生も興味をもっておられる、がん免疫の話もぜひできればと思います。 そもそもどういうきっかけで興味を…。
中村 がん免疫に興味をもちはじめたのは1998年、所属していた東京大学医科学研究所で日本で初となる遺伝子治療として、腎臓がんを対象に臨床研究がおこなわれて以降です。その臨床研究では、がん細胞に顆粒球マクロファージコロニー刺激因子(GM-CSF)という免疫調節因子を入れるものでした。研究審査委員長だったこともあり、その期間いろいろな情報を得られたのですが、この治療ではステージⅣの患者たちの平均生存期間が4年以上という高いものでした。「がん治療においても、やはり免疫は大事だ」と実感したのです。
審良 とくに腎臓がんに対しては、免疫がよくはたらいているという話はありますね。
中村 ええ。ほかにも悪性黒色腫の組織からリンパ球を取り出し、体外で増殖させた後に注射すると腫瘍が消えたという報告などもありました。免疫を高めるいろいろな方法を使えば、がんの治療につながるのではないか、と。
けれども、そうこうしているうちに、「がんに対して免疫が効くわけないだろう」といった声が増えてきまして……。
審良 がん研究において、免疫の効果についてはあまり重視されない向きはあったみたいですね。いまでは、本庶佑先生たちが、がんに対して免疫がはたらくようにする薬を実用化なさって、考え方は変わってきていますが、昔は「これを飲めばがんが消える」といったまやかし情報も出まわって、かなり悪い印象を抱かれてしまっていました。
私は、丸山ワクチンやBCG-CWSなどの免疫賦活物質はわずかしか効かないと思えても、今の免疫学的な考えから、人によっては治療効果があってもよいと思います。
今後のがん免疫療法についてどんなことを描いておられますか。
中村 がんの免疫療法については、オーダーメイド療法にすべきだと思います。100人の患者がいたら、免疫の環境も100通りだし、遺伝子異常のパターンも異なるのですから、治療のしかたが異なるのは当然だと思います。ようやく医療の個別化を考えることができる時代になってきました。
研究が進み、遺伝子異常の多いがん患者のほうが、免疫抗体療法の効く可能性が高いというきれいな相関のデータも見られます。遺伝子異常が多いと、それに反応するリンパ球などの免疫細胞がたくさん集まって、その上で免疫チェックポイント抗体を使うと、治療効果が出やすいと考えられています。こうしたことがわかり、明らかに2000年以降、がん免疫療法のパラダイムシフトが起きていると感じます。患者一人ひとりの免疫の状態を考えた治療が、ますます重みをもってくると思います。
患者たちの笑顔を取り戻したい
mRNAがんワクチンを日本から
審良 2022年4月から先生は、医薬基盤・健康・栄養研究所の理事長をつとめておられます。久々に大阪に戻ってこられましたが、今後どんなことをやっていかれますか。
中村 ずっと「がんで亡くなる人を減らしたい。なくしたい」と思いつづけてきました。これは首尾一貫しています。大阪には審良先生をはじめ仲間がたくさんいます。大阪ほど大学病院の連携が強い地域はないとも思っています。人の輪、地域での輪を上手に生かしながら、新しいことができるよう環境をつくりたいと思っています。
審良 具体的にお考えのことは……。
中村 mRNAを使ったがん治療に取り組んでいきたいと思っています。mRNAがんワクチンによる治療を実現し、ぜひとも患者や家族の方々の笑顔を取り戻したい。
審良 世界的にはどういった状況ですか。
中村 コロナワクチンで有名になったドイツのビオンテックはもともとがんワクチンの開発をしてきた企業であり、経営者が10年以内にmRNAがんワクチンが利用できるようになる可能性に言及しています。コロナワクチンの登場で一気に、mRNAワクチンに対するハードルは下がった気がします。
審良 mRNAがんワクチンを日本発でということですね。
中村 はい。ぜひ個別化されたmRNAがんワクチンをつくっていければと思います。大阪でのゲノム解析をもとに、みなさんが希望をもって生きていけるしくみをつくり、患者や家族の方々の笑顔を取り戻せるところまで行けたらと考えているところです。
審良 今日はありがとうございました。これからもよろしくお願いします。
(対談日/2022年11月1日)
EYES
遺伝子解析を基軸に疾患の原因を解明
「プレシジョン医療」の道を拓く
染色体の由来を特定する
VNTRマーカーを開発
遺伝子の異常が原因となっておこる疾患は遺伝子疾患とよばれています。遺伝子は親から子へ受け継がれるので、血縁関係にある家族に、おなじ疾患が認められることも多くあります。昔から、ある家系には特定の疾患をもつ人が多いといった傾向があることは知られていました。しかし、より詳しく、どの病気が遺伝子の異常と関連しているかや、その病気の原因はどの遺伝子の異常なのかといったことを知るのは、研究の発展を待たなければなりませんでした。
遺伝子疾患、特に遺伝性疾患(親から子へと伝わる疾患)のしくみや治療法を確立していくうえで重要だったのが、「遺伝的多型マーカー」とよばれる“目印”の開発です。遺伝的多型とは、おなじ種の生物たちのなかに遺伝子型の異なる複数の個体群が共存し、多様性をもっていることを指します。たとえば人では、ABCC11遺伝子という遺伝子の型が異なる人が共存しているため、耳垢が乾いている人もいれば、湿っている人もいるという多様性があります。その人のABCC11遺伝子の型を調べれば、耳垢が乾いている人か湿っている人かがわかるので、この遺伝子はその人の耳垢の乾き・湿り具合を知るための目印つまりマーカーとなります。特定の病気についても、その遺伝子の型を調べれば、その病気になりやすいかがわかる目印があります。これが遺伝的多型マーカーです。
遺伝的多型マーカーとして、いくつかの種類が開発されてきました。たとえば、遺伝子の塩基配列のうち、グアニン(G)かシトシン(C)かといったように1塩基だけちがっている箇所が目印になる「一塩基多型マーカー」があります。同様によく知られるのが、「反復配列多型(VNTR:Variable Number of Tandem Repeats)マーカー」とよばれるものです。これは、塩基の並びのくり返し回数に個人差があることを利用したマーカーです。たとえば、Aさんでは20回のくり返しがあるのに対し、Bさんでは30回のくり返しがあるといったもの。ゲノムには多くのVNTRが存在することがわかっています。
このVNTRマーカーを開発したのが、中村祐輔氏です。中村氏は米国に留学していた1987年、遺伝子疾患のひとつ、家族性大腸腺腫症(FAP:Familial Adenomatous Polyposis)の原因をどうにか特定しようとしていました。この疾患をもつ家族において代々だれが疾患したかが家系図からわかるので、疾患が生じた人たちに共通する遺伝子を絞りこめれば、どの遺伝子が疾患原因遺伝子かを特定できます。中村氏は、子どもが受け継いだ染色体が父・母のどちらに由来するのかを判別するため、その子のVNTRのくり返し回数を父・母のVNTRのくり返し回数と照合するという手法をとりました。こうしてVNTRを利用した遺伝的多型マーカーを開発したのです。世界の多くの研究者たちもこのVNTRマーカーを利用するようになり、遺伝子疾患の原因遺伝子を解明する研究が進みました。中村氏自身も帰国後の1991年、研究していた家族性大腸腺腫症の原因となる、APCという遺伝子を発見しました。
遺伝的多型マーカーを使うなどして、遺伝子疾患の原因となる遺伝子の異常が特定された上で、人びとが個々にもつゲノムを読み取れば、その人が遺伝子疾患をもちうるかや、どんな治療を受けるとよいかが明確になります。この新たな治療の概念は、その人に合わせた治療を用意できることから「オーダーメイド医療」、あるいはその人に精密な治療法を提供できることから「プレシジョン医療」とよばれ、がんの治療など多くの治療シーンですでに実用化されています。中村氏は世界に先駆けて、こうしたプレシジョン医療をも提唱してきました。
多くの人たちの遺伝子データを集めることで、遺伝子と疾患の関係性などがより解明されることになり、プレシジョン医療は進展します。中村氏は、世界や日本の複数のプロジェクトで日本のリーダー役となり、多 数の人の遺伝子データなどをデータベース化し、ゲノム全域を対象とした遺伝子多型を網羅的に検索する「全ゲノム相関解析」(GWAS:Genome-Wide Association Study)を世界で初めて行いました。