LF対談
生命の大いなる連鎖 No.12(1994.1)
作家
陳 舜臣 氏
財団法人 千里ライフサイエンス振興財団
岡田善雄 理事長
命は天から与えられたもの
岡田 先生は台湾でお生まれになったんですか。
陳 いや、生まれは日本なんですよ。
岡田 そうですか。作家になられたのは何がきっかけだったんですか。
陳 実家は貿易商をやっていたのですが、男7人女3人と兄弟が多くて私は2番目でした。家業もそんなに大きくなく、割合フリーな立場だったんです。親も家業を継ぎたければ、継げばいいだろうという感じでした。いちおう親の仕事を手伝っていた時期もありましたが、私にはあんまりむいていないなと感じまして。それで早くエスケープしないといけないと思って作家に……。そして、昭和36年に江戸川乱歩賞を受賞したことで、作家として食べていけるんじゃないかという目処がたったんです。
岡田 戦時中はどうされていましたか。
陳 大阪外語(現・大阪外国語大学)の西南アジア語研究所にいました。そこで辞書の編集をやっていたんです。インド語やアラビア語など西南アジア圏の辞書が当時はまだなかったので、それをのんびりやってました。
岡田 私は江田島の海軍兵学校に行ってたのですが、終戦でいっぺんに価値観がひっくりかえってしまいました。それで実家のある高知に帰ってボヤーッとしていましたら、親父が心配して「おまえ、村の医者になってくれんか」と言われました。当時、郷里の村には医者がいませんでしたから。それで、それまでは戦争のプロを養成するような学校に行っていたものですから、少しでも人助けができればいいかなと思って承知したんです。
しかし、面白いもので、もし親父が医者だったら臨床に進むのもあまり抵抗がなかったかもしれません。私の場合は違いましたから、なんとなく気分がのりませんでね。臨床よりも基礎研究のほうに親近感がありました。
陳 そういうものですか。
岡田 はい。それで基礎研究をやるようになったのですが、そのためには実験動物を使わねばならない。私はこれがどうも苦手だった。近代医学というのは実験医学で、多くの実験動物を研究対象にすることで成り立っています。人間を実験に使うわけにはいきませんからね。けれど、そういう発想はどうも日本では生まれえなかったものでしょうね。人間だけが特別な存在だというような西洋的なバックグラウンドの中でないと。
陳 なるほど。
岡田 しかし、自然科学が進んで生物という側面から見ると、面白いことに遺伝子は一緒だぞ、人間だけが特別じゃないぞということになるんです。構造も暗号も一緒ですし(笑)。これはどうみたって輪廻とかなんとか子供の頃いろいろ聞いていたような話になる。地球上に最初に現われた生物がいますよね、その遺伝子のコピーを今現在もどこかの誰かが持ってるかもしれないとか。人間も生物の一種であることを実証してしまいました。
また、今までの医学のバックグラウンドを考えると、生き延びさせるということが唯一の拠り所でした。しかし、感染症が流行ったり、劣悪な栄養・衛生状態の中で寿命が短かった時代にはそれでよかったのですが、今はクオリティ・オブ・ライフなどが重要視されるようになって、医者の倫理的バックグラウンドは延命だけでは成立しなくなった。そこで、まず先生にお聞きしたいのですが、寿命という言葉、命を寿ぐという言葉はいつごろできたんでしょうか。
陳 いつごろからでしょうか。何々を寿ぐというのは命長かれという意味なんですけどね。
岡田 そうなんですか。ああいう言葉をつくるというのは凄いものだと思いますね。
陳 命という文字は中国でも西周になってからで、その前は命令の令という字を書いていました。「令」は傘型の下に人が跪いているという格好になるんです。傘というのは正装しているという意味のことで、正しい服装をして神に祈る姿なんです。何かに言いよって神とか天の意志を聞いている人という意味です。そして、「口」は祝詞を収める器だということです。
岡田 命という字の口はそういう意味なんですか。
陳 ええ。これはシャーマンの道具だったらしいのですが、大きな傘型の礼帽をかぶり、天に祈って神の言葉を待つ。それが人間の命だったと思います。命は天から与えられたものという感覚だったようですね。
岡田 そのような感じのものをバックグラウンドに持たないと、医学は成り立たないかもしれませんね。人間は生物だという前提に立って、人間が納得できる方向を今日のような新しい状況で示すことができるのかということになると、自然科学のほうにはひょっとしてできないかもしれない。やはり「宗教」には、立場も違うと思うのですが、かなわないのかなあと思います。
陳 そうですね。西洋のキリスト教のように人間には原罪というものがあって、それをキリストが全部背負っているという考え方は人間と動物をはっきり分ける、人間だけのものですね。けれど、仏教はまだ輪廻ということで動物との交わりを肯定しています。次の世には馬に生まれるとか、考えようによっては怖いことですけれど、それを前提にしています。特に密教になりますと、生命は同じだという考え方が強くなっていますね。
現代と東洋の思想
岡田 今、先進国ではどこでも若者の科学離れというのが問題になっています。どうも学校にずっと行って、一生懸命勉強してというのが面倒臭いなあ、という傾向があるようですね。面白いことは他にもっとあるわけですし。
陳 価値観の多様化ということですね。
岡田 それと、またこの頃は環境問題も含めて反科学的という形の……グリーンピースなんかもそうだと思うんですが、そういうのを見てますと、私は「老子」のことが気になるんです。あるがままに生きる無為自然ですとか。
陳 老荘の思想ですね。
岡田 しかし、あれは中国の一つの憧れであって、老子という人は実はいなかったんじゃないかと。
陳 そうですね。老子の実在性は薄いんですよ。老子といって誰かが書いたのをきっかけに、その当時お年寄りで賢かった人の書いたものはすべて老子というようになったのではないかという説もあるんです。だから、老子はたくさんいた。老荘の荘子のほうになると割合はっきりしていますが。
岡田 何か現実的ではなく虚像なんだけれど、そういうものに憧れているという一つの表現なんじゃないでしょうか。
陳 老荘の時代はたいへん悪い時代……戦国時代ですから、戦争ばっかりだったんですね。だから、人間はどのように生きるかというと、これはもう自然に任せるしかない。ジタバタしてもはじまらないと。老子には「造化」という言葉があって、造物主という意味なのですが、自分たちは頼んで生まれてきたんじゃない。死ぬのも何も死にたくて死ぬんじゃない。これは「造化」がやったことであって、それならそれにすべて任せようという考え方です。
それで、時代の風潮が積極的になるといつも目の敵にされ、消極的な生き方だと批判されるんです。しかし、そういうふうに見るとその悪い時代の中でもなんとか生きろと言ってるわけですから、ただの無為じゃないんです。変な言い方ですけれど、積極的な無為だったんじゃないかと私は思います。
岡田 今の長寿社会での医の倫理のところでも、結局それと同じような形の葛藤の中で、個人がどう選択して生きてゆくかということしか方法論がないと思っています。医学の世界でそんな時代が来るとは思いませんでしたね。私が医学部に入った頃は、戦後のすごく衛生状態の悪い状況でしょ。とにかく医は善だったわけです。医学の進歩だけで今の長寿社会が実現したとは思いませんが、ともかく寿命を延ばすという初期の目標は、現在大成功を収めたわけです。でも同時に別の困った問題も出てきました。たとえば、社会から隔離されたような雰囲気の中で老後を送ってゆく状況とか、地球的規模でいいますと人口の増加と環境の保全という二律背反的な原則をどうやってゆくかとか。これは大変なことになってしまって……。
人間は、何か一つ理想みたいなものを描いてやってゆく。一つひとつ問題を判断して解決への努力をする。その中で、あることが成功してみると、それによって新しい問題が生まれていることに気づく。なかなか難しいものですね……。そんなところから宗教みたいなものが現われてくるんじゃないかと思いまして。
陳 同じ宗教といってもキリスト教などは救いの宗教ですが、仏教は救いではなくて、自分で悟れという突き放した考え方ですね。仏教では、神様はいないのですから。無神論ですから。そこで自分で悟れということなんです。
岡田 自力本願みたいなことでしょうか。私の大学の先輩で仏教についてたいへん詳しい方がいらっしゃるんですが、その方が仏教というのは自然科学的だという本を書かれています。特に脳の中枢の統合機能は、仏教の考え方にぴったりあてはまるんじゃないかと。仏教と他の宗教とはずいぶん違うもののようですね。私も若いときに座禅を組んでたりしたものですから、本当にそうかもしれないなあと思いまして。
陳 それは当然ですね。無神論ですから。
岡田 そういうことですね。要は神様はいないということですから。
陳 だから、悟れということですね。考えようによっては非常に無責任なんですけれど(笑)。座禅を組むのはインドではやっていないのです。中国に入ってからですが、インドでは夏の一時期仕事をせずに夏安居(けあんご)という修行をします。それは、お坊さんになってからの年数をいうとき、幾夏坊さんになったかというほど重要な修行なんです。しかし、これは夏の間は生物がたくさんいて知らずに殺したりする恐れがあるからじっとしていろという説もあれば、あんまり暑いので外に出ても仕事にならないからじっとしていろという説もありますね。
岡田 その間、何かを考えろということですか。今の世の中は考える時間があまりなくて若い人はちょっと可哀相な気がしますね。
陳 ところで、先ほどの延命ということに戻りますが、東洋医学で不老長寿といえば、昔の中国の仙人たちは薬草ではなく、鉱物で薬を作っていたんです。草というのは生えて枯れるものだから、そんなもので不老長寿はできない(笑)。その点、鉱物は変わらない。でも、それを飲んでみんな死んじゃうんです。
岡田 すごいものを飲んでいたんですね(笑)。
陳 だから、中国の皇帝の平均寿命は短い。別に歩くことも少ないし、あんな変な薬を飲んでたら、当然でしょうけどね。
陳 舜臣 氏
作家
1924年、神戸市生まれ。本籍は台湾省台北市。43年大阪外国語大学印度語科卒業。西南アジア語研究所助手、家業の貿易業などを経て、61年『枯草の根』で江戸川乱歩賞。その後、推理小説から歴史小説に進出。67年3部作『阿片戦争』を完成。69年『青玉獅子香炉』で直木賞。70年『玉嶺よふたたび』『孔雀の道』で日本推理作家協会賞。その他、『中国の歴史』15巻、『陳舜臣全集』27巻など著書多数。
自然科学からの説明不足
岡田 人間の細胞の遺伝子をすべて調べようという世界的なプロジェクトがあって日本も参加しているんですが、遺伝子についての研究が盛んになると、一方で個人についておかしい遺伝子があるかないか、というようなことが余りに強調されて、差別というような社会的な問題が出てきそうなところがありますね。元来人間のために始まった研究であるはずなのに、研究が進むにつれ、とかくそのような方向へ行ってしまって、フォローをきちっとしておかないと、結局何のためにやってきたのかわからなくなってしまう恐れもあります。「正常」とは何か? というのはなかなか難しいことです。医学の面白さは住民の全体の中で一番多いポピュレーションを「正常」と決めたことです。人為的、相対的基準です。それが遺伝子というはっきりしたものが出てくると、「正常」という言葉がひとり歩きしはじめ、それから隔たることは悪いということになってしまうのです。
この頃は、世界中から情報が入ってくるので、遺伝病の発生に関する計算をしてみますと、現在遺伝病というのは3000くらいの種類があることになります。そして、すべての人がそのどれかの遺伝病に対する遺伝子を5、6個は持っているということが統計的に出ているのです。それにもかかわらず、そのような病気になる人はほとんどいない。これは「表現」されるかどうかという問題なんです。人間を含め多細胞生物は雌雄交配を通して、悪いほうの遺伝子の表現を消してしまうことをしているので、だから何憶年も生き続け、現在の繁栄につながっているのです。このことを一生懸命言うんだけど、なかなか受け入れられなくて、「正常」か「異常」かという話のほうがクローズアップされてしまう。
陳 なるほど。
岡田 元来、生物の体というのは柔らかく融通性があるんです。その融通性というのは非常に難しいもので、どういう方向で何を考えたら本当の生き物というのがわかるのかというのはまだお手上げなんです。今は、遺伝子から入っていきましたのでとにかく堅いんですよ。
陳 そうでしょうね。
岡田 やはり自然科学の側からの説明が舌足らずなんだと思います。千里ライフサイエンス振興財団でも一般の方にそういうことをよく理解してもらおうと思って市民公開講座などをやっておりますが、日本ではそういう試みが少ないように思います。外国では研究者の中で話の上手な人を報道用のプロとして仕立てているのです。ところが日本では、それは研究から弾き出された人というふうに判断されてしまう。
陳 医事評論家というのがもっと……。
岡田 評論家はたくさんおられます。しかし、実際に実験をしている現場からのコメントも欲しいわけです。
陳 ポピュラーな常識を普及する人たちも必要ですけれど、もう一つ突っ込んだ実際に医療に携わっている人がうまく表現してくれることが必要なんですね。
岡田 そうなんです。今日は面白い話を聞かせていただき、どうもありがとうございました。
EYES
生命の大いなる連鎖
老荘の自然哲学に学ぶ
現代の自然に密着した生き方、あるいは質素・倹約を旨とした“清貧の思想”の先駆けともいえるような考え方が、はるか紀元前、中国の春秋戦国時代に生まれました。“無為自然”を唱え、自然のままに生きよと語った老子・荘子を創始者とする道家の思想です。ヨーロッパでも、18世紀にルソーが“自然に帰れ”と言いましたが、それよりずっと前、今から2300年も前のことでした。「自然」という文字自体も老子・荘子の書に始めて登場しています。
もっとも、当時に現代のような大がかりな自然破壊があったわけではありません。むしろ現代でいえば、各地で頻発する民族紛争のようなものが起こっていました。中国の春秋戦国時代は各地の諸侯が覇を競い合う乱世で、そのため祖国を失った逸民と呼ばれる知識人たちも多く誕生しました。老子や荘子もそうした人たちの中にあり、世の中の乱れの原因を、すべて権力や富を求める人間の知識や欲望に求めたのです。そして、知識・欲望などを排して、自然の摂理=道に従って生きることを理想の生き方としたのでした。
老子はこう言っています。「学を為すは日に増し、道を為すは日に損す。これを損して又損し、以て無為に至る。無為にして為さざるは為し」(『老子』第48章)つまり、学問という人為を排した「道」はマイナスの方向をとるが、そこに自然の働きが現れるということです。そのため、老子は孔子など儒家が説く礼や道徳も否定しました。老子は「道を失いて後に徳あり。徳を失いて後に仁あり。仁を失いて後に義あり。義を失いて後に礼あり。それ礼なる者は、忠信(まこと)の薄きにして乱の首(はじめ)なり」(『老子』第38章)とも言っています。逆説的な言い方ですが、自然の道徳が失われているから、儒家の説く礼や道徳などが必要になり、それがいっそう世相の混乱を生むと見ていたのです。ですから、世相の混乱を収めるために為政者は、民衆の生活に干渉せず、自由放任の政治をするのが一番よい政治だと言っています。
荘子は、老子の無為自然の考え方を哲学的にいっそう深め、“人為”を「人間が物を知ろうとする場合に、物に差別をつける」ことだとします。たとえば、“ここ”と“そこ”という区別も人間を中心にした相対的なものにすぎず、自然の空間は差別のない唯一つのものであると言います。これは、人間の価値観にしても同じです。善悪・美醜・幸不幸・生死といった差別も、自然の世界では意味のないものなのです。自然は差別や対立がない“無限の世界”であり、このような世界ではすべてが斉(ひと)しく同じとする“万物斉同(ばんぶつせいどう)”の考え方を展開しています。
これは人間の生活から見ると、自らの運命の絶対的肯定につながります。「人間を取り巻く、貴賤と富貴、病気と健康、名声と汚辱、そして生と死といったものは、『運命』『天命』と呼ばれるものであります。この天命は『人為を越えた必然』のものでありますが、その『人為を越えている』という点において『自然』と呼ぶこともできるわけであります。したがって、荘子の無為自然というのは、これを『人生の現実』に最も密着させた場合、『貧富貴賤』、あるいは『生と死』というさまざまな対立の姿で現れてくる運命を、すべてそのままに無差別の肯定する立場である、と言えるのであります」(森三樹三郎『無為自然の思想』)
荘子は次のようなことも言っています。「聖人は一切を失うことのない境地、一切の変化を自然のままに受ける境地に遊び、一切をそのままに肯定する、青春をよしとし、老年をよしとし、人生のはじめをよしとし、人生の終わりをよしとす」老子・荘子の思想は、ややもすると人生に対して消極的で否定的であると見る考え方もありますが、このような言葉を見ますと決してそうではなく、自由で晴れやか、しかも力強さもうかがわれます。たとえば老年になって体力が衰えてこようと、それをあるがまま=自然に受け入れて生きていこうといったような、まったく力強い人生肯定の考え方なのです。